第二次ブルガリア帝国
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第二次ブルガリア帝国(ブルガリア語:Второ българско царство, 英語:Second Bulgarian Empire)は、12世紀後半から14世紀末(定義によっては15世紀前半)まで存続した国家。オスマン帝国によって滅ぼされた。
[編集] 歴史
ブルガリアは第一次ブルガリア帝国の滅亡後東ローマ帝国領となっていた。バシレイオス2世はブルガリアの事情に配慮した統治を行ったが、彼の後継者たちの時代になるとブルガリアには圧政がしかれ、民衆の不満が増大していった。12世紀後半にコムネノス王朝が倒されると東ローマ帝国は急速に衰退していった、そんな最中の1185年、タルノヴォ地方でブルガリア貴族の反乱が起こると、東ローマの統治に不満を持っていたブルガリアの人々はたちまち反乱者に荷担してゆき、1187年に反乱の指導者のひとりアセン1世が即位して第二次ブルガリア帝国(ワラキア=ブルガリア王国)を建国した。
第二次ブルガリア帝国は東ローマ帝国を破って勢力を拡大し、第四回十字軍によってコンスタンティノポリスが征服されて東ローマ帝国が滅亡する1204年までにトラキアの西北部まで勢力を拡大した。東ローマ帝国が滅びるとトラキアの正教会信徒の保護を名目にラテン帝国と戦い、1205年には第2代皇帝カロヤン=ヨハニッツァがラテン帝国の初代皇帝ボードゥアン1世を破った。
カロヤンの死後、イヴァン・アセン2世(アセン1世の子)とその従兄ボリルとの間で皇位をめぐっての争いが起きたが、イヴァン・アセン2世が最終的に勝利して皇帝として即位した。
イヴァン・アセン2世の時代にブルガリア帝国はアルバニア、マケドニアにまで進出してブルガリア帝国の最大版図を実現、帝国の最盛期を築き上げた。また、ヴェネツィア共和国と通商関係を結び、修道院や大学を建設するなど経済・文化的にもブルガリアに繁栄をもたらし、1235年には第1次ブルガリア帝国の滅亡以来失われていたブルガリア正教会の自治独立を回復した。
しかし1241年にイヴァン・アセン2世が死去して以降はモンゴル帝国の侵攻を受けて国土が荒廃し、また東ローマ帝国の継承政権の中でもっとも繁栄したニカイア帝国と戦って敗れた。13世紀末にはキプチャク・ハン国の有力者ノガイによる侵攻を受けてその属国に陥り、その後も1330年にはセルビア人に大敗、また皇族や貴族の間での内紛が続いて急速に衰退していった。
1362年に新興のオスマン帝国がブルガリアのすぐ南方にあたるトラキア地方のアドリアノープル(エディルネ)を征服するとブルガリアはその直接の侵攻にさらされるようになり、オスマン帝国に服属を余儀なくされた。オスマン帝国はさらにブルガリアの直轄地化を徐々に進め、1396年までに全ブルガリアがオスマン帝国に併合されて、第二次ブルガリア帝国は滅亡した。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年7月20日 (月) 08:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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