第三四一海軍航空隊
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第三四一海軍航空隊(だい341かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・戦闘行動に従事した。通称「獅子部隊」。
なお、本稿では、三四一空と同様に紫電隊として編成されたものの、紫電の調達ができずに解散した第三四五海軍航空隊・第三六一海軍航空隊も合わせて述べる。
目次 |
[編集] 沿革
紫電の制式採用を想定して編成した唯一の紫電隊。当初想定していたマリアナ諸島の戦いには参加できず、フィリピンを巡る捷号作戦に投入された。
- 昭和18年(1943年)
- 昭和19年(1944年)
以後、館山で慣熟訓練に従事(紫電の調達遅れ)。
- 6月12日 「あ号作戦」発動。零戦13機でテニアン島に向け出撃、硫黄島に到着。
- 6月15日 硫黄島に空襲警報発令、11機で迎撃。ヘルキャットと交戦し16機撃墜・8機喪失。テニアン進出を断念し、要員は館山に帰還。
- 7月10日 第二航空艦隊に編入。紫電96機に増強、半数は明治飛行場に進出。
- 8月31日 館山残留隊、高雄岡山飛行場に進出。
- 9月下旬 明治派遣隊、宮崎飛行場に進出。
- 10月12日 台湾に敵機動部隊来襲、25機で迎撃。14機喪失、稼動機は8機に減少。
宮崎派遣隊、小禄飛行場に進出。
- 10月14日 台湾沖航空戦勃発、小禄派遣隊23機・岡山派遣隊40機出撃。
- 10月22日 24機でルソン島クラーク飛行場に進出。
- 10月23日 フィリピン沖海戦勃発、出撃するが会敵せず。
- 10月24日 第二五二海軍航空隊・第二二一海軍航空隊と同一行動。21機出撃。ヘルキャット7機撃墜・9機喪失。
- 10月28日 二航艦と共同でレイテ島タクロバンを6機で攻撃、三四一空は損害なし。
- 10月29日 クラークに敵戦闘機隊来襲、28機喪失。稼動機15機に減少。
- 12月7日 第8次多号作戦参加艦艇を11機で護衛、会敵せず。神風特別攻撃隊・第五桜井隊を護衛、3機喪失。
- 12月11日 第9次多号作戦参加艦艇を4機で護衛、会敵せず。
- 12月14日 神風特別攻撃隊・第五金剛隊を護衛、三四一空は損害なし。
- 12月15日 神風特別攻撃隊・第九金剛隊を12機で護衛、2機喪失。
- 12月16日 神風特別攻撃隊・第十一金剛隊を護衛、三四一空は被害なし。
- 12月14日 敵機動部隊、ルソン島全土を爆撃、稼動機4機に減少。
- 昭和20年(1945年)
- 1月3日 紫電13機が本土より追加到着。
- 1月4日 クラーク飛行場にムスタング襲来、機銃掃射で紫電8機全損。稼動機払底。
- 2月10日 飛行隊は第三四三海軍航空隊に編入。地上要員のみで名目上の部隊となる。
- 3月1日 松山飛行場で解散式。残存搭乗員は17名。全員三四三空に編入。
紫電という製造に難があった機体であったこともあいまって、台湾沖航空戦以来の消耗を最後まで回復することができず、最後の調達の翌日に全機を失ってしまった。フィリピンに残った地上要員はルソン島の戦いに巻き込まれ、終戦まで散発的な地上戦を強いられた。舟木司令もフィリピンで戦病死した。一方、搭乗員はほかの航空隊搭乗員と同様に、1月いっぱいまでの救援活動によってフィリピンを脱出し、台湾で三四三空の再編要員として台湾・沖縄方面の航空戦に参加した。
[編集] 主力機種
[編集] 歴代司令
- 小笠原章一(昭和18年11月15日 -)
- 岡村基春(昭和19年5月2日 -)
- 舟木忠夫(昭和19年10月1日 - 昭和20年3月1日解隊)※地上戦で戦病死。
[編集] 第三四五海軍航空隊
紫電の制式採用を想定して編制した2個目の局地戦闘機隊。しかし紫電の量産は一向に進捗せず、代用機の零戦52型が主体となった。通称「光部隊」。
昭和19年1月15日、松山を原隊として鳴尾飛行場で開隊し、第一航空艦隊直轄となった。紫電72機を定数としたが、調達が間に合わず零式艦上戦闘機で代用した。昭和19年5月頃にようやく紫電を調達し、明治飛行場で訓練に従事した。一方、零戦練成隊は鳴尾に残留して実用機訓練を続行した。紫電はおろか零戦も不足し、稼動機が10機を超えることも困難で、6月の段階で零戦3・紫電3の稼動が精一杯であった。あ号作戦失敗後の再編により、三四一空をはじめ各航空隊に組み込まれたため、実戦投入の機会なく昭和19年7月10日解散した。
全期間にわたって立見孝六郎司令が統率。
[編集] 第三六一海軍航空隊
紫電の制式採用を想定して編成した3個目の局地戦闘機隊。しかし紫電の量産は一向に進捗せず、零戦隊に変更のうえ編成された。通称「晃部隊」。
昭和19年3月15日、鹿児島飛行場で開隊し、第一航空艦隊第六十二航空戦隊に編入された。紫電48機を定数としたが、遂に1機も調達できず、5月15日をもって零戦隊に転換された。その零戦も最新の52型を調達できず、旧式化した21型をかき集めたもので、稼働率は低かった。作戦行動は東号作戦で8機を関東地区に派遣したのみで、あ号作戦失敗後の再編により昭和19年7月10日解散した。
全期間にわたって榊原喜与二司令が統率。
[編集] 参考文献
- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
- 『戦史叢書 海軍捷号作戦1』(朝雲新聞社 1970年)
- 『戦史叢書 海軍捷号作戦2』(朝雲新聞社 1972年)
- 『航空戦史雑想ノート』(個人ブログ)
- 『マリアナ沖海戦 川崎まなぶ作成』(個人サイト)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)
[編集] 関連項目
最終更新 2009年5月10日 (日) 12:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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