習志野市

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習志野市
ならしのし
日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
団体コード 12216-5
面積 20.99km²
総人口 161,413
推計人口、2009年10月1日)
人口密度 7,690人/km²
隣接自治体 千葉市美浜区花見川区
船橋市八千代市
市の木 アカシア
市の花 アジサイ
他のシンボル
習志野市役所
所在地 〒275-8601 千葉県
習志野市鷺沼一丁目1番1号
電話番号 047-451-1151
外部リンク 習志野市

習志野市位置図(千葉県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
習志野市 紋章(1955年8月1日制定)
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習志野市(ならしのし)は千葉県北西部に位置するである。下総台地の端であり、東京湾に面する。人口約16万人で、千葉県内では浦安市に次いで10位である。

目次

[編集] 地理

下総台地の端であり、海岸部から内陸部にかけて高低差が大きい。東京湾沿いには広大な遠浅の海岸を埋め立てた住宅地や商工業地が広がるが、一ヶ所だけ埋め立てられないで残ったラムサール条約登録地谷津干潟があり、干潟を必要とする渡り鳥の重要な中継飛来地となっている。

[編集] 歴史

[編集] 習志野市史

原始・古代~中世

千葉市の加曽利貝塚などにも見られるように、千葉県東京湾岸には多くの縄文時代遺跡が存在する。習志野市周辺にも藤崎堀込貝塚などの当時の遺跡が多数確認されている。市内には鷺沼古墳群があり、鷺沼地区には有力な豪族がいたことが分かる。律令制下の古東海道の浮嶋駅を習志野市内に比定する説もあるが詳しくは不明である。治承4年(1180)、吾妻鏡には、石橋山の戦いに敗れ安房国に上陸した源頼朝が、軍勢を連れて北上して鎌倉に向かったときに陣を置いた館(やかた)の場所として、「鷺沼御旅館」の名前が見られる。現在、市役所がある鷺沼地区の八剱台や、八剣神社周辺、また、暗渠となっている菊田川の左岸が下総台地に迫る位置の大堀込が、中世の武士の城館である鷺沼城跡の候補地となっている。

近世

江戸時代には、谷津(やつ)、久々田(くくだ、くぐた)、鷺沼(さぎぬま)、藤崎(ふじさき)、実籾(みもみ)などの村々は、ほとんどが幕府領または旗本領となっていた。また、大久保(おおくぼ)新田が関西(おもに大阪府羽曳野市)からの移住者によって開発された。当時の資料には海岸部に谷津村や久々田村・鷺沼村などの地名が見られ、内陸の実籾村の北部には幕府によって小金牧が置かれた。藤崎村・大久保新田・実籾村には東金御成街道が通り、藤崎の名はその地を通った徳川家康が「藤咲」と名付けたと伝えられる。後に同地にある子安神社の祭神コノハナサク(咲)ヤヒメの名を憚って「咲」を「崎」に変えたという。また、屋敷(やしき)台新田が馬加村(後に幕張)の一部となっていた。この海岸部の村々と内陸の台地の村々の二つの地域が、その後の習志野市の地理的な二大要素、すなわち後述の「津田沼」と「習志野原」を構成するようになるのである。

東京湾沿岸には海岸近くにまで下総台地が迫り、そこに三本の谷(谷津田)が刻まれている。ここに開けた水田の回りに開けた集落が最も西に位置する谷津、中央の久々田とその上流に位置する藤崎、東の鷺沼であった。

近代・明治~昭和

1888年(明治21年)、町村制施行により、谷津、久々田、鷺沼、藤崎、大久保新田(後の大久保)の5村が合併して、人口約4,500人の千葉郡津田沼村が誕生した。谷津の津、久々田の田、鷺沼の沼を合わせたのである。一方、実籾村は馬加村などと合併して幕張村となった。1895年、前年開通した総武鉄道津田沼駅が出来る。1903年には津田沼村が町制をしき、人口約6,000人の津田沼町となった。

明治6年、小金牧大和田原(現千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われた。後に明治天皇によって、その地は「習志野原」と命名され、陸軍の演習場となった。なお、演習場の敷地は、その後、拡張され、現在習志野市八千代市の一部の広大なものとなった。※一説には篠原国幹少将による指揮に感銘し、そのときの天皇の発言(「篠原を見習え」>習え篠原>習志野原)がもととなったという。後に陸軍によって買収され習志野演習場となった。

