美浦トレーニングセンター
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美浦トレーニング・センター(みほ-)は茨城県稲敷郡美浦村にある日本中央競馬会(JRA)の施設(トレーニングセンター)である。東日本における中央競馬の調教拠点である。
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[編集] 概要・歴史
1970年代までは関東地区の厩舎に所属する馬(俗に関東馬と呼ばれる)の調教については東京、中山の2つの競馬場と白井の拡張厩舎街(当時は中山競馬場白井分場。現在の競馬学校の所在地)を中心に実施されてきた。
調教に必要なコース本数が充分確保されていたわけではなく、また府中・中山いずれも周辺地域の宅地増加などにより馬を居住させる空間が必要になっていた。そこで候補地を探した末に、1966年初頭に千葉県成田市三里塚を移転の有力候補に挙がっていた。それより先に日本政府が成田空港の候補地として三里塚を正式決定してしまった為に、新たな候補地を探さねばならなかった。[注釈 1]1968年に本格的なトレーニングセンター施設を霞ヶ浦南側の美浦村に建設することで合意し10年間の歳月をかけて1978年4月10日に開場し、両競馬場の厩舎群をここに集約移転させた[注釈 2]。なおこのトレーニングセンター型の施設で人馬を集約管理するという構想には上記の事情の他にも先立って建設が進められていた関西の栗東トレーニングセンターの存在、1965年に発生した山岡事件の他、1971年の馬インフルエンザ集中感染、厩務員(以前は「馬丁」と言った)の組合のストライキなどの影響もあったとされている。
競走馬の鍛練・調教のためのトレーニングセンターとしては中央競馬・地方競馬を問わず日本国内で最大の規模の施設であり、全体で約2300頭の競走馬を収容可能である。
調教コースは厩舎群や馬場公園を挟む形で南北の2ヶ所に合わせて7つのトラックが設置されており、南側には1600mのウッドチップコース(木片を敷き詰め、競走馬の足の負担を抑える)が北側には障害用の調教コースがある。さらに場内には馬の足腰の負担を抑えつつ強化するための坂路コース、脚元の弱い馬のためのスイミング・プールや水中歩行訓練装置、馬のクールダウンやリラックスのための逍遥馬道、海外レースに出走する競走馬が入る検疫厩舎、競走馬に総合的な医療行為を行える診療所なども設置されている。この種の施設としては、その設備は世界的に見てもトップクラスの水準にあるとされる。
2007年5月31日にニューポリトラックによる調教コース導入が発表された。南馬場Cコースにおいて外柵(ラチ)側を約5メートル拡張し幅員25メートルのうち外側の15メートル部分に設置する工事が行われ、総工費は材料費を含め約9億円になった。同年11月14日に完成施設の詳細の発表と試走会が行われ、11月16日に開場した。
トレーニングセンター内部には生活の為の区画もあり、当施設のスタッフ・厩舍関係者とその家族約5000人が暮らしている。これは所在地である美浦村の人口の約3割にも及ぶ。また競馬新聞、馬匹輸送、牧場、飼料販売などといった競馬関連産業に従事する者までも含めれば競馬の存在によって生計を立て暮らす者とその家族はトレーニングセンター・美浦村とその周辺地域で合わせて1万人前後からそれ以上にも及ぶとされる。
2008年、開設30周年記念式典と祝賀会が4月21日にトレーニングセンター内の厚生会館で行われた。
2009年4月3日、調教師蛯名信廣が馬に蹴られ死亡する事故が起きた。
[編集] 長期低迷
1988年以降、美浦トレーニングセンターの所属馬は栗東トレーニングセンターの所属馬に勝利数、獲得賞金額で大きく水を開けられており21世紀に入って久しい現在もなお長期の低迷にあるがこれを天気予報(気圧配置)に使われる言葉になぞらえて「西高東低」と言われることがある[注釈 3]。
[編集] 平坦な土地
