芳村真理
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| よしむら まり 芳村 真理 |
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| 本名 | 大伴 稲 |
|---|---|
| 生年月日 | 1935年4月3日(74歳) |
| 出生地 | |
| 血液型 | AB |
| 職業 | 元司会者・女優(現在は森林活動家・会社経営者) |
| 活動期間 | 1955年~1992年 |
| 家族 | 吉村実子(女優) |
| 主な作品 | |
| 「夜のヒットスタジオ」・「料理天国」・「新春かくし芸大会」司会他 | |
芳村 真理(よしむら まり、本名・大伴 稲(おおとも いね)/旧姓・吉村、1935年4月3日 - )は、日本の女優、司会者。 若い頃は有名なモデルであり、芳村真理と同じ顔をしたマネキン人形は数十年にわたって大量に作られ、全国のデパートやブティック(洋品店)で多く見られた。
目次 |
[編集] 略歴
- 東京都中央区日本橋の生まれ。生家は農家で、本名の「稲」は妹(実子)とともに農業・農作物にちなんだ名前としてつけられたと思われる。また、芸名の「芳村」は旧姓の「吉村」の「吉」を出身地である日本橋・芳町の「芳」に替えたものである。
- 東京都立西高等学校出身で、元セゾングループ代表で現在は小説家の堤清二、元NHKアナウンサーの相川浩らは彼女の先輩、評論家の加藤諦三や、エッセイストの玉村豊男らは彼女の後輩に当たる。
- 高校卒業後、ファッションモデル事務所の老舗でもあるFMG(ファッション・モデル・グループの略)に所属(ちなみに西条エミや後に漫画家となる中尊寺ゆつこは同事務所における彼女の後輩に当たる)。1950年代後半(昭和30年代前半)において、人気ファッションモデルとして、各デザイナーのショーや「週刊朝日」を始めとする雑誌等の表紙グラビアを飾るなどの活躍を見せる。このモデル時代に「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)で、初めての司会を担当している。彼女のモデルでの活躍は団令子らと共に「ファニー・フェイス」の代表格として「美人」の固定観念を打破する一助となった。
- 1960年(昭和35年)、大島渚監督の誘いを受けて松竹「霧ある情事」で映画女優として本格的に芸能活動を開始。以後、「黄色いさくらんぼ」、「喜劇駅前シリーズ」の脇役等、約80本の映画に出演。また、「日産スター劇場」(日本テレビ)など、テレビドラマにも活躍の場を広げた。他方、当時隆盛を極めた学生運動等にも賛同しており、リベラルな思想の持ち主としても知られていた。
- 1962年(昭和37年)、初期の「ザ・ヒットパレード」で共に司会を務めたミッキー・カーチスと熱愛の末に結婚、1児をもうけたが、約2年後に離婚(ミッキーによる「ドメスティック・バイオレンス」(家庭内暴力)を苦にしての離婚であったようである)。
- 1966年(昭和41年)12月、フジテレビ系「小川宏ショー」の2代目ホステスとなり、以後、女優業を休業し司会者へと転身。当初、番組制作サイトは「夜のイメージ」があるという理由で起用に難色を示し、朝の番組ではまず珍しかったミニスカートを履いて司会をするというスタイルには視聴者の反発も強かったと言われているが、それまでの女性司会者にはない個性の強さがかえって20代・30代の主婦層が共感を覚え、徐々に支持を得るようになった。
- 1968年(昭和43年)3月、日本コカ・コーラ等、海外企業の日本での現地法人設立に数多く参画していた実業家の大伴昭(後に日本ポラロイド、キヤノン、カルティエ・ジャパンの社長・会長を歴任)と再婚。「小川宏ショー」を降板するが、同年11月、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」スタートと同時に当時の人気司会者・前田武彦(マエタケ)と共に司会に抜擢される。当初はマエタケのアシスタント的色彩が強かったが、徐々に存在感を発揮し始める。マエタケ降板の後からは彼女がこの番組の屋台骨となり、男性司会者は三波伸介、井上順、古舘伊知郎と交替する中、芳村は1988年(昭和63年)2月の第1000回で降板するまで司会を担当。男性がメイン、女性がアシスタントというMCスタイルが多かった中で、台本を片手に持ちながら「自然体」の話術で進行をするという独特な司会スタイルが受け、「女性でメインをはれる司会者」の草分けとしてその名をテレビ史に残した。また、そのヘアスタイルやファッションはこの番組の名物となった。出演歌手、特に新人歌手の場合、極度の緊張で臨むことが多かったといわれる「ヒットスタジオ」の中で、その緊張感をほぐす精神的支柱としての役割をも担う事が多かったり、女優・男優を出演させる際には彼女の人脈が重要であった等、「ヒットスタジオ」における彼女の存在感は絶対的なものがあった(後年、石野真子や工藤静香もこの事については述べている)。
