耶律阿保機
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| 太祖 耶律阿保機 | ||
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| 遼 | ||
| 初代皇帝 | ||
| 王朝 | 遼 | |
| 在位期間 | 907年 - 926年 | |
| 姓・諱 | 耶律億(漢風姓:劉億) | |
| 小字 | 啜里只 | |
| 諡号 | 大聖大明神烈天皇帝 | |
| 廟号 | 太祖 | |
| 生年 | 872年 | |
| 没年 | 926年 | |
| 父 | 耶律的魯 | |
| 母 | 宣簡皇后蕭氏 | |
| 年号 | 神冊 : 916年 - 922年 天賛 : 922年 - 926年 天顕 : 926年 - 926年 |
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耶律阿保機(やりつ あぼき、Yelü Abaoji)は、契丹(キタイ)帝国(漢風国号として遼も名乗った)の建国者。「阿保機」とはあだ名「アブーチ(掠奪者)」の音訳とされる。弟は耶律刺葛。
渤海を滅ぼした後、その凱旋途中で54歳で没する。
目次 |
[編集] 出生
耶律阿保機は、契丹(キタイ)族・耶律氏(ヤルート)の迭刺(てつら)部出身。徳祖(追号された父)の長子として、母である宣簡皇后蕭氏との間に872年に生まれる。また、耶律氏は発音によっては、移刺(イラ)とも呼ばれる。また天皇帝、天皇王の称号をも持っていた。
伝説によれば母が夢により受胎され、誕生の際には室内に不思議な光と香りに包まれ、生まれながらに三歳児の体格をし這い出したと伝えられる。
初めは遥輦氏の痕徳菫可汗に仕えていたが、906年に痕徳菫可汗が没すると、907年に可汗に即位(第一次即位)、族内の反対勢力を粛清して可汗の選挙交代制を廃し、耶律氏による可汗位の独占体制を確立した。
[編集] 治世
916年の第二次即位においては、国号をキタイ=契丹(漢風国号「遼」の名も名乗るようになるのは二代目太宗の時)とし、元号を神冊と定め、キタイ族の王朝を誕生させた。耶律阿保機は北宰相に蕭轄剌、南宰相に耶律欧里思率を任じ国家運営を進めていく事になる。
耶律阿保機は西のタングート・ウイグルを討ち、これらを服属させ、東の渤海を滅ぼして、ここに長子耶律突欲(劉倍)を封じて東丹国を作った。渤海との戦役からの帰路の途中で病没した。
耶律阿保機は遊牧民と定住民を別の機構で統治する二重統治体制、遊牧所領内にも多くの都市を建設するなど、遊牧国家に農耕国家のシステムを取り入れ、匈奴以来の遊牧国家のシステムをより強固なものとした。また、920年には大小二種の契丹文字を制定した。
[編集] 年表
[編集] 后妃
- 淳欽蕭皇后太后(月里朶=ユリド、述律皇后)
[編集] 女
[編集] 子
- (子は敵烈、室魯、奚底ら、大石の祖とする)
『遼史』より抜粋。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年9月4日 (金) 22:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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