算段の平兵衛

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算段の平兵衛 』(さんだんのへいべえ) は、上方落語の演目の一つ。

戦後やり手がなく滅んでいた噺を、3代目桂米朝が先人から断片的に拾い聞きして集め、それを綴り合せて演じた。

人間のを根底のテーマとしており、上方落語としては珍しくくすぐりが少ないが、それだけに技量が試される噺であり、多数の噺家が挑戦している。中でも月亭可朝月亭八方桂文珍といった、一般世間では本格的な落語をあまりしないと思われている (実際には3人とも本格派である) ような噺家が揃って得意演目にしていることは特筆に価する。


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


目次

[編集] あらすじ

とある年老いた庄屋、お花というを囲っていたが悋気持ちの女房(以下「婆」)に知れてしまった。お花を村から追い出すのは忍びないと思った庄屋、「算段の平兵衛」と呼ばれる村の男にお花を嫁がせることにする。手切れのお金も誂えの着物も一緒に手に入れた平兵衛は、賭博に遊興にと散財し放題。そのうち着物も道具も持ち出すようになり、ついには明日の米にも事欠くありさま・・・。

そこで平兵衛は算段をする。お花に色目を使わせて庄屋を家に呼び込み、庄屋がお花の手でも握ろうとした瞬間に平兵衛が現れる、いわゆる美人局 (つつもたせ) である。さっそくこれに引っ掛かってしまった庄屋だが、出てきた平兵衛があまりに強い暴行を加えたため、あっさりと死んでしまったのだ。

慌てた夫婦だが平兵衛は一計を案じる。夜になってから死骸を庄屋の家の前まで運ぶ。そして庄屋に成りすまし、家の中の婆に帰宅したと告げた。悋気持ちの婆はお花の許へ通っていて帰宅が遅くなったのだろうと詰り、戸を開けない。「庄屋が締め出されて謝ってるなんて恥さらされん。首吊って死なんといかん」と庄屋の振りをした平兵衛に、「甲斐性があるなら首でも何でも吊れ!」

この一言を待っていた。平兵衛は庄屋の帯を木の枝にくくり、そこに庄屋の首を吊るしてそそくさと帰ってしまう。そうとは知らない婆、雨戸を開けて仰天。自分が吐いたひと言を真に受けて、本当に夫が首を吊って死んでいる! 首吊りは変死、村の庄屋がお上の詮議を受けるようなことになれば家の恥・・・狼狽した婆が向かった先は、あろうことか算段の平兵衛の家だった。何とか穏やかな話にまとまるように算段を頼む婆に二十五両の金を出され、平兵衛は知恵を絞る。

死骸を浴衣に着せ替え、平兵衛も浴衣に着替えて、夜陰に紛れ隣村の盆踊りの練習会場へ。踊りの輪の中に平兵衛は死骸を抱いて紛れ込み、躍らせながら冷たい手で隣村の男の頬をなで回したのである。暗くてよく見えない村人たち。自分たちの踊りをよそ者に邪魔されていると思い込み、触れてきた手をつかんで「こいつや!」一斉に死骸めがけて殴りかかった。平兵衛はすかさず死骸を放り出して再び夜陰に紛れた。

殴り終わってから、ぐったりとしている男の顔を見て村人は驚愕する。なんと隣村の庄屋ではないか。しかも死んでいる! 自分たちが殴り殺したと思い込んだ村人は、隠居から二十五両借りて隣村の平兵衛の許へ算段の相談に行く。明るみに出れば誰が殺したかも判らないのに下手人を出さねばならぬし、二つの村が仇同士になるからこの二十五両でどうか丸い話に……

この金は庄屋の婆に気付かれたくはない。婆は既に庄屋の死を知っていることを、隣村の連中に知られてもいけない。平兵衛は考える。そして連中には「これから庄屋のところに行って、庄屋を捜すという名目で婆を崖下へ連れ出すから、崖の上まで死骸を運んで酒盛りをしている振りをし、誤って落ちた振りをして崖から死骸を落とせ」と提案した。そうすれば婆には「隣村の男を買収した」という名目も立つし、検死の医者も事故死と診断することで収まるというたくらみであった。

そして、その算段は見事に成功する。庄屋の婆も隣村の人たちも、自分たちのせいで庄屋が死んだと思っているから誰も口外しない。そして平兵衛の許には五十両の金が転がり込んできた。悪銭身につかず、また派手な暮らしが始まる。だがこの平兵衛の変化に、関係者以外でたった一人の男だけが気付いていたのである。

その男は、この村に住む盲目の按摩・徳之一。盲人独特の勘を働かせ、事実を嗅ぎ付けた徳之一は平兵衛に「最近金回りがよいようで…… ちょっと凌がせてもらえんか」と強請りにかかった。ちびりちびりと銭を毟り取られてゆく平兵衛。いつしかそれは村人の噂となって行く。

「それにしてもあの按摩、誰もが怖がる平兵衛が怖くないのか?」

「昔から言うやないか、『盲へえべえに怖じず』

[編集] 付記

  • サゲは、「盲 (めくら・めしい) 蛇に怖じず」という古いことわざ (物事を知らない者はその恐ろしさもわからない) の語呂合わせである。
  • 最近では、庄屋の死骸を崖の上から落とすところまでのところで噺を打ち切ることがほとんどである。その理由としてつぎのようなものが挙げられる。
    • サゲの元となることわざが「盲」という差別用語を含む上に、視覚障害者に対してネガティブなニュアンスで使用されている。したがって、テレビラジオで最後まで語られることは現状あり得ない。
    • 取って付けたような頼りないサゲ (3代目桂米朝談) であり、しかも語呂が良いとも言いにくい。
    • ことわざ自体が近年はほとんど使われなくなったものであり、現在の聴衆の多くは理解できない可能性が高い。
    • これからどうなるのかと気を持たせた状態で打ち切るほうが得策であるという噺家の判断。
  • とはいえ、最終盤の展開は「世の中には目が見えないからこそ気付くような真実が存在する」という非常に意味深長なテーマを孕んでおり、古典文学古典芸能につきもののジレンマを抱えた噺と言える。
  • 桂米朝は「悪が栄えるという内容なので、後味が悪くならないように演じるのが難しい。平兵衛をどこか憎めない男とか、共感するようなところあるように描かないと落語として成り立たない」と論じている。いずれにしろ、人情噺がほとんど語られなくなった現在の落語にあっては、屈指の大ネタであると言える。

以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


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最終更新 2008年8月9日 (土) 09:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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