能登呂 (水上機母艦)

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艦歴
起工 1919年11月24日
進水 1920年5月3日
就役 1920年8月10日
(給油艦として竣工)
その後 1924年水上機母艦へ改装
1947年1月12日 海没処分
除籍 1947年5月3日除籍
性能諸元
排水量 常備:12,786t
全長 (垂線間長:138.68m)
全幅 17.68m
吃水 8.08m (平均)
主缶 宮原式缶6基
主機 直立三段膨張1基1軸 5,850hp
速力 12kt
航続距離
乗員
兵装 40口径12cm単装砲2門
8cm単装高角砲2門
(台座のみで砲は装備せず)
航空機 水上機常用4機 補用4機
昭和6年、水上機母艦時代の「能登呂」

能登呂(のとろ)は、日本海軍水上機母艦

目次

[編集] 概要

能登呂八八艦隊計画の給油艦の1艦として1920年(大正9年)に竣工した。「若宮」の老朽化によりその代艦として1924年(大正13年)に佐世保工廠にて水上機母艦への改装工事を実施、改装内容は若宮とほぼ準じた形であるが艦形が大きいため搭載機数は倍増している。また給油艦としての機能もそのまま残されていた。

1934年(昭和9年)、特務艦(運送艦)から水上機母艦へ類別変更。日中戦争(日華事変)などに参加。

1941年(昭和16年)、搭載機を降ろす。大戦中は航空機輸送、重油輸送に従事したが3度の雷撃で損傷。

終戦時はシンガポールにあり、未修理のままオイルタンクとして使用されていた。戦後海没処分。

[編集] 艦歴

  • 1920年8月10日 川崎造船所にて竣工。特務艦(給油艦)
  • 1925年12月-翌年5月 佐世保海軍工廠にて水上機母艦への改装工事
  • 1931年9月5日 横浜港に停泊中、漏れたガソリンに引火爆発、10名の殉職者を出す事故を起こす
  • 1932年1月 上海事変に参戦
  • 1934年6月1日 水上機母艦へ類別変更
  • 1937年 日中戦争(日華事変)に参戦
  • 1941年7月 搭載機を降ろす
  • 1943年1月9日 マカッサル海峡アメリカ海軍潜水艦ガー」(SS-206)の雷撃を受け損傷、シンガポールで修理
    • 9月20日 トラック沖でアメリカ潜水艦「ハダック」(SS-231)の雷撃を受け損傷、因島で修理
  • 1944年6月29日 シンガポール南東沖でアメリカ潜水艦「フラッシャー」(SS-249)の魚雷3本を受ける
  • 1945年3月1日 予備艦となる
  • 1947年1月12日 イギリス軍により海没処分
    • 5月3日 除籍

[編集] 歴代艦長

[編集] 艦長

  1. 北川清 大佐:1925年10月15日 -
  2. 大西次郎 大佐:1927年12月1日 -
  3. 松原雅太 大佐:1928年12月10日 -
  4. 藤沢孝政 大佐:1930年11月10日 -
  5. 三竝貞三 大佐:1931年12月1日 -
  6. 桑原虎雄 大佐:1932年12月1日 -
  7. 今村脩 中佐:1933年10月20日 -
  8. 酒巻宗孝 大佐:1934年11月15日 -
  9. 上野敬三 大佐:1935年11月15日 -
  10. 仲村保造 中佐:1936年12月1日 -
  11. 岡田次作 大佐:1937年10月2日 -
  12. 柳本柳作 大佐:1937年12月1日 -
  13. 早川幹夫 大佐:1938年12月1日 -
  14. 来島茂雄 大佐:1938年12月6日 -
  15. (兼)橋本愛次 大佐:1939年7月20日 -
  16. (兼)秋山勝三 大佐:1939年11月15日 -
  17. 佐藤四郎 大佐:1940年4月5日 -
  18. 山県駿二 中佐:1940年10月19日 -
  19. 堀内馨 大佐:1941年6月25日 -
  20. 吉田四郎 大佐:1942年7月15日 -

[編集] 参考文献

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ、光人社、1989年

[編集] 関連項目


最終更新 2009年7月10日 (金) 14:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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