陸軍習志野練兵場には日露戦争の時に捕虜の収容施設が作られ、ロシアの捕虜[1]が、また、第一次世界大戦の時には、ドイツオーストリア=ハンガリーの捕虜[2]が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの騎兵連隊陸軍衛戍病院(現在の済生会習志野病院)がおかれ、第1第2の2つの騎兵旅団が編成された。昭和に入り騎兵連隊が中国大陸へと進駐すると、後には陸軍習志野学校や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。 津田沼には鉄道第二連隊が置かれ、松戸から津田沼までに演習で路線が引かれ、それが現在の新京成電鉄となった。

こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「軍郷」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。近年では旧日本陸軍軍用跡地に毒ガス弾が埋設され残っている問題が浮上した。環境省が調査を行っているが、旧日本陸軍習志野駐屯地跡地のある船橋市八千代市など近隣市町村にまたがる広域の問題となっている。[1]

現代・戦後

戦後、軍施設は民用施設に転換され、住宅地となったり、教育施設、病院、工場として利用された。千葉工業大学津田沼キャンパスには、鉄道第二連隊の表門が残されている。北東部の「習志野原」と呼ばれる旧陸軍演習場の敷地の大部分は、外地からの引揚者などの手による開墾地となった。(平林巌と習志野原の開拓を参考)

1954年(昭和29年)8月1日 津田沼町が習志野町に名称変更、同日千葉市の一部(旧幕張町北部)を編入合併、同日市制施行により習志野市が成立した。習志野演習場の自衛隊施設に転用された部分を含む旧二宮町船橋市に編入された(この部分、習志野市の成立を参照せよ)。市制が布かれて以降、「津田沼」の地名は旧久々田村の地域を指す地名として残された。総武線は乗客数増加に対応し東京-津田沼間で複々線化し、快速運転を開始するようになった。また、津田沼駅周辺に大型店舗が乱立するようになった。津田沼戦争を参照のこと)。

沖合いに広がる遠浅の海岸は、戦後、伝統的な潮干狩りに加えて海苔養殖で繁栄したが、1960年代に千葉県企業庁がこれを埋め立て、日本住宅公団が袖ヶ浦団地を造成した。また、1970年代の第二次の埋め立てでは秋津、香澄の住宅公団の団地や分譲住宅地の他、芝園・茜浜などに工業地が作られ、東関東自動車道水戸線の建設の際には緑地が作られた。このとき旧大蔵省管轄の土地が池状に埋め立てられずに残され、東京湾と二本の水路でつながった干潟谷津干潟と呼ばれ、船橋沖に広がる三番瀬と並ぶ野鳥の飛来地として保護され、ラムサール条約登録地となった。

[編集] 人口

習志野市と全国の年齢別人口分布 習志野市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 習志野市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 125,155人
1985年 136,365人
1990年 151,471人
1995年 152,887人
2000年 154,036人
2005年 158,785人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 歴代首長

津田沼村長
  • 初代 伊藤弥一(谷津)明治22年5月~26年4月
  • 2代 三橋茂兵衛(久々田)26年5月~27年4月
  • 3代 村山吉兵衛(鷺沼)27年4月~28年6月
  • 4代 伊藤弥一(谷津)28年7月
  • 5代 三橋茂兵衛(久々田)28年9月~30年4月
  • 6代 植草十右衛門(久々田)30年12月~34年12月
  • 7代 笠川徳脩(その他)35年5月~36年3月 大和田町(現八千代市出身)
津田沼町長
  • 初代 笠川徳脩(その他)36年3月~37年7月
  • 2代 中島左内(久々田)38年3月~41年10月
  • 3代 田久保節造(藤崎)42年2月~44年8月
  • 4代 中島左内(久々田)44年9月~昭和4年10月
  • 5代 田久保清次(藤崎)4年11月~6年1月
  • 6代 吉野信(久々田)6年1月~21年11月
  • 7代 白鳥義三郎(久々田)22年4月~29年8月
習志野市長
  • 初代 白鳥義三郎
  • 2代 大塚軍記
  • 3代 吉野孝
  • 4代 三上文一
  • 5代 荒木勇(現職)

[編集] 産業

[編集] 農業

住宅化が進み、農地は減って来ているが、近郊農業は行われている。主な産物はニンジンネギなどで、菊田川・浜田川上流域において水田が僅かに存在する。

[編集] 工業

東習志野にいくつか大きな工場がある。千葉港から広がる京葉工業地域には、重化学工業が発達している。

習志野市は当初、内陸部・東習志野の旧陸軍習志野演習場を解放した開拓地を、農地法による売買制限解除前に買い上げ、工業団地を造成して日立製作所などの大工場を誘致した。沿岸部では第二次埋立の行われた1970年代に公害が大きな社会問題となったこともあって大工場の誘致は行わず、埋め立て完了後、茜浜に中小工場による工業団地を造成した。