低迷の最大の要因として「坂路コース」を最初に挙げる者は多いようである。1985年に栗東トレーニングセンターに「栗東トレーニングセンター厩舎関係者の総意」という形で設置された坂路コースは競走馬の強化に効果大なることが判明し坂路で鍛えられた関西馬たちが東京・中山など東日本開催の競馬をも席巻する様になると、美浦の厩舎関係者はその坂路効果に追随せんと元号が平成に変わった頃から当施設への坂路コース設置を要望し始めた。しかし、当施設は栗東とは違いまったくの平坦地に作られたこともあって敷地こそ広大ではあるが坂路コースを設置できるような自然の丘や地形が一切存在していなかった。よって坂路コースの設置は人工の斜面地形をゼロから造成するところから始めなければならず莫大な費用を必要とすることから、JRAは当施設への坂路コース設置の要望については「検討中」としながらも実際にはきわめて消極的な姿勢を数年間に渡って取り続けた。折しもオグリキャップに牽引された中央競馬ブームの真っ只中であり、JRAにとっては座していても売り上げが伸びてゆく時代であった。
またレースの渦中にいる現場からの声として小島太は騎手時代に著した「競馬八方破れ言いたい放題」の中で、「関西のレースが流れが激しいことも(関西馬が強い)理由だと思う」という記述がある。これはスタート直後に誰かが行くとすんなりと隊列が定まって流れが落ち着く関東の競馬に対し、関西の競馬や裏開催(小島は騎乗機会を求めて中堅以下の栗東所属の騎手が新潟競馬場や福島競馬場などに来る場合を指している)では、スタートしてからがむしゃらに主導権を握ろうとする為に流れがなかなか定まらず、レースの流れも厳しいと指摘し、それに揉まれて関西馬も強くなっているというのではないかとまとめている。
しかし1990年代に入り美浦所属馬の不振が顕著になり競馬マスコミやスポーツ新聞などによりクローズアップされる様になると、東日本における競馬ブームの腰を折りかねない要因としてJRAもこれを放置できなくなる。かくてようやく重い腰を上げ、栗東のそれとは比較にならない莫大な費用と資材を費やして栗東に遅れること実に8年、1993年に完成させた。しかし東西の格差は広がるばかりで2004年には坂路コースの改修と拡張が行われたものの勾配区間の規模やコースの線型については栗東の坂路コースに全く劣っており[注釈 4]、他方でさらなる拡張は土地利用面の問題から限界で事実上不可能であるとされる[1]。この坂路コース設置の遅れと規模の差が美浦と栗東の格差を決定的にしたと指摘する関係者や競馬マスコミは多く、現実に15年以上も水をあけられる結果となっている。
事実、2007年のNHKマイルカップを優勝したピンクカメオは関東馬ではあるが最大の勝因について国枝栄厩舍陣営は「前走の桜花賞の前に栗東トレセンに滞在して栗東の施設で調教が行えたこと」を挙げ、これによって馬が一変したとマスコミに語っている[要出典]。2008年の秋華賞で1着3着を占めて大波乱を巻き起こした小島茂之厩舎陣営も、全く同様にレース前に栗東で調教を行えたことを勝因に挙げている。重賞競走に出走するような有力馬以外の新馬や下級条件馬でも京都・阪神での出走を名目に馬を栗東に一定期間滞在させトレーニングを積ませる厩舍が見られ、主に当施設を中心に「栗東効果」や「栗東留学」という言葉が用いられるようになっている[2]。逆に栗東所属馬の東日本地区の競馬場での出走に際しては栗東で最終調整まで行いレース直前に直接輸送して出走させる、いわゆる「直前輸送」のノウハウが確立されている。このため、栗東所属馬が美浦のトレーニング施設を利用するのは現在では海外レースへの出走に伴う美浦トレーニングセンター内の検疫厩舍への入厩などのどうしても美浦を利用しなければならない事情がある際を例外とすればほとんど無い。
このような馬の動きを見ても分かる通り、現在でも設備全般の質について比較すれば栗東よりも数段劣っていると栗東と比較しての美浦の調教施設の質的な低さを痛感している美浦の厩舎関係者は数多く美浦の施設の水準を栗東と同規模に引き上げるべきと訴え続けている者も少なくない[3]。
[編集] 上水道の水質
美浦トレーニングセンターで飲料用にも使用されている上水道は近隣の霞ヶ浦を水源としている。しかし、これについては他の競馬場やトレーニングセンターとの比較で「水が悪い」と言われる事が多いようである[注釈 5]。事実、関西馬や地方競馬所属馬が美浦に滞在したり転厩してきた際に馬に水を飲ませるのに苦労するケースがこれまでも多々見られている[要出典]。
現在では美浦に所属する厩舎についても、競走馬の飲料用水用として業務用の大型浄水器を設置している所が存在する。
[編集] その他の要因
当施設の立地上の劣位[注釈 6]や、栗東に比べて労働組合運動が激しく不安定な労使関係が改善されない事も原因として挙げられることがある[要出典]。
