美浜発電所

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美浜発電所(美浜町丹生漁港より撮影)
写真右側は3号機。

美浜発電所(みはまはつでんしょ)は、福井県三方郡美浜町丹生にある関西電力原子力発電所である。

目次

[編集] 地誌

Googleマップ

美浜発電所は、若狭湾に面する福井県敦賀半島にある。

発電所に向かう丹生大橋の入り口に、発電所のPR施設「美浜原子力PRセンター」がある。 更に奥に進むと、高速増殖炉もんじゅがある。

また、近くには、丹生海水浴場、水晶浜海水浴場、ダイヤモンドビーチなどの海水浴場がある。 海水浴場から見える原子力発電所としてRCサクセションのサマータイム・ブルース(COVERS収録)に歌われた原発のモデルと考えられている。

[編集] 発電設備

[編集] 1号機

[編集] 2号機

  • 原子炉形式:加圧水型軽水炉
  • 運転開始:1972年(昭和47年)7月25日
  • 定格出力:50万キロワット

[編集] 3号機

  • 原子炉形式:加圧水型軽水炉
  • 運転開始:1976年(昭和51年)12月1日
  • 定格出力::82.6万キロワット


[編集] 過去の主なトラブル

  • 1973年(昭和48年)3月(日付不明)
美浜一号炉において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、関西電力は秘密裏に核燃料集合体を交換しただけであった。
この事故が明らかになったのは、当時、雑誌「展望」に「原子力戦争」(講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗に宛てて内部告発[1]があったためである。田原はこれを「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑」(「原子力戦争」講談社文庫に収録)として明らかにした。これを受けて石野久男衆議院議員が衆議院科学技術振興対策特別委員会等で追求した結果、原子力委員会はこの事故を認めた。しかし原子力委員会が認めたのは1976年12月7日であり、事故が発生してから4年近く経って後であった。
内部告発では、この事故は核燃料棒が溶融したものと指摘していたが、原子力委員会の発表ではこれは溶融ではなく「何らかの理由で折損」したものであり、「重大な事故ではない」としている。しかし田原はこの発表に対し「原子力戦争」の追記で、「この発表の内容はもとより発表前後の経過にも、つじつまの合わない点や新たな疑惑が数多く指摘されており」と疑問を投げかけている。
2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、非常用炉心冷却装置(ECCS)が作動する事故が発生した。この事故は日本の原子力発電所において初めて非常用炉心冷却装置(ECCS)が実際に作動したものである。
事故の原因は、伝熱管の振動を抑制する金具が設計通りに挿入されておらず、そのため伝熱管に異常な振動が発生し、高サイクル疲労(金属疲労)により破断に至ったものと判明した。
この事故により微量の放射線物質が外部に漏れたが、周辺環境への影響はなかったと発表されている。
美浜沖の海水から、通常なら数Bq/Lより少ないトリチウムが、2月10日に470Bq/L、2月18日にも490Bq/L検出された。[2]
2号機の高圧給水加熱器の伝熱管に2ヶ所の穴が開いた。放射性物質の外部への漏れはない。
3号機二次冷却系の復水配管(第4低圧給水加熱器~脱気器間)から蒸気漏れ。事故当時、現場のタービン建屋内では、定期点検の準備の為、211名が作業をしており、問題の配管室内には11名の作業員がいた。事故発生に伴い、11名のうち5人が死亡、6人が重軽傷を負った。事故直後に死亡した4名の死因は全身やけど(熱傷)および、ショックによる心肺停止で、ほぼ即死に近い状態だったとのこと。また、事故から17日目の8月25日には、全身やけどを負っていた作業員が死亡し、この事故での死者は5人となった。尚、美浜発電所の加圧水型原子炉は、放射性物質を一次冷却系にとどめることが出来る設計の為、この事故での汚染や被曝者はいない。事故の原因としては、配管の磨耗による破損である可能性が高い。この配管は設置時は肉厚10mmであったが、高温高圧の冷却水によって磨耗し、事故当時は肉厚1.4mmにまで磨耗していた。本来は肉厚4.7mmまで磨耗してしまう前に予防措置をとるという内部規則があったにもかかわらず、この個所は稼動以来一度も点検さえ行われておらず、関西電力危機管理能力が問われている。運転中の原子力発電所における死亡事故としては国内初である。また、原子力関係施設での死者は、東海村JCO臨界事故の臨界事故以来7人目となった。放射線被曝による死亡事故ではない為、国際原子力事象評価尺度での事故評価は「0+」(後に安全管理不適切として「1」に変更)となっている。しかし、この事故は原子力施設における労働災害として極めて重大であり、国内の原発事故史上初の「重大災害対策本部」が設置される事態となった。その後、原子力安全・保安院厚生労働省福井労働局警察当局が原因究明や関西電力の安全管理体制と責任について調査している。さらに、原子力安全・保安院によって全国全ての原子力発電所火力発電所についても調査し、不備があるところは指導をすることになった。

[編集] 脚注

  1. ^ この内部告発では福島第一原発二号炉で1976年4月2日に起きた火災事故についても触れられていたが、東京電力がこの火災について認めたのは告発のあった一ヶ月後であった。
  2. ^ 日本分析センター、環境放射線データベース

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月4日 (火) 17:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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