- その後も、「3時のあなた」(フジテレビ系)、「ラブラブショー」(フジテレビ系)、「料理天国」(TBS系)など斬新な企画を目玉とする番組の司会を担当。また、「FNS歌謡祭'77~'86グランプリ」(1977年 - 1986年、フジテレビ系)、「新春かくし芸大会」(1971年~1990年、フジテレビ系)といった大型番組の司会も長年にわたり務めており、黒柳徹子、うつみ宮土理らと共に大物女性司会者の一人としてブラウン管でもおなじみの顔であった。芳村の、男性司会を立てつつ進行をしていくというスタイルは「くだけた感じの品位」という絶妙の雰囲気を番組にもたらすことで、高い評価を受けており(「かくし芸」での高橋圭三とのコンビ、「FNS歌謡祭'78~'86グランプリ」での露木茂とのコンビ、「料理天国」での西川きよしとのコンビ、「夜ヒット」での井上順とのコンビはそれぞれ約10年近くにわたる長期司会となり、何れもテレビ司会者史上に残る「名コンビ」と評価されている)、このことがブラウン管から遠のいた今もなお、日本のテレビ史上における女性司会者の代表格として、彼女の名前が出ることが多いことの一つの要因ともなっている。
- 1988年2月に「この辺りで人生の一区切りを付けたい」という意思を表明して長年司会を務めた「夜のヒットスタジオ」を降板、芸能活動の一線からは身を引く。1990年頃までは「知ってるつもり?!」、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」(共に日本テレビ)などにもゲスト出演していたが、1992年、これも長く司会を務めたTBS「料理天国」終了と同時に完全に本格的な芸能活動からはリタイヤする。その後、1996年には森林の育成などをテーマとする「MORI MORIネットワーク」を立ちあげ副代表に就任、他にも(株)ミキモト取締役(現在は同社顧問)や自身の経営するコスメティック・カウンセリング会社の取締役(ズムズム株式会社など)、林野庁林政審議会委員(2001年~2006年)や(財)福澤記念森林会理事など政府系機関や財団・NPO法人の委員・理事を務めるなど経営・文化活動が中心的な活動となっている。特に「MORI MORIネットワーク」、林政委員会委員としての活動は活発的であり、熱帯林問題が深刻となっているタスマニアなど環境問題を抱えている外国への視察訪問や各地での植林啓発活動にも深く関わっている。「料理天国」終了後は、唯一「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ)にイレギュラーに出演する以外は、年に1回か2回程度、他の番組に顔を出すぐらいで、テレビ界での活動を極力控えて、一年の大半をプライベートや植林・環境保護の仕事の関係で海外や地方で過ごす毎日を過ごしている。日本郵船の豪華客船「飛鳥」の常連乗客の一人でもあり、同じく常連の乗客である橋田壽賀子・泉ピン子ともこれが縁で親交を持っている。
2007年現在はモデル時代に数多く表紙を飾った「婦人画報」で「真理の真理(まりのしんり)」というタイトルの連載を執筆し、ファッションについての様々な一家言を述べている。
[編集] エピソード
- 女優の吉村実子は実の妹で、彼女と結婚していた俳優の石立鉄男は義弟にあたる。また、彼女の母親は長年、東京・日本橋で長唄教室を営んでおり、晩年の弟子の中には自由民主党衆議院議員の野田聖子もいたという。その母親はその後重病を患い、晩年は軽度の認知症にもかかっており、死の直前はほぼ寝たきりの状態になってしまったが、妹・実子が全ての身の世話を見ることを自ら申し出たことから、芳村は資金的負担(介護用品・入院費など)を兄(因みに芳村姉妹の兄は大手広告代理店・電通の重役である)と共にすべて背負い(当時、芳村が前夫のミッキー・カーチスとの間に設けた息子が方々で問題行動を起こしており、姉の心労が絶えなかったことを実子が察して自ら介護をするとの申し出を行ったものと考えられる)、妹をサポートする形で母親の介護をしていたという。表向きは華やかな雰囲気にあふれた人物であるが、実際は母親の壮絶な介護や妹夫婦の長年の不和の仲介(妹の実子と夫の石立は25年以上に及ぶ別居の後、1998年に離婚した)、息子の不祥事の後処理(2001年に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され実刑判決を受けた。彼の裁判の証言台にも芳村は立ったという)など相当に家庭内の苦労も多く経験した人物でもある。ただそういった苦労を周辺の友人やテレビ画面の前には全く見せることはなく、そういった意味でも人格そのものも含め彼女に敬意を持っているタレント・ファッション関係者も多い。