これらの問題は今に始まったことではなく、当施設が開場してから10年余りは関東馬優位の時代が続いた。ただし特に不安定な事で知られる美浦の労使関係については持ち乗りや攻め専の人数や担当頭数、馬に関われる時間面の制限を引き起こし、これが馬全体の運動量の決定的な不足に繋がっていると指摘されており現状の低迷は続くことになると最近では競馬マスコミなどが多くは栗東と比較する形で強く指摘するところになっている[要出典]。が、関東馬が優勢だったころから不安定であり上記の指摘はなんら根拠がない[要出典]。
[編集] 「不良資産」化
近年は関西GIでの関東馬の健闘も見られ、一時期に比べれば改善の兆しもある。だが全体を見渡せば栗東トレーニングセンターに対する圧倒的な劣勢にさしたる変化は無い。
この様な事もあり美浦の厩舎でデビューさせた後、当初の期待以上の能力を見せた馬について馬主が「馬主都合」という理由で引き揚げて栗東の厩舎へと転厩させるケースが増えた[注釈 7]。
他方、数多くの有力馬を抱える栗東の上位〜中位の厩舎ではクラシックや芝重賞路線で所属馬を使い分ける程の余裕があり特に牡馬クラシック路線は3歳春シーズンまでのJpnI競走が全て関東圏で施行されることから関東圏の競走へ積極的に出走させるケースが多く、関東圏の2-3歳戦が関西馬の草刈場と化し出走枠のほとんどを関西馬に独占されるシーズンも見られる。中には関西馬なのに3歳春シーズンまで関東圏でしか出走したことが無い馬もいる[注釈 8]。もっとも顕著な例としては2006年春季の牡馬クラシック路線があり関東馬からはさしたる有力馬が現れず、日本ダービーにおいては出走馬18頭中、関東馬は8番人気のジャリスコライトただ1頭だけであった。
この様な相対的な競走馬のレベル低下や成績低迷により、関西馬に関東圏の重賞競走や上位クラスの特別競走での席巻を悉く許している状況下では当然ながらこれを原因とする東西間の厩舎関係者や騎手の収入格差も見られている。単に勝利数だけを見れば一時期よりも改善はされつつあるものの重賞などの高額賞金レースのほとんどを関西馬に占められ、獲得賞金の差は埋まっていない。また、その他にも馬主の経済的事情などによる預託料の滞納の増加という問題もある。預託料滞納の問題は美浦やJRAに限ったものではないが、特に獲得賞金の低迷に苦しむ美浦では厩舍経営にとってより大きな打撃となっている。
こうして美浦では調教師が70歳の定年まで持たずに次々と「勇退」し厩舍を解散したり、割り当てられた馬房を自主返上するところが相次いでいる。2006年には富田一幸が50歳で、2008年には笹倉武久、内藤一雄が共に定年まで8年を残した62歳で調教師の勇退届を提出して免許を返上、厩舎を解散した。さらに2009年2月には、中野隆良など50代から60代の定年前の調教師が5名も免許更新を行わず、5月には斎藤宏が免許取得から僅か10年で「勇退」という状況になっている。この様な「調教師勇退」の中には、名目上の理由は「健康上の都合」であっても内実としては「成績不振を原因とした事実上の経営破綻による廃業」であった事を複数の競馬マスコミ関係者が事実上のこととして認めていたり、遠回しの表現であっても暗に示唆している様なケースが存在している[4]。また岩城博俊の様に、比較的早い段階で厩舍経営を諦めた調教師が厩舍を解散して他の厩舍のスタッフとして再起を図るというケースすら見られる様になった[5](ただし実際には調教師会・厩務員組合の反発を受け、再起は困難な状況である[6])。2009年は、稗田研二、蛯名信広の両調教師の死去も重なり「空き馬房問題」はさらに深刻なものとなっている。
美浦所属厩舎群の低迷はトレーニングセンター内外にも影響が波及している。調教師にしても厩舎経営さえ厳しい現状では若手騎手を育成できる経済的な余裕は無く、そもそも中央競馬に縁故の無い騎手候補生については進んで調教師が引き受けようという例は少なく所属厩舍の決定を巡って難航する事が常態化している[7]。引受先が決まった場合も、栗東に比べ有力馬が少ない事等から、高額の資金を投じ、徹底的に振るいを掛けて即戦力として育てたはずの騎手が、満足に騎乗馬を集める事が出来ずに、減量が切れてしまう事も少なくない。顕著な例としては、競馬学校第16,17,18期卒業の3世代で美浦に所属した者からは、未だ平地重賞を勝った騎手が出ていない。また、平地で乗鞍を確保出来ず、障害競走に身を移す騎手が非常に多い事も特徴の一つと言える。また、デビュー後比較的短期間のまだ見習騎手として実績も伴わない内に「フリー騎手」となる者も見られる様になっている(特に酷い例としては、池上昌弘厩舎で満足に乗れず1年でフリーとなった池崎祐介など)。他方では栗東の厩舎関係者との縁故を得た事を機会にするなどして、栗東へと本拠地を移す者も現れている[注釈 9]。
