笹川繁蔵
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笹川繁蔵(ささがわ の しげぞう、文化7年(1810年) - 弘化4年7月4日(1847年8月14日))は江戸時代の侠客である。『天保水滸伝』の同名の作中人物のモデル。
下総国海上郡笹川村(現・千葉県香取郡東庄町)に住まい、大親分として侠名をうたわれた。天保15年(1844年)、銚子の陣屋から十手を預かる下総の親分飯岡助五郎と勢力を争い、須賀山明神の境内で飯岡側の230人を一時は敗走させた。
紛争後、笹川繁蔵はやむなく故郷を立ち去り、伊勢路を目指した。弘化4年(1847年)、笹川に舞い戻り、飯岡を討とうとしするものの、頼りとする富五郎、その他の子分の騙しにあう。これに憤激し、笹川繁蔵は独力で飯岡を討とうとするも、飯岡はこれを知って笹川の名主平左衛門と手を結んだ。その後、笹川繁蔵は飯岡に謀られ、闇討ちにあって殺された。
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最終更新 2009年5月20日 (水) 22:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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