- 歌手・早見優の母親とはモデル時代の同僚であり、1950年代後半、ファッションショーの舞台に幾度も共演した間柄である。
- 1960年に女優に転向して以降、映画『黄色いさくらんぼ』『秋津温泉』、ドラマ『ザ・ガードマン』へのゲスト出演などコンスタントに仕事を続けていたが、「女優という仕事は私の性格には合わない」と後年回顧している。本人としては自分の思ったことを強く反映させられる場に仕事の場を求めていたらしく、『小川ショー』で2代目アシスタントに抜擢されていざ本番に臨んだ際、「これまで女優業では得られなかった充実感や面白さがあった」と感じ、その場で、女優業を辞める決意をしたという。
- ミニスカートを日本の女性タレントで最初に着た人物との説がある(芳村と親交のある野際陽子説もある)。
- 基本的に彼女のことを呼ぶ際、親しみを込めて(一説では本名の「稲」という名前を相当嫌っているとの話もある)「芳村さん」よりも「真理さん」と呼ぶ場合が多い。ただし、「料理天国」で長年相棒を務めた西川きよしは自分よりも10歳以上年齢が上であることや芸能生活も長いことなどをふくめ芸人の間柄でよく使われる「(芳村の)お姉さん」という呼称で彼女のことを呼んでいた。
- 40代の頃までは、喫煙愛好家(1960年代初頭にはタバコのCMキャラクターにも抜擢されるほどだった)であったが、50歳になり、将来の健康のことが不安となり、すっぱりタバコを断ったという。
- 顔に人差し指を付けて「どおもー」という仕草が一時期はやり、今でも若年層を中心にこのポーズを写真撮影するときの定番のポーズとして好んで使っている人も多く、芳村のいわば代名詞の如く語られるセリフともなっているのだが、実際に彼女がこの言葉を司会者として活躍していた時代に言ったことはさほどない(一説によれば、人差し指を付けて「どうもー」と番組冒頭の挨拶を芳村がしたのをみた明石家さんまが「ひょうきん族」で彼女の真似をしたことがきっかけで「どおもー」=芳村真理のイメージが浸透したらしい)。また、一時、研ナオコ司会のTBS系の音楽バラエティー「だぅもありがと!」(1986~1988放送)もこの芳村の「どおもー」から番組名が付けられた(研ナオコも当時芳村の「どうもー」をギャグとして真似ていたタレントの一人であった。但し、研ナオコとは某番組[要出典]で研がイニシャルトークではあったが芳村のことを「鬱陶しい」と言ったことを皮切りとして不仲であるとの説がある)。
- 台本(あるいは何らかのメモ書きが書かれた紙)を片手に持って司会をするという司会スタイルも独特であったが、この点「夜ヒット」最初の相手役・前田武彦は、芳村にとり台本は単なる「アクセサリー」にすぎないと述べている。マエタケは番組開始当初、芳村が台本を持ちながら司会に臨んでいることにつき「悪い癖だなあ」とあまり快く思っていなかったのだが(マエタケは放送作家出身という経歴の持ち主のためか自分以外の作家の書いた台本を軽視する傾向が強く、他の番組では放送中に公然と「台本不要論」を展開したこともあった)、一度放送の合間にその台本を見せてもらったところ、それが放送当日の台本ではなく、2週間前の放送時の台本であったことを知り驚愕し、同時に「面白いセンスを持っている」と評価し直したと回顧している。また、西川きよしも「お姉さんほど台本を片手で持つ姿が似合っている人はいませんね」とこの司会スタイルにつき述べたことがある。
