第二次怪獣ブーム

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第二次怪獣ブーム (だいにじかいじゅうぶーむ)とは、1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)ごろにかけてテレビ番組を中心として起こった社会現象。別称、「変身ブーム」。「特撮TV番組」だけでなく、「アニメTV番組」も含まれる。

目次

[編集] 概要

発端年である1971年(昭和46年)は、第二次ベビーブームに伴う児童増加に伴い、「勧善懲悪ヒーロー」が登場する番組がテレビ子供番組を網羅していた時代。1966年(昭和41年)発端の「怪獣ブーム」はすでに過ぎ、映画界は斜陽を迎え、テレビ番組が子供たちの娯楽の主役となり、また子供番組特撮よりも「スポ根もの」やアニメが大半を占めていた。しかし、「第一次怪獣ブーム」期の作品の再放送は絶えず続けられていた。

1971年(昭和46年)1月2日、ピープロダクションフジテレビで「怪獣ブーム」再燃の発端と言われる『宇宙猿人ゴリ』を放映開始。およそ3年ぶりに「巨大ヒーロー番組」がテレビに帰ってきた。同作はじりじりと人気を上げ、1クール目(13話)を過ぎるころにはついに裏番組の強敵『巨人の星』の視聴率を抜いた。

続いて4月より、かつて「怪獣ブーム」を支えた円谷プロによる『帰ってきたウルトラマン』がTBSで放映開始。時代は「スポ根ブーム」から、再び「怪獣ブーム」に巻き返されることとなった。

この社会現象としての「怪獣ブーム」、「変身ブーム」が「第二次怪獣ブーム」との呼称で文献に現れるのは1979年(昭和54年)発行の「空想特撮映像の素晴らしき世界・ウルトラマンPART2」(朝日ソノラマ刊)、「大特撮」(有文社刊)などからである。

[編集] 「仮面ライダー」と「変身ブーム」

第一次怪獣ブーム」との違いは、『帰ってきたウルトラマン』と同じ4月に毎日放送で放映開始された東映制作の『仮面ライダー』によって明確にされた、「変身」と言う概念である。

当時のマスコミはこの社会現象を「怪獣ブーム」とする一方、この『仮面ライダー』起源の「変身ブーム」、「ヘンシンブーム」と呼び習わしていた。前回のブーム時とは異なり、今回のブームでの子供たちの嗜好は、「等身大変身アクション」に傾いていた。前回ブームの主役であった円谷プロが制作した『帰ってきたウルトラマン』は、常時30%に迫る視聴率を上げていた『仮面ライダー』に、ついに視聴率で勝つことが出来なかったのである。

1972年(昭和47年)に「変身ブーム」は最高潮に達し、本家『仮面ライダー』の番組中のアクションを真似して、怪我をする子供たちが社会問題となった。また、2月には児童の死亡事故も起こってしまった。同様の問題は、昭和30年代の「忍者ブーム」の際に、「忍者ごっこ」で子供たちが怪我をする、という前例があるが、制作局の毎日放送はこれを重要視し、ついには番組中で主人公「本郷猛」による呼びかけが行われる事態となった。この呼びかけは次作『仮面ライダーV3』にも引き継がれている[1]

この空前の「変身ブーム」を語る際に欠くことのできない事項として、「東映生田スタジオ」の存在がある。『仮面ライダー』を制作するために東映の資本下に新設されたこの「東映生田スタジオ」は、以後『仮面ライダーシリーズ』を中軸に、『超人バロム1』、『変身忍者嵐』、『イナズマン』など、次々に等身大変身アクション番組を送りだし、まさに「変身ブーム」の屋台骨となった。

[編集] 「変身ポーズ」の登場

『仮面ライダー』は、巨大ヒーローものと一線を画す「等身大のヒーロー」であり、当初はスタッフも路線に迷い、巨大ヒーロー化案が検討された経緯があるが、7月からの「二号ライダー」登場に伴って、定番パターンとして歌舞伎の「見得」を採り入れた「変身ポーズ」を劇中に盛り込んだ。

