細田博之
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ほそだ ひろゆき
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| 生年月日 | 1944年4月5日(65歳) |
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| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 通商産業省産業政策局 物価対策課課長・産業政策企画官 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 法学士(東京大学・1967年) |
| 親族 | 細田吉藏(父) |
| 公式サイト | 衆議院議員 細田博之の ホームページ |
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| 内閣 | 第3次小泉内閣 |
| 任期 | 2005年9月21日 - 2005年10月31日 |
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| 内閣 | 第3次小泉内閣 |
| 任期 | 2005年9月21日 - 2005年10月31日 |
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| 内閣 | 第2次小泉内閣 第2次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2004年5月7日 - 2005年9月21日 |
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| 内閣 | 第2次小泉内閣 第2次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2004年5月7日 - 2005年9月21日 |
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| 内閣 | 第1次小泉第1次改造内閣 |
| 任期 | 2003年6月6日 - 2003年9月22日 |
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その他の職歴
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(2002年9月30日 -2003年9月22日) |
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(2002年9月30日 -2003年9月22日) |
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(1990年 -(現職)) |
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細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5日 - )は、日本の通産官僚、政治家。自由民主党(清和政策研究会)所属衆議院議員。
沖縄及び北方対策担当大臣、科学技術政策担当大臣、個人情報保護担当大臣、内閣官房長官、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)などを歴任した。
行政管理庁長官、 防衛庁長官、 運輸大臣等を歴任した細田吉蔵の長男。
目次 |
[編集] 経歴
島根県松江市出身。東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大駒場)から東京大学法学部へと進学し、大学卒業後の1967年、通商産業省に入省。同期には日産自動車副会長の伊佐山建志、井出亜夫など。
入省後は産業政策局物価対策課長を勤め、1986年に退官。父・細田吉蔵の議員秘書を経て、1990年の衆議院選挙に島根県全県区から立候補し、竹下登に次ぐ2位で初当選。 1996年の衆議院選挙(小選挙区制導入)からは、島根1区から出馬をし、7期連続当選。
2002年の第1次小泉内閣第1次改造内閣で、内閣府特命担当大臣(科学技術政策・沖縄北方対策担当)として初入閣。内閣官房副長官だった2004年に、年金記録問題で辞任した福田康夫の後任として内閣官房長官に昇格した。自身も就任直後に運転手の給与肩代わり問題で躓き、福田の後任として務まるか懸念されたものの、1年半にわたり調整役を務めた。
以後、自由民主党国会対策委員会委員長、自民党経理局長などを経て、2007年に自由民主党幹事長代理に就任。
2007年12月、北朝鮮との国交正常化実現を目指す議員連盟、自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任した。
2009年7月、第45回衆議院議員総選挙にて選挙対策本部長代理及び選挙対策委員長を兼務。
[編集] 政策
[編集] 科学技術
内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)として、内閣府総合科学技術会議を主宰した。
細田は北朝鮮を巡る核開発についても分析をおこない、その見識に驚いたアメリカ合衆国国家安全保障会議アジア部上級部長マイケル・グリーンはノート持参で細田の解説を聴きに通ったという。その際、グリーンに同席した駐日アメリカ大使ハワード・H・ベーカー・ジュニアは、細田のことを政治家ではなく原子力工学の専門家だと思っていたという[1]。