- 経歴の項目に触れられているように、「夜のヒットスタジオ」では長年看板司会者である同時に、多くの出演歌手からも精神的な支えとして絶大な存在感を発揮。特に番組初登場の若手歌手は、随分芳村に救われたことが多かったとされ、それだけにいまでは「伝説」とも言えるエピソードも数多く存在する。工藤静香は番組にソロ歌手として初出演した際(1988年1月20日放送)、芳村から「静香ちゃん、大丈夫よ~!」と後から肩を叩かれ、それまであった極度の緊張感から一瞬にして解放され、すんなりと歌に入り込めた、と回顧している。石野真子や榊原郁恵、未唯らも、当時どの番組、どのテレビ司会者も「アイドル」としてしか扱ってくれなかった中で、唯一、一人の大人の女性として接してくれたのが芳村であった、と感謝の念を述べている。また、アン・ルイスが出産準備のために海外から電話で当時夫であった桑名正博の応援として出演した際、初めての出産を控え不安がるアンに一児の母としての視点から真剣に励ましたりする(1981年3月23日放送)など、キャリアを積み、番組にも常連として顔を出していたアーティストからも番組内外を問わず、色々と相談を持ちかけられることも多かったようである。また、高田みづえとの親交が深く、彼女の結婚披露宴でも来賓代表として祝辞を述べているほか、芳村が番組を勇退する際にも、引退後にも関わらず、夫の松ヶ根親方と共に特別出演し、花束を贈呈した。
- 「夜ヒット」での共演が縁で夫と共に古舘伊知郎の結婚式の仲人を務めた。婚約会見のとき、すでに古舘の妻は一人目の子供を身ごもっており、腹部が膨らんでいることを記者が質問した際、芳村は「こういう形のドレスなんです」と述べ夫人を庇った。
- 芳村の奇抜なファッションもまた「夜ヒット」の代名詞となっていたが、この点、古舘伊知郎はその雰囲気を「ひとりコットンクラブ」という絶妙の喩で表現した。芳村の服装を男性司会者が揶揄したりするパターンは初代の相手役・前田武彦の時代からあり(マエタケは化粧をした顔と落とした後の素顔の落差から「ナマズのおばさん」という渾名を付けた)、特に3代目の相手役・井上順は、芳村がパンク風のヘアスタイルをすれば、「髪型を見れば今日の東京が風が強かったのがよく分かります」、一風変わったメイクをすれば「蜘蛛巣城」、マントのような服装の時には「月光仮面」、その他、着物姿のときには「月見草に(芳村の顔を指差して)団子」、などなど毎週必ず番組内で衣装に茶化していた。この井上の、放送本番までどこに飛んでくるか分からない「茶化し」が自身の探究心に火をつけた、と後年芳村は回顧している。
- 古舘の「夜ヒット」司会初回の際、相当の緊張状態に達していた古舘をフォローするため、芳村は「時間が経てば終わるのよ」という言葉をかけた。古舘はこの言葉をかけられて、自然と気が楽になったと述べている。
- 女性名司会者として知られる彼女であるが、「シーラE」を「シーナ・イーストン」と間違ったり、アルバムの収録曲を「新曲」と紹介して後に訂正したり、高橋幸宏や中川勝彦の衣装を見て「中退ファッション」と突っ込んだり(あくまでもこれは両者間の親交を前提とした発言であるが)と、時にはトチリや微々たる失言もあった。
- 古舘伊知郎司会初回の1985年10月2日放送の「夜ヒット」で、アン・ルイスが事務所の後輩である吉川晃司と「本番」まがいの過激なパフォーマンスを歌の最中に展開。この歌が終った後に芳村が発した一声は時間帯がゴールデンタイムであり、未成年者も少なからず番組を視聴していることを考慮して「かわいい!」であった。ただ、即座に古舘は「あれは『かわいい』ってもんじゃありませんよ」と突っ込んでいた。また、同日には親交のある当時の横綱・千代の富士貢を招いており、このパフォーマンスの最中、不機嫌な表情を浮かべていた彼を気にしてか、頻繁に芳村は千代の富士に話しかけている様子が確認されているなど、さすがにベテラン司会者の芳村でさえも、このパフォーマンスへの配慮に対しては苦心したようである。
- 「夜ヒット」の生本番の日と「オレたちひょうきん族」の収録日が同じ水曜日であった頃、明石家さんまはフジテレビのメイク室で「ひょうきん族」内でのキャラクター「パーデンネン」の扮装をしているときに、芳村に「さんまちゃん、派手ね~」とよく言われ、「それはこちらがいう台詞ですよ」などと返していたという。
- 「夜のヒットスタジオ」降板の際の記者会見時、「これからは家庭の人としての時間を持ちたい」という言葉を残して番組降板のみならず芸能活動からのセミリタイヤ宣言も同時に行う。この芸能界からのセミリタイヤを宣言した背景の一つには「テレビで活躍する人気タレントとのジェネレーションギャップ」を彼女が1980年代の後半以降強く感じるようになっていたことが挙げられる。一例として、同番組に光GENJIが初出演したとき、芳村の控室を訪れた同グループのメンバーは彼女に「ちわーす。」というかなり軽い挨拶をしたり、他のタレントでも同様の行為がなされ、確実にタレントたちの価値観が変わりつつあることを感じ取り、「もう芸能界は自分がいられる場所ではない」と密かに悟っていたと言われている。