主人公の「一文字隼人」がヒーローである「仮面ライダー」に変身する際に、「変身!」と掛け声をかけ、揃えた両手を大きく振りかぶって「決め」をとるこの「変身ポーズ」は、その真似のしやすさもあって子供たちの間で爆発的なブームを呼び、「変身ポーズ」と「変身」は一大社会現象となって、文字通りテレビ番組、日本列島を席巻していった。子供たちは、こぞってこの「変身ポーズ」を遊びに採り入れ、まさに子供の遊びの作法を一変させた。

また「変身ポーズ」は他番組にも多大な影響を与えた。「変身ブーム」の真っただ中に円谷プロが制作した『ウルトラマンA』は、「男女合体変身」という新機軸を盛り込んだ意欲的な作品だったが、「子供たちが変身ごっこをする際に真似しにくい」との理由が大きな要因となって、結局、劇中から設定自体が排除され、より真似しやすい単独変身に変更されてしまったのである。

[編集] 「怪人」と「戦闘員」の登場

「仮面ライダー」のエポックとしてもうひとつ、「怪獣」にとって代わる存在としての「怪人」というキャラクターが挙げられる[2]。エキスプロのデザイナー三上陸男は、「それまでの怪獣は人間の体形から離れようとしたが、仮面ライダーの怪人は逆に人間の体形に近づけていった」とコメントしていて、「怪人」はあくまで「怪獣」と差別化する方向で造形されていた。「仮面ライダー」の巨大化案が検討された際も、石森章太郎の怪人デザインはあくまで人間体形だった[3]。こうして石森のデザインをエキスプロの高橋章がまとめる形で生み出されていった、この「ベルトを着け、ブーツをはいた戦闘用改造人間=怪人」のイメージは、子供たちに怪獣と並ぶキャラクターとして絶大な人気を得ることとなり、「変身ヒーロー番組」に「怪人番組」の別称をも与え、現在もなお引き継がれる意匠となっている。1971年(昭和46年)にケイブンシャが発行した写真図鑑の題名は、「原色怪獣怪人大百科」と「怪人」が「怪獣」と並んだ存在として銘打たれている。

さらにもうひとつ、「仮面ライダー」発祥の大きな要素として、「怪人」に付加して「戦闘員」というレギュラーキャラクターの登場が挙げられる。「ショッカー戦闘員」に始まる「全身タイツに身を包み、奇声を発しながらヒーローを群がり襲う戦闘員集団」というイメージは、以後に続く特撮ヒーロー番組の劇中アクション、またアトラクションに欠かせない重要なキャラクターとなり、現在では漫才やコントにまで取り入れられるポピュラーな存在となっている。

[編集] 他番組への影響

この『仮面ライダー』は、大野剣友会による『柔道一直線』からの流れを汲んだ身体を張ったアクションと、JACによる派手なトランポリンアクションが呼び物で、このアクションスタイルは同時期の巨大ヒーローものにも波及。怪獣ブーム本家の円谷プロの「ウルトラシリーズ」や、「スポ根ドラマ」にもトランポリンアクションを積極的に導入させる影響を与えた。

またピープロ制作の『宇宙猿人ゴリ』の変身ヒーロー、「スペクトルマン」も、シリーズ後半は等身大のアクションが増加。一方、宣弘社制作の『シルバー仮面』は、等身大ヒーローの設定を捨て、中途から巨大ヒーローものにシフト。「巨大ヒーロー」と「等身大ヒーロー」がしのぎを削ったのも特徴である。

仙台においては多くのこれらの変身ヒーロー番組にエンドーチェーンがスポンサーにつき、ついにオリジナルのヒーロー番組「レインボー・アタックエース」を送り出すに至った。

[編集] スポ根ブームの影響

この時期の「怪獣ブーム」作品には、前回ブームの後定着した「スポ根ブーム」が色濃く影響しているのが特徴である。「変身」前の素顔の主人公たちは、内面に悩みを抱え、また次々に登場する強敵に対し、ありえないような超人的な「特訓」を重ねることによってその技を破り、これに打ち勝とうとするのである。

