胆沢ダム
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| 胆沢ダム | |
|---|---|
| 所在地 | 左岸:岩手県奥州市胆沢区若柳字下尿前 右岸:岩手県奥州市胆沢区若柳 |
| 位置 | 北緯39度07分05.0秒 東経140度55分01.0秒 |
| 河川 | 北上川水系胆沢川 |
| ダム湖 | 未定 |
| ダム諸元 | |
| ダム型式 | 中央土質遮水壁型 ロックフィルダム |
| 堤高 | 132.0 m |
| 堤頂長 | 723.0 m |
| 堤体積 | 13,500,000 m³ |
| 流域面積 | 185.0 km² |
| 湛水面積 | 440.0 ha |
| 総貯水容量 | 143,000,000 m³ |
| 有効貯水容量 | 132,000,000 m³ |
| 利用目的 | 洪水調節・不特定利水・ かんがい・上水道・発電 |
| 事業主体 | 国土交通省東北地方整備局 |
| 電気事業者 | 電源開発 |
| 発電所名 (認可出力) |
未定 |
| 施工業者 | 鹿島・清水・大本共同企業体(堤体盛立)/ 西松・佐藤・東急共同企業体(洪水吐き打設)/ 大成・熊谷・間共同企業体(材料採取工事)/佐藤工業(管理棟)ほか |
| 着工年/竣工年 | 1983年/2013年 |
| 備考 | 水特法指定ダム |
胆沢ダム(いさわダム)は岩手県奥州市、一級河川・北上川水系胆沢川に現在建設が進められているダムである。
国土交通省東北地方整備局が施工の主体となっている特定多目的ダムである。1953年(昭和28年)に完成した石淵ダムの約2.0km下流に建設が進められているロックフィルダムで、堤高132.0mは東北地方に建設された多目的ダムの中では最も高く、堤体積は全国第2位・堤体長は国内最長723mの全国屈指の巨大ダム。2013年(平成25年)の完成を目指して現在ダム本体の盛土工事を行っているが、完成すると「日本で最初に着手されたロックフィルダム」石淵ダムは完全に水没する。
目次 |
[編集] 沿革
北上川の河川総合開発事業は「北上川上流改訂改修計画」・「北上特定地域総合開発計画」に基づき5箇所の多目的ダムを建設する「北上川五大ダム計画」が大きな柱であった。
その口火を切ったのが田瀬ダム(猿ヶ石川)であり1938年(昭和13年)より事業に着手。続いて石淵ダムが胆沢川に1947年(昭和22年)より事業着手しており1953年に完成。5大ダムの第1号となった。その後田瀬ダムが1954年(昭和29年)、湯田ダム(和賀川)が1964年(昭和39年)、四十四田ダム(北上川本川)が1968年(昭和43年)に完成。最後となった御所ダム(雫石川)も1981年(昭和56年)に完成し、北上川総合開発事業(KVA)は40年目にして完結を見た。
だが、5大ダムの第1号石淵ダムは灌漑を重視して建設された経緯があるために有効貯水容量が小さく治水機能については十二分とは必ずしも言えず、加えて胆沢川の小出水が多い事から完成当初からゲート放流が頻繁に行われ、昭和30年代には年間200~300回に及ぶ放流が実施されていた。昭和50年代には年間70回程度にまで減少したものの他のダムに比べ放流回数が多いため、より安定した洪水調節機能の強化が不可欠となった。また、日本で最初に施工開始されたロックフィルダムで、且つコンクリートフェイシングフィルダムであった石淵ダムはコンクリート遮水壁の劣化・沈下が起こっており、堤体を強化・安定化させるためにはダムの改造が求められるようになった。
これらの事情から石淵ダム再開発事業が検討された。1967年(昭和42年)に先ず「石淵ダム嵩上げ計画」が検討されたが、堤体嵩上げよりも本格的な再開発として直下流に大規模なダムを建設する方向性が生まれた。
[編集] 目的・建設のあゆみ・規模等
この結果1973年(昭和48年)に「胆沢川総合開発事業」として新石淵ダム建設事業が計画された。その後ダム名は新石淵ダムから河川名・所在地名を採り「胆沢ダム」へと変更された。
堤高は132.0mと北上川水系では最大規模であり、総貯水容量・湛水面積は玉川ダム(玉川)・津軽ダム(岩木川)・田瀬ダムに次ぐ大規模なダムである。ダム建設に伴い42世帯の住民が移転を余儀なくされ、加えて尿前温泉が水没する事から補償交渉は難航。1990年(平成2年)には水源地域対策特別措置法の指定を受け、補償に伴う補助金・嵩上げ等移転者生活再建のための手厚い対策を提案し、1992年 (平成4年) 2月、補償交渉は妥結し、調印にこぎつけた。
