島田紳助・松本竜介

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 島田紳助・松本竜介
メンバー 島田紳助
松本竜介
別名 紳助・竜介、紳竜
結成年 1977年
解散年 1985年5月17日
事務所 吉本興業
活動時期 1977年 - 1985年(8年間)
師匠 島田洋之介・今喜多代
影響 B&B
出会い 吉本興業
芸種 漫才
ネタ作成者 島田紳助
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
笑ってる場合ですよ! など
受賞歴
1978年NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞
1980年上方お笑い大賞 銀賞
1980年上方漫才大賞 新人賞
1981年第1回 花王名人大賞 新人賞
1981年第18回 ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞
  

島田紳助・松本竜介(しまだしんすけ・まつもとりゅうすけ)は、1970年代後半から1980年代前半にかけて活動した吉本興業所属のお笑いコンビ。略称「紳助・竜介」(しんすけ・りゅうすけ)、「紳竜」(しんりゅう)。当時の漫才ではスタンダードとされた背広のスタイルを廃して、リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で、漫才ブームを牽引するコンビとなる。

目次

[編集] メンバー

[編集] 略歴

  • 1977年(昭和52年)9月、紳助が明石家さんまにコンビ結成を断られ、その後さんまが竜介を紹介してコンビ結成。京都花月でデビュー
  • 1981年(昭和56年)、井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』に二人揃って主演。
  • 1985年(昭和60年)当時ほとんど無名に近かったダウンタウンのスローテンポな舞台を見た紳助が「もう俺らの時代は終わった」と解散を決意。その後竜介の理解を得て、わずかその数日後に解散した。
  • 2006年(平成18年)4月、竜介死去。尚、2人が50歳になったときに記念として一度限りの復活漫才が企画されたが、これは幻に終わった(衣装のつなぎも用意されていた)。

[編集] エピソード

  • 全盛期のある日に、六本木で、偶然、浅丘ルリ子大原麗子をナンパしたという逸話がある。
  • 一度限りの復活漫才は、「第一回M-1グランプリでの選考の際の余興として」という話もあった。
  • 1978年にコンビ結成半年で第8回NHK上方漫才コンテストに出場するも本戦8組に残ったが3位(優秀敢闘賞)に終わる。その際、1位を取れなかった紳助はもらった花束を投げつけて「ボケ、コラ」と口にした上、1位を受賞した大木こだま・ひかりの大木こだまが泣いている姿を見て「何泣いとんねん」といい、NHKに出入り禁止となった。後にこだまに謝り和解している。

[編集] 受賞歴

[編集] 出演番組

ほか

[編集] ドラマ

  • 恋のかけら-大阪物語-(KTV、1980年3月9日)
  • 影の軍団Ⅱ(KTV、1981年10月6日~1982年3月30日)
  • 幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(NTV、1982年11月16日) 

[編集] CM

ほか

[編集] 映画

[編集] DVD・VHS

  • お笑いネットワーク発 漫才の殿堂(1996年3月21日発売)VHS版
  • お笑いネットワーク発 漫才の殿堂(2003年6月18日発売)
  • 紳竜の研究(2007年5月30日発売)

最終更新 2009年11月13日 (金) 03:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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