『仮面ライダー』の企画初案は、『タイガーマスク』がはっきりと意識され、特訓を重ねる主人公像が明記されており、劇中で何度も主人公は「挫折と特訓」を繰り返す。この「挫折と特訓」は、『帰ってきたウルトラマン』以後、作劇的に無縁だったはずの「ウルトラシリーズ」にまで及ぶこととなっている。

[編集] ジャンルの多様化

また、このブームも前回の「第一次怪獣ブーム」に続いて、あらゆるメディアに様々な影響を与えた。実写のヒーロー番組も、「巨大ヒーロー」、「等身大ヒーロー」に加え、「時代劇ヒーロー」、「ロボットヒーロー」、「中継録画」、「人形アニメ」などと作品内容に様々なバリエーションを生むこととなった。

「怪獣ブーム」としても、前ブーム時に怪獣を主人公にしたアニメーション『おらぁグズラだど』を送り込んだタツノコプロにより『かいけつタマゴン』(1973年)が製作され、バラエティ番組においても、円谷怪獣がレギュラーで出演するバラエティ番組『ハッチャキ!マチャアキ!!』(1971年)。オリジナルの怪獣が登場する『マチャアキ・前武・始まるョ!』(1971年、ガリガリ、ベロベロ)や『ひらけ!ポンキッキ』(1973年、ガチャピンムック)など、特撮番組以外のメディアにまで怪獣は進撃してきたのである。

1972年(昭和47年)にはNETが、当時「お化け番組」と呼ばれた『8時だョ!全員集合』に対抗し、「変身大会」と銘打って実写番組の『人造人間キカイダー』とアニメ番組の『デビルマン』、『キューティーハニー』などとの変身もの二本立て企画をぶつけ、当時子供番組枠としては異例の夜20時から1時間枠の放送が実現、加熱ブームを示すこととなった。

同年末、東映動画が制作した『マジンガーZ』が放映開始されると、大半の児童の興味の対象は「巨大ロボットアニメ」に移行して行った。この影響を受けて特撮巨大ヒーロー番組も、宣弘社が『スーパーロボット レッドバロン』、円谷プロが『ジャンボーグA』を制作するなど、ロボットヒーローが増加したのも特徴のひとつである。

[編集] 映画界の動き

この「変身ブーム」は、「怪獣ブーム」の本家のはずの東宝の「ゴジラシリーズ」にも影響を与え、『ゴジラ対メガロ』では等身大から巨大化するロボットヒーロー「ジェットジャガー」の登場を招いた。東宝はこのブーム期も「東宝チャンピオンまつり」として、「ゴジラシリーズ」の新作に加えて過去作品の再上映を続け、ブームの一翼を担っている。一方で製作本数の深刻な減少から、東宝はTV界に活路を求め進出、『愛の戦士レインボーマン』や『光の戦士 ダイヤモンド・アイ』など「等身大変身ヒーロー番組」を制作したほか、『流星人間ゾーン』で「巨大変身ヒーロー番組」にも取り組み、劇中にゴジラ他東宝の映画怪獣を登場させている。

東映は自社の「東映まんがまつり」に『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』などの得意の等身大変身ヒーローの中編映画を、東映動画のTVアニメやオリジナル企画アニメと組み合わせた番組として盛り込み、大いにブームを過熱させた。

前回のブーム時で見られた松竹日活など各映画会社の参入は、大映の倒産などもあり、邦画の斜陽と併せて今回は見られず、円谷プロが「創立ニ十周年記念映画」として『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』を制作して東宝系で公開し気を吐いたのみに終わった。

[編集] 商品展開

予算のかかる特撮番組には、キャラクター商品化をあてにしたスポンサー契約が欠かせないものとなった。前ブームにも増してキャラクター商品が店頭に立ち並び、食器・日用品から学用品まで、再び怪獣・ヒーローのイラストなどをあしらった商品が子供のいる家庭に溢れ返ることとなった。『愛の戦士レインボーマン』DVDで、同作プロデューサー衛藤公彦は、「とにかくレインボーマンのキャラクター商品が飛ぶように売れて莫大な収入になった。特に茶碗などの食器や日用品がよく売れた」と述懐しているが、当時のヒーロー番組はどこも似たような状況であった。