また騎手についても、「遠征してくる地方競馬の上位騎手や短期免許の海外の一流騎手に、レースでの騎乗機会を奪われ、中央競馬の騎手の騎乗機会や収入が減少している」として地方競馬の騎手や競走馬の中央競馬での騎乗・出走の制限や外国人ジョッキーの短期免許の大幅な制限を求める声が騎手会内部でも当施設所属のリーディング中位以下に位置する騎手を中心に上がっていると各種競馬マスコミが報じている[要出典]。2006年のマイルチャンピオンシップでは1990年の朝日杯3歳ステークス以来16年ぶりに関東馬が掲示板を独占(6着も関東馬)したが、騎手の面では栗東所属騎手のワンツー(安藤勝己、武豊)という状況であった。
競馬ファンや競馬マスコミの間でも、当施設の関東馬が特に高額賞金の大レースで総じて『弱い』ことは馬券予想においても至極当然の基礎知識となっている。トレーニングセンター間の序列としても「栗東の下の美浦」というイメージになっている。実際、関東圏の競馬ファンの間では関西馬であることが馬券検討の際に重要な購入ファクターとなる程である[注釈 10]。
当施設についてはこの様に厳しい状況であり競馬評論家やトラックマンなどからは「トレセンが平坦な美浦にある限り関東馬の再興は無い」「東西の著しい不均衡の解消はもはや美浦の厩舍スタッフの努力や創意工夫でどうにかなるものではない」「トレセンを美浦から(関西の栗東に比較的立地条件の近い山梨県などに)移転し、厩務員などの労使関係を関西の基準で東西統一するしかない」とまで断じられる事やレース予想や戦評などに絡めて当施設の不要論と解釈できる発言までもが聞かれる事もある。競馬マスコミの様々な記事を見渡しても東日本地区の競馬人気に水を差さないためにも美浦の不振が改善され、栗東を凌駕はできなくてもせめて拮抗してくれる事を期待する声は多い一方で現実を見た場合には今後も状況が短期間で劇的に改善されるであろうと考えている者はほとんどいない[要出典]。
野元賢一は当施設のこのような惨憺たる状況に対して、「今や美浦は、不良資産化の道を突き進もうとしている」と酷評している[8]。
[編集] 主な厩舎および活躍馬
[編集] 北
- 小島茂之厩舎:ブラックエンブレム、クィーンスプマンテ
- 藤沢和雄厩舎:シンコウラブリイ、バブルガムフェロー、タイキシャトル、シンコウキング、タイキブリザード、スティンガー、シンボリインディ、ゼンノエルシド、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイ、ダンスインザムード
- 大久保洋吉厩舎:メジロドーベル、ショウナンパントル、ショウナンカンプ、メジロファラオ
- 伊藤正徳厩舎:エアジハード
- 国枝栄厩舎:ピンクカメオ、ブラックホーク、マツリダゴッホ、マイネルキッツ
- 小島太厩舎:イーグルカフェ、マンハッタンカフェ
- 上原博之厩舎:ダイワメジャー
- 二ノ宮敬宇厩舎:エルコンドルパサー
- 尾形充弘厩舎:グラスワンダー
- 栗田博憲厩舎:タレンティドガール、ヤマニンゼファー、シンコウフォレスト
- 後藤由之厩舎:トウカイポイント
- 田中清隆厩舎:シンコウウインディ、グルメフロンティア、レディパステル
- 勢司和浩厩舎:スマイルトゥモロー
- 杉浦宏昭厩舎:テレグノシス
- 手塚貴久厩舎:グレイスティアラ、ゴスホークケン
- 高橋祥泰厩舎:タイキフォーチュン、サウスヴィグラス
- 中野栄治厩舎:トロットスター
- 藤原辰雄厩舎:ブランディス
- 保田一隆厩舎:セイウンスカイ
- 清水美波厩舎:イングランディーレ
- 柄崎孝厩舎:ドクタースパート
- 矢野照正厩舎:プレクラスニー
- 蛯名信広厩舎:タイキヘラクレス
- 高市圭二厩舎:ファストフレンド
- 高松邦男厩舎:パーシャンボーイ
[編集] 南
- 鹿戸雄一厩舎:スクリーンヒーロー
- 平井雄二厩舎:サクラスターオー
- 阿部新生厩舎:カネミノブ
- 戸田博文厩舎:キストゥヘヴン