補償交渉と並行して、1989年(平成元年)9月環境アセスメント手続き終了・1990年5月(平成2年)ダム建設基本計画告示がなされ、補償交渉妥結調印後、本格工事に着手する。1993年2月(平成5年)付替国道397号建設工事着手・1998年6月(平成11年)胆沢川転流トンネル工事開始等を経て、1999年6月基本計画の変更告示がなされ、完成が平成25年度に、総事業費が1360億円から2440億円に変更になった。2003年1月(平成15年)堤体基礎掘削工事開始・2005年10月(平成17年)堤体盛立工事開始・2006年10月(平成18年)洪水吐き打設が開始された。
ダム型式は、中央土質遮水壁型ロックフィルダムである。中心に水を通しにくい粘土層(コア)を配し、次に粘土層が流失しないために砂利層(フィルター)・その外側に二層の巨石層(ロック)を配する胆沢ダムの、設計堤体積は1350万m³であり、国内では2008年10月に完成した徳山ダム(岐阜県)の1370万m³に次ぐ第2位、堤体高さは132mで国内第7位であるが、堤体長は723mで、徳山ダムの1.7倍、黒部ダムの1.5倍と国内大型ダムの中で最長の巨大ダムである。
洪水吐きは、ダム湖の規定水位を越えた分の水は、洪水吐きゲートを通り流下する自然調整方式であり、常用水位が常に維持される。また、台風や集中豪雨等による急激な水位上昇の時は、洪水吐きの流入部の右壁(117M)を乗り越えて、水が流下する横自由越流方式を採用している。(計画最大放流量350㎥/s)
胆沢ダムの建設の目的は、1)胆沢川流域及び奥州・一関市間の北上川の洪水調節、2)胆沢川流域農地への既得水利権分の不特定利水、胆沢川流域農地の新規灌漑、3)水沢区・江刺区等下流域への上水道供給、4)胆沢川の水位の安定、5)石淵ダム完成時より水力発電を手掛けている電源開発株式会社による発電、であり、2013年に完成すれば地域への治水・利水における貢献度が更に高くなる。
ダム堤体工事の材料は、1)ロック部の巨石は、ツブ沼北方の『大森山』から約5Kmの工事用道路を作り、90トン巨大ダンプトラックで運搬し、2)コア部の粘土は、温泉施設ひめかゆ後方の高台『慶存(けいそん)地区』から、約1Kmのベルトコンベアーで運搬し、小砂利とブレンドして一ヶ月ほどおいてから使用し、3)フィルター部の砂利は堤体下流の胆沢川流域の物を使用している。コア材とフィルター材の運搬には55トン&38トンのダンプトラックが使用されている。
[編集] 石淵ダム水没
だが、胆沢ダムが完成することにより、約2.0km上流にある石淵ダムは胆沢ダム湖に完全に水没することになり、1953年に完成してより60年亘るダムの歴史、日本で最初に施工されたロックフィルダムはその生涯に幕を下ろすことになる。しかし、湖底に沈んでも尚、上流から流れ込む土砂を止める貯砂フィルターダムの役目をして、胆沢ダムの機能保持をする上で、新たな重要な役割を担う事になる。(胆沢ダムの常時水位は、石淵ダム上端より約20mほど上になる予定)
また、周辺の名所「猿岩隧道」も水没する。完成後、ダム湖右岸に渡る道は、ツブ沼キャンプ場で付替国道397号から分かれる新設の付替町道のみになり、ダム湖の最奥の所を新設の二本の橋梁で猿岩後方の対岸に渡る事になる。
[編集] 岩手内陸地震
2008年6月14日午前8時43分、岩手県内陸南部(奥州市衣川区)の深さ8Kmを震源とするM7.2の岩手宮城内陸地震が発生し、震源とあまり距離が離れていないこの地域も震度6強の突き上げるような強烈な揺れに襲われた。周囲の山肌は大きく崩れ、開通したばかりの国道は至る所で大きな亀裂が入り、胆沢トンネル出口の崖崩れもあり、通行不能となった。石淵ダムは、堤体上部とコンクリート面が大きく損傷したが、ダムの機能は維持できる状態であり、緊急工事により短期間で通常業務に復帰できた。
胆沢ダムは、コンクリート造の洪水吐きが大きな損傷を受けた。堤体本体(進捗率60%)は盛立上部のコアとフィルター部分に亀裂が見つかったが、検査の結果、深刻な物ではなく、直に回復できた。胆沢川転流トンネルの上流呑み口上部の崖崩れにより、二つの呑み口とも土砂に埋もれ、水位が急上昇したが、工事車両による緊急工事により、14日深夜には危機を脱した。しかし、落石の直撃を受け、1名の尊い命を失ってしまった。コア材運搬ベルトコンベアーや原石採取山・運搬路も深刻な損傷を受けた。工期は大幅に遅れたが、関係者の懸命な努力の結果、2008年12月の冬季休業までには、かなり遅れを取り戻した。
[編集] 現在の進捗率
冬季休業後は、天候にも恵まれ、本体工事は順調に進んでおり、2009年9月20日現在の堤体盛立の進捗状況は99%で、コア部・フィルター部の工事は最終段階を迎えており、11月頃には、遊歩道を除いたダム堤体は完成し、東北地方屈指で、日本でも最大級の巨大ロックフィルダムがほぼ全容を現すことになる。 震災によるダメージが大きかった洪水吐きも、2009年7月末日現在、打設総予定量の85%を超え、2010年中の完成を目指している。11月中には、遊歩道に繋がる洪水吐き横断橋が完成する。ダム管理棟は2010年春の完成を目指している。震災で開通が遅れた付替国道397号線も、2010年4月には『ツブ沼』まで、全面開通の予定である。