半面、スポンサーの要求は次第に大きくなり、またその意向で番組が左右される例も増えた。「イナズマンF」では、スポンサーへの配慮としてヒーローメカ「雷神号」のスポットコーナーが番組内容と関係なく巻末に挿入されている。「スーパーロボット レッドバロン」のようなスポンサー倒産による番組打ち切りの例は、続く「万創」の倒産によって特撮番組全体に波及した。

また、カラーテレビの普及に伴い、派手な色彩を強調したヒーロー・メカも増加。本ブーム以降、商品化を意識したキャラクター作りはヒーロー番組全体に及んでいった。

[編集] 出版媒体

「第一次ブーム」を支えた「週刊少年マガジン」などの週刊少年漫画誌が対象年齢引き上げに伴い特集記事扱いからほぼ撤退、石森章太郎(石ノ森章太郎)の「原作漫画」掲載などにとどまった。

代わりに今回のブームでは、前回の週刊誌中心の記事掲載から、「テレビマガジン」、「テレビランド」、「冒険王」、「小学館の学年雑誌」など月刊誌が中心となったタイアップ参加が行われ、前回ブーム時にも腕を振るった、梶田達二南村喬之、前村教綱らによる精緻な怪獣・ロボットのイラストがグラビアを彩った。

こうして、『仮面ライダー』での「ショッカー首領の素顔の想像図の公募」、『仮面ライダーV3』での「○○一族の月替わりの登場」といった、月刊誌に合わせての番組と紙面掲載をリンクさせた企画が起こされ、「雑誌とテレビ番組が互いに本編設定を補完し合う」という形での、実写とアニメを組み合わせた様々な特集企画は、「巨大ロボットアニメブーム」と並行させてブームを盛り上げた。

小学館の独自企画としては、誌上懸賞によって読者プレゼントされた「特製怪獣ピンバッジ」が挙げられる。また、「とびだす絵本」を主戦力とした「万創」は、このブーム時に実写・アニメ番組の巨大スポンサーに成長した。

[編集] 音楽・映像媒体

朝日ソノラマなどの「ソノシート」に加え、『仮面ライダーヒット曲集』に始まる「挿入歌集」のレコード化がヒットを呼び、番組混載型のLP盤と併せ、各番組がこぞってリリースに及んだ。『仮面ライダー』の正副主題歌のシングルレコードは90万枚を突破。生産が追い付かないほどのミリオンセラーとなり、経営不振にあえいでいた日本コロムビアを一気に盛り返させた。

東宝は、過去の怪獣映画作品のハイライトシーンを、数分の8mmフィルムに再編集し、ソノシート絵本と抱き合わせにした商品を販売した。

[編集] 玩具業界

「変身ブーム」本家の『仮面ライダー』の本格的な商品展開は、1971年(昭和46年)の夏以降であった。下項にある毎日放送主催の7月の実演ショーでは、仮面ライダー商品を景品に配る予定が「生産準備中」とのことで配布できなかったというエピソードが残っている[4]。しかし2号ライダーが「変身ポーズ」を披露して以後、仮面ライダーの玩具商品は爆発的なヒットとなって市場を席巻し、多大な影響をもたらしていった。

ブルマァク」と社名を変更したマルザンによって、ソフビ人形が再びブームとなった。『仮面ライダー』のソフビ人形は、『タイガーマスク』の同種人形に倣い、マスクが脱着可能となっていて、ここでも「変身」が強調されていた。この着脱式のマスクという意匠は、巨大ヒーローの『ミラーマン』など別種のはずのソフビ人形にも影響を与えている。

タカラによって、男の子向け着せ替え人形ともいえる「変身サイボーグ1号」が登場。リアル志向のフィギュアの草分けともされている。 このタカラからは、怪獣のイラストなどをプリントしたビニール風船型のサンドバッグ玩具「パンチ・キック」もヒットシリーズとなった。

また、今井科学バンダイやその傘下のポピーによるプラモデル、またヒーローマシンが玩具市場を賑わせた。『仮面ライダー』の「単車に乗る等身大ヒーロー」の玩具意匠は、『帰ってきたウルトラマン』など巨大ヒーローにまで波及、「乗物に乗った巨大ヒーロー」といった珍妙な玩具形態をも生んでいる。