[編集] 沖縄対策
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)としての経験を生かし、沖縄県知事稲嶺恵一や沖縄問題の民間研究者とも交流がある。
内閣官房長官として、米軍基地再編問題に対し下記案(国防総省では「細田私案」と呼称)を提示した。
[編集] 食品安全
米国産牛肉輸入再開問題では、内閣官房長官として外務大臣町村信孝と連携し、通商代表部、国務省、ホワイトハウス、国家安全保障会議を相手に交渉を続けた。その際には、科学的データに基づく説得をアメリカに対し繰り返した。交渉相手である国務長官コンドリーザ・ライスは細田を「He is so smart.」と評している[1]。
[編集] 発言
- 2005年6月、厚生労働大臣政務官の森岡正宏が東京裁判の正当性、日本無罪論などについて根本から議論すべきと提言。先んじて5月「『いわゆるA級戦犯』を一方的に悪い存在であるかのような不当な処理のされ方をしている」とも発言。内閣官房長官であった細田は同月22日の記者会見で、森岡の発言内容について「正しくないと思っている。日本政府は平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、東京裁判の判決を正当なものとして受諾しており、不法なものとして異議を述べる立場にはない」とコメントした。
- 2008年10月1日に麻生太郎首相の所信表明演説に対する代表質問の冒頭で「47歳にして、史上類を見ない、最高の権力を持つ自由民主党幹事長」「金丸・小沢ラインが全国の、日本国の政治を聾断」「細川政権が発足して数カ月で、国民福祉税、(つまり)7%の消費税を導入すると発表し、細川政権はわずか9ヶ月で崩壊」「その後の羽田政権、その国民福祉税の関係で社民党(当時は社会党)、さきがけが離脱されて、わずか合計11ヶ月で政権がほうり出された」「強引な政治のイメージこそが麻生総理と小沢党首についての世論調査によります期待度の差として明らかにあらわれている」「小沢さんについていった人は、この閣僚席に3人(鳩山邦夫総務相・二階俊博経産相・石破茂農水相)、自民党に15人以上。聞いてみるともう小沢政治はこりごりだ」と予定稿にないアドリブで小沢一郎批判を展開した。
- 2009年7月24日に党本部で記者会見した際、麻生首相への批判的な意見に対して「「(麻生首相は)『字が読めない』『ぶれた』なんて言って楽しんでいる。党役員人事だろうが閣僚人事だろうがどうでもいいことだ」と前置きした上で、「だけど、その方がみんな面白いんだから。それは日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない。」と国民・有権者を批判し、さらに「そういうことしか、主として取り上げない。電話で調査して支持率は何%と、いいかげんにしてくれという感じだ。聞いて意味がありますか」と内閣支持率の調査という一般的な世論調査の結果報道を批判する発言を行なった。そのあと「真意ではない」として一連の発言を撤回した[2]。
[編集] 人物
[編集] 人物像
2008年10月1日の衆議院本会議場で、国務大臣の演説に対する質疑の最後を、「出雲弁講座」と称し出雲弁でありがとうを意味する「だんだん」で締めた事がある。
趣味のピアノは大変な腕前とされ、ピアニストの中村紘子によると、その演奏は感受性が強く音楽的で、中村もびっくりするぐらいロマンティックなものだという[3]。ピアノを弾く模様がフジテレビ系列「とくダネ!」で放送されたこともある。TOKYO FMに生出演した際には演奏を披露してみせた。
そのほか読書、トランプのコントラクトブリッジを趣味とする。
2ちゃんねるではその言動からクリオネと呼ばれていて本人はこれを喜んでいるほか、2ちゃんねるのいくつかのスレッドを印刷して読んでいるという。[4]
[編集] 人物評
- 選挙
- 竹下登から「私の次に選挙に詳しい」と評され、「選挙博士」の異名を持つ。
- 小泉政権、福田政権にて
- 福田康夫の数少ない側近議員であり、福田からの評価も高い。福田が内閣官房長官を務めた際は、細田が内閣官房副長官としてコンビを組んだ。福田の内閣官房長官辞任後は、後任として細田が就任している。細田の内閣官房副長官、内閣官房長官への就任にあたっては、福田による内閣総理大臣小泉純一郎への推薦があった。また、福田が自由民主党総裁に就任した際は、細田を自由民主党幹事長代理に指名し、内閣改造に伴う執行部人事刷新時も、細田を幹事長代理として留任させた。
- 内閣官房長官就任後は、ブッシュ政権下のアメリカ政府関係者から「歴代最高の官房長官」との賛辞を受けた[1]。大下英治によれば、小泉の秘書官だった飯島勲は「総選挙(郵政選挙)圧勝の政府側の影の最大の功労者」と評価している。細田は、選挙中に地元へ戻らず、小泉遊説中の行政が停滞しないよう努めたと言う。また、8月下旬の台風上陸などでも、関係閣僚への連絡等で小泉内閣の危機管理に貢献した。
[編集] 年譜
- 1967年4月- 通商産業省入省
- 1981年 - 通商政策局経済協力部経済協力企画官
- 1983年 - 石油公団ワシントン事務所長
- 1985年 - 産業政策局物価対策課長兼同局総務課産業政策企画官
- 1986年 - 退官 衆議院議員細田吉蔵秘書
- 1990年2月 - 衆議院議員に初当選
- 1994年7月 - 経済企画政務次官
- 2002年9月 - 沖縄及び北方対策担当大臣、個人情報保護担当大臣、科学技術政策担当大臣就任
- 2003年9月 - 内閣官房副長官就任
- 2004年5月7日 - 年金未納問題で福田康夫官房長官が引責辞任した後を受け、内閣官房長官に就任