今後の工事は、堤体最上部の遊歩道工事・取水塔建設・導水管制作据付・工事区域を含めた周辺地域の整地整備・試験湛水時の崖崩れを防止する法面工事・付け替え町道&林道工事などに移っていく。すべての工事は、2012年3月が最終期限であり、検査合格後、水を貯め始める試験湛水を行なう予定になっている。この試験湛水時の事故が、ダム崩壊事故の大半を占めているため、慎重にテストを実施しながら水を貯め、翌年の2013年度中の運転開始をめざしている。
[編集] 資料館・展望台・登山道ほか
胆沢ダムへのアプローチは、国道397号を奥州市水沢区から秋田方面に、車で30分ほど進むと、進行方向左側に見えてくる。他地域のダムのような急な上り坂や急カーブもなく、驚くほど楽なドライブで、日本有数の巨大ダムに着く事が出来る。
旧国道397の道沿いにある、建設現場の下流ゲート前には、胆沢ダム資料館(AM9-PM4:30:無料)があり、ダムと周辺地域の立体模型・周辺に生息する動植物の写真・先人が遺した堰(せき)の模型が展示してある。ダム左岸、新国道(国道397)沿い、焼石東トンネル直前の管理棟予定地には、展望台(AM9-PM6:トイレ有り)が設けられており、立派な東屋からは巨大なダムの建設現場や国内最大級の多くの大型工事機械(日曜日は工事は休み)を一望することができる。ダム見学会が、2009年は数回予定されている。堤体本体や原石山を大型バスで見学し、90トンダンプ運転席に座る事もできるなど、貴重な経験ができる。(次回は11月7日(土)の予定で本年最後の見学会になる・詳細は胆沢ダムホームページ http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/ )
また、ダム建設に伴い、焼石岳登山道の一つ「中沼コース」の入口が変更になっている。ただし、2009年9月20日現在、岩手宮城内陸地震のため「中沼コース」は使用できないので注意が必要(岩手県内国道397号からの登山道は「つぶ沼コース」のみ)。「中沼コース」は、平成25年、ダムが本格操業開始後は、国道397号の尿前渓谷橋を渡り終えて直の、新しい林道入口から入るコースに変更予定である。(焼石登山については、奥州市胆沢区観光協会 http://www.eins.rnac.ne.jp/~isawa-k/)
[編集] 計画一時凍結発表と地元の反応
2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣による大規模ダム見直し宣言に関連して前原誠司国土交通相が国直轄の48ダムを一時凍結を発表し、胆沢ダムもこの48ダムに含まれているが、岩手県では「すでに本体工事中の胆沢ダムの事業は継続される」とみており(根拠は不明)、達増拓也知事は「事業を続けることに問題は感じてなかった。当然のこと」と述べ、奥州市の相原正明市長は「本体工事もほぼ終了段階まで進んでおり、ぜひ計画通りに建設されることを望む」とコメントし(しかし48ダムの中では民主党が不要であるとして建設を凍結した長井ダムの方が20%近く終了段階に近い)、2009年内は続行する姿勢を見せている[1]。
小沢一郎の地元のダムであることから、ダム見学会に参加した地元住民からは「ダム建設が中止になれば、小沢一郎を下ろす」との声が出るなど反対の声が挙がっている[2]。
[編集] 西松建設受注問題
2009年3月、小沢の資金管理団体が、胆沢ダムの洪水吐き打設工事などを受注していた西松建設から違法献金を受け取っていたとして会計責任者兼公設第一秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕されている。西松建設側の供述によれば、公設秘書は「胆沢ダムは小沢ダムだ」と発言して西松建設に献金を強く要請したとされ、西松建設も「ダム受注のための献金だった」と東京地検特捜部に供述をしている[2][3]。
詳細は「小沢一郎#政治資金規正法違反疑惑」を参照
[編集] 脚注
- ^ 2009年10月10日 朝日新聞
- ^ い ろ 「胆沢ダムの建設凍結は無い」と国交省現場担当者=民主・小沢氏の違法献金事件で揺れる疑惑ダム2009年10月19日PJnews
- ^ 2009年3月24日 毎日新聞
[編集] 関連項目
[編集] 出典
最終更新 2009年11月23日 (月) 05:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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