ブリヂストンサイクルは、『仮面ライダー』が乗るオートバイを模した「ドレミシリーズ」を発売、大ヒットとなり、以後、自転車業界では番組キャラクター意匠を付加した児童向け商品が一大市場となった。

また、ブーム最大のヒット商品として、ポピー1972年(昭和47年)に発売した、『仮面ライダー』の「変身ベルト」がある。劇中の変身ベルトを模した玩具としては、タカトクトイスが先行し発売していたが、ポピーが劇中の描写に合わせ発光回転ギミックを内蔵し、「光る、回る変身ベルト」として発売、当時の価格で1500円という高額にもかかわらず、子供たちの「仮面ライダーごっこ」に欠かせないアイテムとして大ヒットとなった。

結果、この「変身ブーム」において、低予算で制作された『仮面ライダー』は、商品化ビジネスによって3億円(当時)という莫大な版権収入を制作会社にもたらした。しかし一方、上記したようにこれら玩具メーカーのスポンサー参加によって、ブームの過熱と並行して、番組キャラクターにその意向が反映される傾向が強くなっていく。

[編集] 製菓業界

カルビー1971年(昭和46年)に販売開始した、ヒーロー仮面ライダーや敵役の怪人たちの懸賞付きブロマイドカードを「おまけ」として同封した袋入りのスナック、「仮面ライダースナック」が大ヒット。カード欲しさに子供たちが本体のはずの菓子を食べずに捨てたり、親の財布からお金を抜いたりといった教育問題まで惹き起こした。翌年になってカードブームはさらに過熱。他社のヒーロー番組からも、フーセンガムや同様の袋入りカード菓子が競って発売された。

[編集] アトラクション興行

前回の怪獣ブームでは、怪獣のぬいぐるみ(着ぐるみ)と子供たちの触れ合い程度の規模だった「アトラクションショー」が、この第二次ブームでは激しい立ち回りを伴った、ヒーローと怪人・怪獣とのアクションショーに変貌した。

公開型の興行として先駆けとなったのは、変身ブームの金字塔『仮面ライダー』の「実演ショー」であり、1971年(昭和46年)の7月に毎日放送の招きで行われた大阪のミリカプールでの興行が初で、この際にはあまりの人出に警察が出動する騒ぎとなったという。以後、豊島園を皮切りに東京でも「仮面ライダーショー」は行われ、大盛況となっていった。これらのショーは、番組中と同じく大野剣友会のメンバーが殺陣を演じた本格的なものであり、翌年には後楽園ゆうえんちが常設ステージを設け、この「テレビと同じアクション」を売りにしたアクションショーは全国に波及していった[5]

円谷プロやピープロといった制作会社もこの盛況ぶりに注目し、「アクション」という要素を加味されたアトラクションショーが各地の遊園地、デパート屋上などで催され、制作会社にとっても重要な収入源となっていった。また、撮影用の怪獣造形自体も、こうしたアトラクションに合わせた丈夫なものが要求され、ことに「ウルトラシリーズ」では色遣いやデザイン・造形面にも強い影響が見られるようになった。ことに細部の作りよりも丈夫さを優先したアトラクション用の怪獣が、テレビ本編に「逆輸入」されて登場する例も多々見られ、怪獣のクオリティ面でちぐはぐな面が目立つこととなっている。

[編集] ブームの終焉と以後

1973年(昭和48年)には、過去作品の再放送も含めてゴールデンタイムのテレビにヒーローものが放映されない日はない、という加熱ブームとなった。しかし、同年末の第一次石油ショックによる制作費の高騰、特撮資材の不足、さらにこのブームを支えた大手スポンサー「万創」の倒産が決定打となり、番組制作の撤退が相次ぐこととなった。1974年(昭和49年)以降は製作費のかさむ巨大ヒーローはなりを潜めていく。

1975年(昭和50年)には、円谷プロが『ウルトラマンレオ』でシリーズをいったん終了。同年、東宝も『メカゴジラの逆襲』をもって、ゴジラシリーズの新作の製作を終了、マスコミはこれを「怪獣ブームの終焉」と位置づけた。また変身ヒーローの元祖「仮面ライダーシリーズ」も『仮面ライダーストロンガー』を以て終了した。

