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羌族(きょうぞく・チャンぞく)は、中国西北部チベット民族タングート、蔵人、番子などとも呼ばれる。主要な使用言語中国語と羌語。

羌は古代より中国北西部の青海遊牧生活を営んでいた。その「羌」字の象形は、牧羊する人を指していると言われる。文王に協力して打倒に大功を上げた姜族太公望始皇帝の実父とされる呂不韋[要出典]はこの族の出身と言われる)は羌族の中の一部族、西羌でうまれたことからが羌族と言われているが、定かではない。

その後も青海、チベットの周辺で生活し、代には西羌と呼ばれ、時に漢の涼州に進入したりした。魏晋南北朝時代に入ると中国匈奴鮮卑が移住し始め、羌も同じように陝西に入り、自らの国を建てた。その後前秦に吸収されるが、前秦が東晋に大敗し分裂すると羌も陝西に割拠し後秦を名乗った。後秦は417年東晋劉裕(後の武帝)に滅ぼされる。

代から北宋代には、部内のタングートが強勢になり、宋を圧迫して多額の歳幣を取る事に成功した。その後李元昊西夏を建てて皇帝となる。北宋がに滅ぼされると服属するが、チンギス・ハーンの勃興時に滅ぼされた。

チベット族漢族の対立では中国側につき、吐蕃の際もそうであった。

西夏滅亡後は纏まった政治活動を見せず、現在に至っている。

最近の人口状況では、羌族は四川省アバ・チベット族チャン族自治州内の茂県汶川県理県及び松潘県、更に綿陽市内の北川チャン族自治県に集住している。馬爾康県のギャロンも羌族系とされる。1964年の中国全国第1回人口調査による統計では、人口は48,261人(州全体の人口の9.98%を占める)であった。2000年の第5次全国人口普査統計では306,072人で、中国政府が公認する56の民族の中で28番目に多い。2008年四川大地震で激しい被害を受け、チャン族の文化は保護復興事業の対象にされている。

[編集] 主な羌族

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最終更新 2009年10月20日 (火) 09:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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