舛方勝宏
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ますかた かつひろ
舛方 勝宏 |
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| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1943年2月16日(66歳) |
| 最終学歴 | 早稲田大学第一文学部卒業 |
| 部署 | 日本テレビ取締役専務執行役員 |
| 職歴 | 元同局アナウンサー、CS日本社長 |
| 活動期間 | 1965年~1997年 |
| ジャンル | 報道・スポーツ |
| 出演番組・活動 | |
| 過去 | 「NNNきょうの出来事」 「トヨタカップサッカー」 「全国高校サッカー」 「あなたと日テレ」 |
舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )は、日本テレビ取締役専務執行役員。元アナウンサー、シーエス日本代表取締役会長、東通取締役。
目次 |
[編集] 来歴・人物
富山県出身。早稲田大学第一文学部に入学し(後輩には現フリーアナウンサーの福澤朗がいる)、アナウンス研究会に所属。地方出身者ということもあり、NHKが出版したアクセント辞典を使って発音を間違った際はその箇所をペンで塗りつぶしては徹底的にアクセントを矯正し、卒業時にはこの辞書を3冊もペンで塗りつぶすほどの努力家であった(この事は後輩アナウンサーの間で今でも語り草となっており、早大アナウンス研究会の3期後輩である逸見政孝のみならず、十数年後に早大アナ研の門を叩いた山中秀樹や向坂樹興らにも多大な影響を与えた)。
大学卒業後の1965年、アナウンサーとして日本テレビに入社。アナウンサー時代は報道とスポーツ中継を主に担当した。
1992年から1997年まで、久保晴生の後を受けてアナウンス部長を務め、新人教育での熱血指導ぶりは大変有名だった(番組改編期の特番などでもよく取り上げられることが多かった)。
現役アナ時代の舛方は、主にサッカー中継を担当した。全国高等学校サッカー選手権大会のメイン実況アナとして知られるが、それ以上にトヨタカップの実況アナとしての方が有名である。
特に1985年のトヨタカップのユヴェントス( イタリア)vsアルヘンティノス・ジュニアーズ(
アルゼンチン)における、ユヴェントスのミシェル・プラティニ(
フランス)がボレーシュートを決めた(ただしオフサイドによりノーゴールとなっている)時に発した「プラティニゴール! スーパーゴール! ビューティフルゴール!」は名台詞となった。この台詞は、事前に考えていたものではなく、アドリブで発したものだという。また、特徴としては、クラブ名よりむしろ「ヨーロッパ(チャンピオン)」「南米(チャンピオン)」というフレーズを多用し、欧州vs南米という構図を煽る傾向が高かった。
その他、世界陸上競技選手権大会でも、1987年ローマ世界陸上、1991年東京世界陸上に於いて、男子100m走決勝レース世界新記録達成の実況を担当した(そのうち1987年のベン・ジョンソンのものは一度世界記録に認定されつつも、ドーピングのため失格・記録抹消となったものである)。
アナウンス部長を退いた後は、系列会社のCS日本社長、日本テレビ取締役人事局長等を歴任し、2007年6月の人事異動で専務に就任した。2009年6月15日付で編成局長に就任。同年12月1日付で、編成局長を石沢顕(前:総務局長)譲り、専務の編成局担当に専念する。
[編集] 現役アナウンサー時代の出演番組
- NNN日曜夕刊(小林完吾・本多当一郎・久能靖休暇時の代役)
- NNNきょうの出来事(小林完吾の後任として1983年から1年間平日を担当、その後1985年から1年間は金曜日を、1988年から2年間は金曜~日曜を担当)
- NNN6:30きょうのニュース(久保晴生の後任)
- NNNニューススポット
- あなたと日テレ
- トヨタカップサッカー(1984年、1985年、1988年、1989年、1994年大会まで計5回担当)
- 全国高校サッカー選手権大会
- 世界陸上(1991年の東京大会でのカールルイス100m世界新記録の実況は有名)
[編集] 外部リンク
- 「JAL123便墜落特番」まとめ画像 事故発生当日の「NNN報道スペシャル」で日航オペレーションセンターからの中継で、舛方と小池裕美子アナが伝える姿がある。
- BIGLOBEフットボール・ジャーナル「エル・ゴラッソ」 インタビュー 「日本サッカー冬の時代の伝道師」~「プラティニ・ゴール!スーパー・ゴール」アステカの熱狂が言霊となった瞬間
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月30日 (月) 13:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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