その後、『がんばれ!!ロボコン』や『恐竜探険隊ボーンフリー』といった、本流とは言いがたい作品群がしばらく台頭してくるが、その後ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーの三大タイトルが休止している間も東映によってさまざまな作品の制作が続けられ(『秘密戦隊ゴレンジャー』等)、巨大ヒーロー番組の制作がほぼ途絶えた以後、「等身大変身ヒーロー」に特化してのこのジャンルは、東映の独壇場ともいえる状況となっていった。

[編集] ブームを支えた裏方たち

[編集] アクションチーム

『仮面ライダー』ブームは、変身・怪獣番組に、より過激で高度なアクションを要求していった。様々な団体が、子供たちの声援を背に、危険なスタント・殺陣に取り組んだ。

殺陣師大野幸太郎が創設。『仮面ライダー』で殺陣師高橋一俊が「変身ポーズ」を生み出す。「東映生田スタジオ」作品のほとんどを担当。後楽園ゆうえんちのアクションショーも担当、ブームの立役者。
  • 三島剣技会
殺陣師三島一夫が創設。ブーム期に『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』などを担当。
  • JAC(ジャパン・アクション・クラブ、通称ジャック)
千葉真一が創設。『ロボット刑事』で初めてアクションを単独担当、大野剣友会と並んでブームの一翼を担う。
  • JFA(ジャパン・ファイティング・アクターズ、通称ジェファー)
俳優渡辺高光が創設。映画をはじめ、ピープロ、国際放映作品などを担当。上西弘次とも提携。
林邦史朗が創設。おもに宣弘社日本現代企画作品を担当。

ほか多数

[編集] 造形技術者

怪獣や怪人などのキャラクター制作、ヒーローマシンから美術全般まで、造形者たちがセンスを競い合い、ブームを支えた。過激なアクション志向によって耐久度の高い造形が求められ、苦労は多かったという。

第一期ウルトラシリーズで数々の名作怪獣を作り出し、「怪獣作りの名人」と呼ばれた前衛画家。ピープロ、円谷プロ、日本現代企画作品を主に担当。
  • エキスプロダクション
大映の美術スタッフだった八木正夫が創設。「東映生田スタジオ」に常駐し、仮面ライダーシリーズを初め、同スタジオ作品のほとんどで美術・造形全般、特撮を担当。『サンダーマスク』やウルトラシリーズでも怪獣制作を行う。
  • 開米プロダクション
東宝の美術スタッフだった開米栄三が創設。第二次ブームではウルトラシリーズやキカイダーシリーズを担当。アトラクションにも耐える丈夫な怪獣造形で定評を得た。
  • アルファ企画
東宝の美術チーフを務めた井上泰幸が創設。ピープロ作品、東宝のゴジラシリーズなど、多岐に渡って美術全般を担当。
比留間伸志が創設。ウルトラシリーズをはじめ、特撮作品に登場する各種超兵器、マシンやロボットを製作。
  • ゼン工芸
小野善次郎が創設。ピープロ作品などで活躍。
  • ツェニー
村瀬継蔵が東宝からエキスプロを経て1972年に創設。『ウルトラマンA』の超獣や『超人バロム1』、『クレクレタコラ』など、多数の作品を担当。

他多数

[編集] 年代別主な代表作品

加熱する一方の「変身ブーム」は、番組内容に様々な新機軸を生みだした。

[編集] 1971年

≪TV実写作品≫

主人公ヒーローの「スペクトルマン」は、「巨大化変身サイボーグ」の元祖。変身ブームを受け、のちに題名を「スペクトルマン」と変更。
変身ポーズ」を社会現象にまで押し上げたエポック作品。オートバイや変身ベルトなどのアイテムも人気となり商品化された。また、敵キャラクターに「怪獣」に代わる「怪人」の意匠を打ち出し、現在にも受け継がれる名称となった。
「仮面ライダー」の影響からトランポリンアクションを導入。本作以後「宇宙人」に代わり「星人(せいじん)」の呼称が登場。
変身ヒーローの草分け「月光仮面」を制作した宣弘社の制作。後半は巨大化設定に変更され、「シルバー仮面ジャイアント」となる。
朝日放送が参戦。学園ファンタジー路線から、後半は変身アクション番組へ変貌。実写では「変身ヒロインもの」の元祖。