また、鷺沼で天然ガスの採掘が行われていたが、現在は休止中である。

[編集] 商業

習志野の陸軍施設の玄関口として総武線津田沼駅北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは船橋市(旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは京成電鉄谷津遊園(現・谷津)・京成津田沼京成大久保実籾の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で谷津遊園に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も繁華な地区であった。

1970年代後半、千葉県立千葉工業高等学校と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って長崎屋パルコイトーヨーカドー丸井(以上北口)、高島屋ダイエー(以上南口)などの大型店が相次いで進出し、新京成電鉄沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に津田沼戦争と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが2005年末に、丸井が2007年に撤退しているが、2003年10月4日イオン株式会社イオン津田沼ショッピングセンターをオープン、2007年11月9日ファーストリテイリングユニクロを核店舗としたミーナ津田沼を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に2008年にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルにヤマダ電機LABI津田沼店とジャスコ津田沼サンペデック店ほか多数テナントがオープンしたため、激しい競争の再来が予想される。

2000年代に入って、造成の遅れていた京葉線新習志野駅南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが、秋津団地のショッピングセンターは撤退に至った。

[編集] 姉妹・提携都市

[編集] 交通

[編集] 鉄道

習志野という駅は市内に存在せず(習志野駅は船橋市にある)、船橋市にまたがる津田沼駅が市の中心駅となっている。京成線京成津田沼駅京成本線千葉線に分岐する。また、京成津田沼駅は新京成線の起点である。またJR総武線京葉線が通っていて、習志野市内にそれぞれ車両基地がある。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
京成電鉄

新京成電鉄

[編集] 路線バス

京成バス
習志野新京成バス

津田沼線

前原公団線

  • 津10公団東口経由千葉病院前行き
  • 津11公団東口行き
  • 津14公団東口・東町経由東船橋駅行き

津田沼グリーンハイツ線

  • 津17前原東郵便局経由津田沼グリーンハイツ行き

三山線

  • 津08田喜野井入り口経由二宮神社前行き

習志野市コミュニティバス2007年11月29日より実証運行開始。運行は京成バスが担当)

  • 京成津田沼駅内陸ルート
  • 京成津田沼駅海浜ルート
  • 京成大久保駅ルート
  • 実籾駅(右回り)ルート
  • 実籾駅(左回り)ルート

[編集] 高速バス

東京空港交通 津田沼駅南口~羽田空港

[編集] 道路

高速道路
一般国道

[編集] 港湾

[編集] 市民生活

[編集] 環境

[編集] 防災

[編集] 安全

ならしの犯罪マップ

[編集] 観光

[編集] 史跡・名所

[編集] 主な神社

[編集] 主な寺院

  • 東福寺(谷津)
  • 西光寺(谷津)
  • 東漸寺(津田沼
  • 慈眼寺(鷺沼)
  • 正福寺(藤崎)
  • 無量寺(実籾)
  • 薬師寺(大久保)

[編集] イベント

[編集] 教育

旧軍隊施設跡地に誘致された東邦大学(ただし東邦大学は船橋市内に位置する)や日本大学生産工学部千葉工業大学のキャンパスが大久保や津田沼、さらに埋立地の芝園にあり、学生の数が多い。京成大久保駅周辺は学生街を形成している。

市立習志野高校高校野球や吹奏楽部、サッカー等で活躍し、全国的に有名であり、千葉県立津田沼高等学校には音楽コースが設けられており、ここでも音楽教育が盛んである。

[編集] 幼稚園

市立
杉の子幼稚園・つくし幼稚園・谷津幼稚園・津田沼幼稚園・袖ヶ浦東幼稚園・屋敷幼稚園・藤崎幼稚園・大久保東幼稚園・向山幼稚園・新栄幼稚園・袖ヶ浦西幼稚園・秋津幼稚園・香澄幼稚園・実花幼稚園・東習志野こども園
私立
第一くるみ幼稚園・青葉幼稚園・習志野みのり幼稚園・みもみ幼稚園・ホーリネス幼稚園
他の幼児施設
やひろ学園

[編集] 小学校

市立


[編集] 中学校

市立


私立
東邦大学付属東邦中学校-公式サイト

[編集] 高等学校

市立
習志野高等学校
県立
千葉県立津田沼高等学校
千葉県立実籾高等学校
私立
東邦大学付属東邦高等学校

[編集] 専門学校

[編集] 大学

千葉工業大学津田沼校舎)・千葉工業大学(芝園校舎)・日本大学生産工学部(津田沼キャンパス)・日本大学生産工学部(実籾キャンパス)

東邦大学の薬学部・理学部については、本部が船橋市内にあるため習志野市の学校には入らない。

[編集] 習志野市を舞台とする作品

[編集] 出身有名人

[編集] 出典

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月3日 (火) 13:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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