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本来の表記は「胡瑗」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

胡瑗(こ・えん、993年 - 1059年)は北宋時代の中国の儒学者。字は翼之。安定先生と称される。諡は文昭。

[編集] 事績

泰州海陵(江蘇省)の出身。7歳から文章を書き、13歳で五経に通じ、泰山に行き孫泰山・石徂徠について学業を完成。初めは呉中で経術を教授していたが、景祐年間(1034年~)の初めに雅楽を改定するさい、范仲淹の推薦により鐘律を定め、校書郎を授けられた。のちに保寧軍節度使として湖州で子弟数百人に教授した。慶暦年間(1041年~)に太学を興したときには、胡瑗が湖州で制定した法を採用したほど、影響力があった。皇祐年間(1049年~)太常鐘声を更新し、樂事を定めて大理寺丞となる。その後は太学で教授し、礼部の官僚の半数は胡瑗の弟子であったと伝えられる。嘉祐年間(1056年~)の初め、太子中允天章閣侍講に選ばれ、病のため太常博士として退官する。

主として明体達用の学を唱え、性命の説を述べ、孫復とともに朱子学の先駆をなした。

[編集] 著作

  • 『周易口義』12巻
  • 『洪範口義』2巻
  • 『中庸口義』
  • 『論語説』
  • 『春秋説』

[編集] 参考

  • 『宋史』432
  • 『宋元学案』   

最終更新 2008年2月20日 (水) 07:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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