≪映画作品≫

東宝チャンピオンまつり」の番組のひとつとして制作された。以後、「ゴジラが他怪獣の挑戦を受け、怪獣チャンピオンを競い合う」というコンセプトの下、ゴジラのヒーロー性が強調されていく。
大映ガメラシリーズ最後の作品。公開直後に大映は倒産する。

[編集] 1972年

≪TV実写作品≫

「男女合体変身」や、『仮面ライダー』の敵「ショッカー」のようなシリーズ初のレギュラー敵キャラクター「ヤプール人」など、新機軸設定を導入するが、子供たちの支持を得られず途中消滅。また、「怪獣」にとって代わる「超獣」の意匠を打ち出した。
時代劇変身ヒーロー」。特撮番組初の「アンチヒーロー」としてのライバル、「タイガージョー」が登場。大評判となった。「ゴースン魔人」の意匠を打ち出す。
「時代劇変身ヒーロー」。毎日放送が「時代劇版・仮面ライダー」として制作。
子役による「合体変身」が新機軸。よみうりテレビがヒーロー番組に参戦。「怪人」と差別化した「ドルゲ魔人(企画当初は妖人)」が登場。
等身大から巨大化への新機軸「二段変身」が売り物。「怪獣」と差別化した「魔獣」が登場。
「等身大変身ロボットヒーロー」。「怪人」と差別化した「怪獣ロボット」が登場。「8時だョ!全員集合」に対抗し、夜20時枠の放送。
東宝国際放映とともにTV「変身ヒーロー」に参戦。主人公ヒーローは七つの姿に変身する。
円谷プロから分れた「日本現代企画」の「巨大化変身サイボーグヒーロー」。
五分枠の帯番組。三人の兄妹が変身、さらに合体変身する。
変身ヒーローの登場しない怪獣アンソロジー。
公開型の中継番組形式の異色作。『仮面ライダー』にぶつけて同時間枠に放送。
番組中コーナー枠で、3年間にわたり、レッドマン行け!ゴッドマン行け! グリーンマンクレクレタコラ行け! 牛若小太郎を数分間の特撮ヒーロー番組として放映。
  • レインボー・アタックエース
ブームに乗り、仙台エンドーチェーンにより製作され、東北地方で放送されたヒーロー番組。現代においてはローカルヒーローの始祖とされる。

≪TVアニメ作品≫

“変身”の概念を強調、「妖獣」の意匠を打ち出した。籏野義文プロデューサーは、ロマンアルバム誌で「妖獣」について、「独自の名称として社会にアピールし『怪獣』によく対抗できた」と述懐している。「人造人間キカイダー」とのNETテレビ「変身大会」の番組のひとつ。

≪映画作品≫

「東宝チャンピオンまつり」の春興行番組のひとつ。派手な色彩デザインの新怪獣ガイガンが大人気となる。劇中の主人公は怪獣ブームに翻弄される怪獣漫画家。
東映まんがまつり」春興行番組として制作された新作中編映画。TV復帰を前に、「一号ライダー・本郷猛」が、初めて「変身」の掛け声とともに「変身ポーズ」を披露した。
「東映まんがまつり」夏興行番組として「へんしん大会」と銘打ち、主軸制作された新作中編映画。
中編アニメ作品。「東映まんがまつり」夏の「へんしん大会」の番組のひとつ。変身サイボーグ犬たちの活躍を描く。
「東宝チャンピオンまつり」の冬興行番組のひとつ。「円谷プロ創立10周年記念作品」の特撮怪獣ファンタジー。