- 松山康久厩舎:ミスターシービー、ウィナーズサークル、ジェニュイン、カフェオリンポス
- 堀井雅広厩舎:ボンネビルレコード、マイネルレコルト
- 稲葉隆一厩舎:マイネルラヴ、マイネルコンバット
- 奥平雅士厩舎:コイウタ
- 河野通文厩舎:アサクサデンエン
- 相沢郁厩舎:ウメノファイバー
- 加藤征弘厩舎:シャドウゲイト
- 土田稔厩舎:タイキシャーロック
- 萩原清厩舎:ロジユニヴァース
[編集] 所属騎手
[編集] 現役騎手
[編集] その他
- 2004年11月にJリーグ百年構想に沿いJリーグ・鹿島アントラーズとの提携でアントラーズサッカークリニック・美浦校を新設することになり、2005年春開校した。
- 当施設で大量に発生する馬糞を堆肥として使用する、マッシュルームの栽培が近隣地域では盛んである。
- 日本国有鉄道土浦自動車営業所(国鉄バス土浦営業所)は、当施設の開業時に記念乗車券を発売した。
[編集] 交通
[編集] 脚注
- ^ 競馬界も格差社会? - チアキのトレセン便り
- ^ 栗東留学効果!東の強力カード/マイルCS(スポーツニッポン 2008年11月19日)
- ^ 国枝栄調教師 Part2 東西格差は坂路の差 netkeiba.com
- ^ 笹倉師 “経営難”で廃業 調教師の世界でも格差問題
- ^ 岩城師、調教助手に転身「馬が好き」(サンケイスポーツ 2009年2月13日)
- ^ 『競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2009年6月号・p.143
- ^ 【若手騎手なぜ伸びぬ 2】見習い騎手嫌がる厩舎
- ^ 固定化した東西格差――不良資産と化した"美浦"
[編集] 注釈
- ^ 週刊Gallopが2009年に入って、美浦トレセンの建設秘話を連載した際に明らかになっている。
- ^ 東京・中山・白井からの競走馬や関係者の移動は1978年3月7日から始まり4月8日に完了した。
- ^ 一例として、新聞記事の見出しで使われたことがある。※参考:テコ入れが必要な美浦トレセン 菊花賞、西高東低の潮流の行方 - MSN産経ニュース(2008年10月25日付、2009年5月31日閲覧)
- ^ 栗東の坂路はある程度一直線でほぼ全区間が勾配となっているのに対して美浦の坂路は南コースの外周に沿って左回りに半周している上、全長距離こそ西の栗東に勝るが実際には前半の1/3が全くの平坦であり実際の勾配区間は栗東よりも短い上に傾斜の斜度も緩い。なおかつ、高低差も栗東32メートル・美浦17メートルと栗東の半分程度しかない。
- ^ また浄水場などの施設を通しているにせよ、そもそも水源である霞ヶ浦自体が水質面で大きな問題を抱えている。
- ^ 鉄道駅まで距離があり、2007年に首都圏中央連絡自動車道の阿見東ICが開通するまでは高速道路へのアクセスも悪かった。栗東から東京競馬場(府中)や新潟に行くのは便利で、遠方の福島への輸送でも新潟から磐越自動車道経由で首都圏を通過する必要が無い。逆に美浦から阪神や小倉へ行く事は不便であり、府中でさえ首都高速道路中央環状新宿線が開通するまでは東京の都心部の慢性的に激しい交通渋滞の通過を余儀なくされていた。
- ^ この様な馬主の要望や都合で一度預けた馬を転厩させることは以前はシンボリ牧場のような大馬主ですら出来ることではなかったが(シリウスシンボリの項を参照)、近年は競走馬とこれを預託する馬主の減少を背景に馬主側の発言力が大幅に拡大しておりサチノスイーティーやホクトスルタンのような零細馬主の所有馬も移籍している。
- ^ ウイニングチケット(1993年東京優駿)、ドリームジャーニー(2006年朝日杯フューチュリティステークス)など
- ^ 一例を挙げれば、デビュー当初は美浦所属であった田嶋翔騎手は2003年に栗東の小島貞博の娘婿となった事を契機に栗東に移籍している。
- ^ 逆に美浦から京都・阪神へ遠征する下級条件馬は非常に少ないため、この様な馬を『勝負懸かりの関西遠征』として狙う購入法も存在する[要出典]。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月20日 (金) 02:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【美浦トレーニングセンター】変更履歴