- 2004年5月19日 - 東京都の車両管理会社からの、秘書給与など(8年間で3100万円)の供与が、政治資金収支報告書に未記載であったことが判明
- 2004年12月3日 - 日本の閣僚として初めて、第二次世界大戦中に「従軍慰安婦」であったとされる女性らと面会した。
- 2005年10月31日 - 内閣官房長官を退任。自民党国会対策委員長に就任。
- 2006年9月 - 自由民主党経理局長に就任。
- 2007年8月27日 - 自由民主党幹事長代理に就任。
- 2007年9月24日 - 自由民主党幹事長代理に再任。
- 2008年8月1日 - 自由民主党幹事長代理に再任。
- 2008年9月22日 - 自由民主党幹事長に就任。
[編集] 政治資金
- 公用車の運転委託業務の入札にまつわる談合疑惑を持たれている企業の1つである日本道路興運[5]から1996年~2003年の間に自身の運転手給与肩代わりの形で約3100万円の違法なヤミ献金を受け取っていたことが報じられた[6][7][8]。細田は、「献金額が限度額を超えれば違反になるが、(私は)受ける側なので知りえる立場にない」と発言し、規制法では違法献金を受けた側にも罰則規定があるとの指摘には「受ける側に故意があれば当然だが、(自分には)そのような故意はなかった」と弁明した[9]。献金の返還については言及していない[8]。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[10]。
[編集] 主な所属議員連盟等
- 日韓議員連盟
- 島根県バスケットボール協会会長
- 自民党トラック輸送振興議員連盟
- 自民党朝鮮半島問題小委員会副委員長
[編集] 家族・親族
- 実家
- 父 吉蔵(官僚、政治家)
- 母 静子(島根県、升田憲元六女)
- 妹
- 自家
- 妻と1男1女
[編集] 系譜
- 細田家は、戦国時代に毛利氏と中国地方の覇権を争った尼子一族の武将小笠原家の家臣だった。一旦帰農後、商業へ進出し回船問屋として成功したが、明治維新で没落し倒産する。やむなく松江に出て、今度は油屋を開き、豪商の域にまでのし上がった。父吉蔵は屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋に生まれ、東京帝国大学法学部卒業後、鉄道省に入省。退官後は衆議院議員となり、行政管理庁長官、 防衛庁長官、 運輸大臣等を歴任した。[11]
┏細田義一郎━━━細田吉蔵━━━細田博之 ┃ ┃ ┗細田六助
[編集] 脚注
- ^ い ろ は 天川由記子「官邸『秘密外交の真実』」『週刊文春』文藝春秋、2006年
- ^ 細田・自民幹事長:「首相ぶれた」と皆、楽しんでいる 「国民程度表す」
- ^ 『演奏家人生50年「中村紘子」私の知られざるエピソード』 週刊新潮2009年9月24日号
- ^ TOKYO FM WONDERFUL WORLD 2009年8月13日
- ^ “[公取委]”. iza! (産業経済新聞社). (2009年5月23日) 2009年11月23日 閲覧。
- ^ "給与肩代わり 日本道路興運 政界と深い関係 自民に3年で1200万円献金". しんぶん赤旗 (2004年5月20日). 2009年6月25日 閲覧。
- ^ "給与肩代わりの日本道路興運献金 細田長官ら訂正で違法に 規正法 限度額超える". しんぶん赤旗 (2004年5月24日). 2009年6月25日 閲覧。
- ^ い ろ "談合疑惑企業からの献金、小渕少子化相は返還へ". 産経新聞 (2009年6月23日). 2009年6月25日 閲覧。
- ^ "日本道路興運の違法献金問題 細田官房長官会見で弁明". しんぶん赤旗 (2004年5月25日). 2009年6月25日 閲覧。
- ^ 答弁本文情報 | 平成二十年二月五日受領 答弁第三〇号 | 内閣衆質一六九第三〇号 平成二十年二月五日 | 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書
- ^ 『細田吉蔵・全人像』 134-136頁
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 衆議院議員 細田博之のホームページ - 細田の公式サイト。
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| 官職 | ||
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| 先代: 福田康夫 |
第70・71代:2004年 - 2005年 |
次代: 安倍晋三 |
| 先代: 福田康夫 |
2004年 - 2005年 |
次代: 猪口邦子 |
| 先代: 創設 |
2003年 |
次代: 茂木敏充 |
| 先代: 尾身幸次 |
2002年 - 2003年 |
次代: 茂木敏充 |
| 先代: 尾身幸次 |
2002年 - 2003年 |
次代: 茂木敏充 |
| 党職 | ||
| 先代: 麻生太郎 |
自由民主党幹事長 第43代 : 2008年 - 2009年 |
次代: 大島理森 |
| 先代: 中川秀直 |
自由民主党国会対策委員長 第46代:2005年 - 2006年 |
次代: 二階俊博 |
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最終更新 2009年11月23日 (月) 05:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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