[編集] 1973年

≪TV実写作品≫

商品化を強く意識した「変身グッズ」として「ファイヤースティック」が登場。
主人公が搭乗操縦する「変身巨大ロボットヒーロー」。
「仮面ライダー」を意識したような、派手な「変身ポーズ」が見られる。
「刑事ドラマ」と「変身しない等身大ロボットヒーロー」が融合。
「時代劇」に「西部劇」テイストを加味した異色の変身ヒーロー。
「妖怪ブーム」を意識し、オカルトアクションを展開。「怪人」と差別化した「原人」が登場。
当時の「超能力ブーム」を設定に導入。ヒーローマシン「雷神号」がポピー社の大ヒット商品となる。
人形アニメを主体とした異色作。
主人公が搭乗操縦する「マジンガーZ」型の巨大ロボット。
東宝の「ゴジラシリーズ」の怪獣がゲスト出演し話題となる。「怪獣」と差別化した「恐獣」が登場。
大和企画、京都映画宝塚映画など、関西の制作会社が番組参戦した「時代劇変身ヒーロー」。

≪TVアニメ作品≫

「変身」を強調したヒロインアクション。「キカイダー01」とのNETテレビ「変身大会」の番組のひとつ。

≪映画作品≫

「東宝チャンピオンまつり」の春興行番組のひとつ。巨大化するロボットヒーロー「ジェットジャガー」が登場。ゴジラは完全に正義のヒーローとなる。
「東映まんがまつり」の春興行番組として「立体映画」形式で制作された新作中編映画。赤青のセロハンを貼った専用の紙製立体メガネが劇場で配られた。
「東映まんがまつり」の夏興行番組として制作された新作中編映画。

[編集] 1974年

≪TV実写作品≫

ロボットヒーロー的メカニカルアクションを導入。前半はライバル悪役「アポロガイスト」、後半は「巨大ロボット」の「キングダーク」が登場。
当時大ヒットしていたブルース・リー映画の空手・カンフーアクション、また「仮面ライダー」的トランポリンアクションを導入。「スポ根」の影響も色濃い。
主人公が遠隔操縦する「等身大ロボットヒーロー」。当時大ヒットしていたブルース・リー映画の空手・カンフーアクションを導入。
「怪人」のマンネリ化を嫌い、より「怪獣」的なシルエットを持つ「獣人」が登場。
アオシマから発売されたマッハバロンのプラモデルは、翌年にかけ業界最大のヒットセールスを記録。
日活が変身ヒーロー番組に参戦。

≪映画作品≫

「東宝チャンピオンまつり」の春興行番組のひとつ。「巨大ロボット怪獣」の「メカゴジラ」が登場、ゴジラを喰う人気を得たメカゴジラの玩具商品は大ヒットとなった。
「東映まんがまつり」の春興行番組として「立体映画」形式で制作された新作中編映画。赤青のセロハンを貼った専用の紙製立体メガネが劇場で配られた。
「東映まんがまつり」の夏興行番組として制作された新作中編映画。

[編集] 参考文献

  • 「ファンタスティック・コレクション」VOL9・10・16・48、「ウルトラセブンアルバム」(朝日ソノラマ)
  • 「変身ヒーロー大全集」、「仮面ライダー大全集」、「講談社オフィシャルファイルマガジン:仮面ライダー」(講談社)
  • 「TOWNMOOK増刊:仮面ライダー」(徳間書店)
  • 「検証・第2次ウルトラブーム」:帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA、ウルトラマンT、ウルトラマンレオの各巻(タツミムック)
  • 「大野剣友会伝」(風塵社)
  • 「大ゴジラ図鑑1・2」(ホビージャパン)
  • 「ウルトラマン対仮面ライダー」(文春文庫PLUS)

[編集] 脚注

  1. ^ 「仮面ライダーオフィシャルファイルマガジン」(講談社刊)
  2. ^ 東映の企画ビデオ「東映怪人大図鑑」(東映ビデオ)では、「東映が生み出した驚異の新概念、“怪人”」とのナレーションが入る。
  3. ^ 「TOWNMOOK増刊:仮面ライダー」(徳間書店)
  4. ^ 「TOWNMOOK増刊:仮面ライダー」(徳間書店)
  5. ^ 「大野剣友会伝」(風塵社)、「仮面ライダーオフィシャルファイルマガジン」(講談社刊)

最終更新 2009年11月13日 (金) 06:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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