第二五二海軍航空隊
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第二五二海軍航空隊(だい252かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争全期間の主力戦闘機隊として、太平洋戦争中のほとんどを最前線で護衛・迎撃・戦闘・特攻・陸戦に従事した。
目次 |
[編集] 沿革
昭和14年11月15日に臨時編成された第一五航空隊戦闘機隊をルーツとする。一五空は陸攻隊と護衛戦闘機隊からなる戦爆連合航空隊で、大陸戦線で活動後、昭和15年10月1日に内地帰還すると元山海軍航空隊と美幌海軍航空隊に再編された。美幌空は新規機材からなる陸攻隊で、元山空は一五空の機材を継承した戦爆連合隊となった。元山空は仏印進駐を皮切りに、太平洋戦争劈頭のインドシナ戦線で活動した。戦闘機隊も陸攻隊に随伴したが、昭和17年4月に陸攻隊がラバウルに派遣される一方、戦闘機隊はインドシナに残留することになり、統一指揮が不可能になった。6月に陸攻隊が内地に帰還したことを機に、戦闘機隊も帰還したが、その際に陸攻隊と完全に分離することとなり、9月20日をもって大湊海軍航空隊戦闘機隊を編入して二五二空が編成された。ソロモン諸島で連合軍の反攻が始まったことから、二五二空はラバウル進駐を目指して練成が始まり、11月に進出した。
[編集] ラバウル
- 昭和17年(1942年)
木更津で練成に従事。
- 11月1日 航空母艦大鷹に搭載し木更津発。第一空襲部隊(第二一航空戦隊)に編入。
- 11月7日 ラバウル着。
- 11月12日 初出動。ガダルカナル島ルンガ岬陣地爆撃隊の護衛。
- 11月17日 ブナ守備隊援護のためラエ飛行場に進出。以後、連合軍の空襲部隊を迎撃。
- 12月23日 ニュージョージア島ムンダ飛行場に分遣隊進出。
- 12月29日 ムンダ進出翌日からの空襲により壊滅、ムンダ飛行場を放棄。
- 昭和18年(1943年)
- 1月3日 ブナ守備隊玉砕。ラエ飛行場よりラバウルに撤退。
- 1月4日 ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)発動。支援のためラバウル・ブインに撤退。
- 1月25日 ガダルカナル島航空撃滅戦に参加。
- 1月29日 レンネル島沖海戦勃発、陸攻隊を護衛。
- 2月頃 81号作戦支援のためバラレ島に25機派遣。
- 2月28日 81号作戦決行。
81号作戦の護衛隊を任された二五二空だが、時を同じくしてマーシャル諸島への転進が命じられていた。これはマーシャルに展開する第二〇一海軍航空隊の再編作業が3ヶ月にわたり延期されていたためである。二〇一空の代替部隊として二五二空が充てられたため、二〇一空は本土帰還が可能になった。しかし、二五二空が担当していた81号作戦要員は大幅に削減された。3月3日、二五二空残留隊が非番の日に、81号作戦船団は壊滅した。
[編集] 内南洋
- 昭和18年(1943年)
- 3月3日 先遣隊、ウェーク島に到着。
- 3月12日 81号作戦用残留隊に原隊復帰命令。
全機クェゼリン環礁ルオット島・ウェーク島・ヤルート環礁イミエジに展開。
- 4月21日 ナウル島に敵機襲来、4機で迎撃。以後、ナウル派遣隊を設置。
- 7月19日 ウェーク島に敵機襲来、B-24撃墜2機、4機喪失。
- 8月頃 イミエジ派遣隊をマロエラップ環礁に進出。
- 9月1日 南鳥島に敵機動部隊襲来、ルオット本隊のウェーク進出を企図、のち解除。
- 9月18日 タラワ島に敵機襲来、マロエラップ派遣隊の大半をタラワに派遣。
- 10月1日 ルオット本隊、マロエラップに前進。
- 10月6日 ウェーク島に敵機動部隊・水上艦襲来。空襲・艦砲射撃で派遣隊機体喪失。
- 11月19日 ギルバート諸島全土とナウルでタラワ上陸事前空襲。ナウル派遣隊迎撃。
- 11月21日 タラワ陸戦開始。ルオット発の救援陸攻隊の護衛を図るが荒天のため引き返し。25日タラワ玉砕。
- 11月23日 ミレ島空襲、マロエラップ隊迎撃。
- 11月24日 翌日までマロエラップ隊はマキン島偵察攻撃を実施。21機撃墜・16機喪失。
11月下旬から12月上旬に頻発したギルバート沖航空戦・マーシャル沖航空戦には不参加。
- 昭和19年(1944年)
- 1月30日 クェゼリン環礁上陸事前空襲。マロエラップに延べ90機襲来、機体払底。
- 2月5日 撤退命令。
マロエラップに残留していたのは、奇しくも元一五空・元山空だった第七五五海軍航空隊36名と二五二空24名だった。旧元山空の残留者計60名は、七五五空にかろうじて残った陸攻3機に分乗し、トラックに脱出した。陸攻3機は補給後ただちに内地へ向かい、17日のトラック空襲、23日のテニアン空襲を逃れて生還を果たした。
[編集] 硫黄島
- 昭和19年(1944年)
- 2月20日 再編作業開始。第十二航空艦隊第二七航空戦隊に編入。定数48機。
戦闘第302飛行隊・戦闘第315飛行隊・戦闘第317飛行隊を新設充当。
以後、散発的に硫黄島に進出。
- 6月24日 硫黄島に敵機襲来。以後、断続的に空襲のため戦力消耗。
- 7月4日 この日の硫黄島空襲で機体全損。作戦行動不能。
- 7月10日 八幡部隊残留勢力を再編し、第三航空艦隊を新編。
解隊した第三〇一海軍航空隊を再編した攻撃第316飛行隊を編入。
10月より台湾・フィリピン方面で捷号作戦が実施されることになり、二五二空は戦317飛行隊を残してフィリピンに進出することになった。硫黄島の攻防は翌年3月の上陸戦まで一方的な空襲と散発的な迎撃で進捗した。11月27日、硫黄島に残留する三航空艦部隊は、サイパン島アスリート飛行場の強襲作戦を実行し、参加部隊は「第一御盾隊」と命名された。二五二空戦317飛行隊の12機も御盾隊に参加し、全機を失った。
