芭蕉の辻

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北西角の道標(2008年5月)
1930年頃の芭蕉の辻

芭蕉の辻(ばしょうのつじ)は江戸時代に仙台の城下町の中心であった十字路で、宮城県仙台市青葉区にある。宮城県道路元標(里程元標)がある。

目次

[編集] 概要

仙台城城下町は、大手門からの大手筋大町の街路)とこれに直交する奥州街道国分町の街路)を基準に町割がなされ、大町・国分町の両町は城下の経済の中心地、いわゆる目抜き通りとなった。現在の芭蕉の辻は、日本銀行仙台支店、七十七銀行支店(旧、本店)などがこの十字路に面し、金融街としての性格を残してはいるものの、旧大手筋にあたる中央通りアーケードは国分町の一本東を南北に通る一番町 までで止まっているなど、商業的な中心からは外れてしまっている。

[編集] 歴史

江戸時代から仙台城城下町の町割の基点とされた。辻には制札が掲げられたため当時は「札の辻」が正式名称であった。

辻の建物は、仙台藩がその威光を街道を行く人々に見せるために、四つ角全てが城郭風の高楼を備えた同じ形状の建物となっていた。これらの建物は一階部分は普通の商家と同じつくりになっていて、地元の豪商に貸し出され、何度か火事に遭った際も、その度に仙台藩の費用によって再建された。だが江戸も末期になると藩の財政も疲弊し、こうした対応は採らなくなっていった。 一部の建物は明治期まで残っていたが、これもやがて火災で失われた。

重罪犯人の「鋸挽き」や「立晒し」の刑場としても利用された。

[編集] 名称由来

以下の諸説があるが、1.の虚無僧説が最も有力である。

  1. 伊達政宗スパイとして働き、恩賞として辻の四隅の建物を授かった芭蕉という名の虚無僧が住んでいた(『封内山海名蹟記』)。
  2. 芭蕉の樹が植えてあった(『封内風土記』)。

なお、松尾芭蕉とは関係ない。

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青葉区大町一丁目の安田生命仙台ビルの前には1970年竣工の「芭蕉の辻」の碑と「江戸六十九次」「日本橋迄九十三里」と刻まれた道標が新設されている。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月30日 (金) 06:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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