群馬小2女児殺害事件

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群馬小2女児殺害事件(ぐんましょうにじょじさつがいじけん)とは1987年に発生した殺人事件。

[編集] 概要

1987年9月15日群馬県尾島町に住む小2女児(8歳)が子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明になる事件が発生。

1988年11月27日、公園から約3キロ離れた利根川河川敷で釣り人が散乱した子供とみられる白骨死体の一部を発見。白骨死体は頭蓋骨を中心に、2~3メートルの範囲に散乱していたが、両腕の肘から先と両脚の膝から先が発見されなかった。警察は最後の目撃現場から近い場所であったこと、行方不明の時期と死亡推定時期がほぼ一致すること、白骨死体の血液型が行方不明女児と同じであったことから、白骨死体は行方不明となった小2女児である断定した。遺体発見現場から着衣など遺留品はほとんど無かった。

捜査当局は延べ約5万9000人の捜査員を投入。被害女児と見られる女の子と歩いていた「自転車を押す白髪交じりの男」の目撃情報を重視し、似顔絵を作って不審者の洗い出しを進めた。

捜査対象は約780人に及んだが容疑者を特定できず、2002年9月15日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。

[編集] その他

  • 身代金目的の誘拐殺人事件としては戦後日本では捜査機関が犯人を特定できなかった唯一の未解決事件となった功明ちゃん誘拐殺人事件がこの事件の現場から約30キロほどの距離だった群馬県高崎市でこの事件の前日(9月14日)に発生し、同じ時期に公訴時効を迎えている。
  • 1988年8月22日から東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を起こしていた宮崎勤は3人目の女児を殺害した後で、1989年3月11日に「今田勇子」名義で犯行声明ともとれる告白文を朝日新聞本社と殺害された女児の家に送っているが、その告白文で昨年1988年に河川敷で白骨遺体が発見された群馬小2女児殺害事件について触れている。宮崎勤が犯した4事件の内の2事件が白骨遺体が両腕の肘から先と両脚の膝から先が分かれていたことや白骨遺体の現場が河川敷だったことなど、群馬小2女児殺害事件と共通点があった。そのため群馬小2女児殺害事件を宮崎勤の犯行と疑うメディアもあったが、殺害時期が宮崎勤の第1の殺害事件から1年近く前であることや事件現場がやや離れていることなどの問題があり、また宮崎勤と結びつける証拠がみつかなかったため宮崎勤の犯行としては立件されなかった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月28日 (土) 12:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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