[編集] フィリピン
- 昭和19年(1944年)
- 10月18日まで 戦317飛行隊を除く戦301・315・316飛行隊はルソン島バマラカット飛行場に進出。
- 10月24日 レイテ沖海戦に呼応し、航空総攻撃。26機で護衛中、敵機と遭遇し交戦。7機撃墜・11機喪失。
- 10月25日 撤退戦を上空支援、11機で出撃。
- 10月26日 タクロバンの敵輸送船団を襲撃。
- 11月1日 オルモック湾敵前輸送を上空支援。
二五二空としてのフィリピン戦線は11月後半に終結した。フィリピンの主力隊と目されていた二〇一空の消耗が激しいため、比較的数がそろっている二五二空の飛行隊を編入して両隊の維持を図ったためである。11月30日をもって、戦301・戦315・戦316の三個飛行隊は二〇一空に編入され、翌年1月の撤退までフィリピン戦線での航空作戦に従事した。一方、二五二空には11月15日に戦311、30日に戦301の二個飛行隊が編入された。これらは旧二〇一空の飛行隊だが、フィリピンで解散した初代飛行隊ではなく、内地で新たに編成された二代目であった。したがって、二五二空の系譜はここで断絶しており、撤退を経験せず帳簿上の変更で内地に戻った。
[編集] 内地
- 昭和19年(1944年)
- 11月15日 戦闘311飛行隊を再編。硫黄島の戦317飛行隊と合わせ二個飛行隊編成。
- 11月30日 戦闘第301飛行隊を再編。三個飛行隊に増強。
- 12月25日 第三四三海軍航空隊開隊、戦闘301飛行隊を移譲(通称「新撰組」)。
- 昭和20年(1945年)
- 2月5日 編成変更。戦304・戦308・戦311・戦313の四個飛行隊に改編。
第二〇三海軍航空隊戦闘308飛行隊・戦闘313飛行隊を二五二空に編入。
旧第二二一海軍航空隊戦闘304飛行隊を廃止、新編戦闘304飛行隊を二五二空に編入。
旧戦闘317飛行隊員を308に転籍。新編戦闘317飛行隊は第二〇五海軍航空隊に充当。
- 2月16日 翌日まで敵機動部隊艦載機が関東に襲来。戦313を除く三個飛行隊で迎撃。
- 2月25日 翌日まで敵機動部隊艦載機が関東に再来。迎撃。
- 2月26日 戦闘第311飛行隊を二〇三空に編入、ただちに国分飛行場に進出。
- 3月5日 戦闘第308飛行隊を第六〇一海軍航空隊に編入。
- 3月上旬 攻撃第3飛行隊を編入。
- 3月26日 天号作戦発動、戦313飛行隊・攻撃3飛行隊は富高飛行場に進出。
- 4月3日 沖縄沖の船団に向け戦313爆装零戦4・攻3彗星3で突入。
- 4月6日 「菊水一号作戦」発動、戦313・攻3は「第三御盾隊」を結成、27機出撃・9機喪失。
- 4月7日 東京・名古屋に空襲。茂原に残留した戦304が迎撃。
- 同日 第三御盾隊、二度目の出撃。18機出撃・5機喪失。
- 4月11日 第三御盾隊、三度目の出撃。
その後、第三御盾隊は第七五二海軍航空隊に編入され、沖縄方面で消耗。
- 4月12日 立川・郡山に空襲。茂原より4機で迎撃。
- 5月19日 名古屋に空襲。8機で迎撃。
- 5月28日 千葉県・茨城県の陸海軍飛行場をムスタング隊が強襲。10機で迎撃。
この強襲で茂原飛行場より郡山飛行場への退避が決定。
以後は本土決戦に備えた温存策が取られ、郡山に逼塞して終戦を迎えた。4月12日の第1回空襲は迎撃する立場だったが、7月29日の第2回空襲は迎撃せず、8月8日の第3回空襲では二五二空が退避する郡山飛行場そのものが標的となった。翌日の空襲と合わせて4回の空襲を阻止することは二五二空にはできなかった。終戦をもって二五二空は解散した。
[編集] 主力機種
[編集] 歴代司令
- 柳村義種(昭和17年9月20日 - )
- 舟木忠夫(昭和19年2月20日 - )
- 藤松達次(昭和19年7月10日 - )
- 斎藤正久(昭和19年11月15日 - )
- 榊原喜与二(昭和20年6月頃-終戦後解隊)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
- 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
- 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
- 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
- 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(2)』(朝雲新聞社 1975年)
- 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(3)』(朝雲新聞社 1976年)
- 『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦2』(朝雲新聞社 1973年)
- 『戦史叢書 マリアナ沖海戦』(朝雲新聞社 1968年)
- 『戦史叢書 海軍捷号作戦(2)』(朝雲新聞社 1972年)
- 『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』(朝雲新聞社 1968年)
- 『戦史叢書 本土方面海軍作戦』(朝雲新聞社 1975年)
- 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)
最終更新 2009年7月21日 (火) 15:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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