- 1970年代、高級食材であるフォアグラが日本の市場にも出回るようになった頃、これを食べ過ぎて窒息寸前になり、それ以来ファアグラが苦手になってしまった。ほかにもレバーも苦手らしく、「料理天国」のときにレバーの料理が出たときは彼女のところだけなぜか皿がない状態になっているのが何度か確認されている。
- 「料理天国」に「食べ役専門」として出演していた龍虎の食べっぷりを見ながらよく「ただ食べてるだけの龍虎さん」と突っ込んでいた。
- 現・民主党参議院議員の蓮舫がキャスター・司会者業をしていた頃、「料理天国」のゲストとして招かれ、自分が司会業をやるきっかけとなったタレントとして芳村の名を挙げて以降、蓮舫とは親しい間柄にある。
- 「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」初期の頃は準レギュラーとして、親交のある玉村豊男、四方義朗(デザイナー)と何週か交替で出演していた。その中で彼女の席の「ミリオンスロット」が、突然商売マネーの画面が映らなくなってしまう故障が発生した事件があった。故障の原因は不明だが、機械の単なる内部トラブルなのか、芳村が自分の「怪力」で機械を壊したのかと、野沢直子ら共演者から(ギャグの一環ではあるが)議論の対象になったことがある。当時芳村自身は「私が(機械を)壊したんじゃ無いわよ!」と否定していた。
- 1988年4月28日放送の「笑っていいとも!」でテレフォンショッキングのゲストとして登場した際、その時着用していたハイヒールが床の隙間に挟まってしまい身動きが取れなくなってしまうというハプニングが起きたことがある。因みにこの際に芳村が「お友達」として紹介したのが田原俊彦であり、翌4月29日放送の田原がゲスト出演した「いいとも!」が番組最高視聴率、27.9%を記録している。
- テレビ番組において、彼女が司会者として注目される以前では、スタイリストが各タレント毎に付くというケースは全くと言っていいほどなかったが、この慣例を一般化させたのも彼女の存在によるところが大きい。とりわけ「夜のヒットスタジオ」で毎回芳村が着用していた服装は、「シャネル」に始まり、クリッツァ、ジャンポール・ゴルティエ、イブ・サン・ローラン、マーガレット・ハウエル、イッセイ・ミヤケ(三宅一生)等、当時の時代の先端をゆく一流ブランドのものが多く(特に1980年代になり、海外ブランドが日本でもショップを次々とオープンしていく頃になるとその傾向が強かった)、これに触発されて出演女優や歌手たちが次々とスタイリストやファッションの専門家の力を借りて、独自のファッション観を身につけていくようになっていったようである。
当時の「夜ヒット」で特に女性歌手が出演する場合にはまず「芳村真理より派手にすること」が命題とされ、芳村よりファッションについて「お墨付き」をもらうことが一つのステータスともなっており、特に芳村より衣装コーディネイトのセンスを高く評価されていた中森明菜(中森は当時、衣装の選定・コーディネイト等を全て自ら行うことで知られていた)は、芳村勇退直後の「夜ヒット」で「この前、真理さんに会ったら『最近、オシャレしてる?』といわれた。なので、今日はオシャレしてきた。真理さん見てますか~」とブラウン管を通して芳村に呼びかけたこともある。
[編集] 出演
[編集] テレビ司会
芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77~'86グランプリ」、「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当したり、「小川宏ショー」「3時のあなた」というフジテレビワイドショー番組の源流となっている2番組のホステス役も務めるなど、元祖「フジっ子」(フジテレビ番組を好んで出演するタレント、もしくはフジテレビの番組が好きな視聴者を意味する言葉)ともいえる存在であり、フリー司会者であったが、1980年代までのフジテレビを語る上ではまず欠かすことができない人物であるということができる。
- 『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ、1959年頃)※初代司会者
- 『奥様スタジオ・小川宏ショー』(フジテレビ系、1966.12~1968.3、小川宏・露木茂と司会)
- 『夜のヒットスタジオ』(1985.4~『夜のヒットスタジオデラックス』、フジテレビ系、1968.11~1988.2、相手役は前田武彦→三波伸介・朝丘雪路→井上順→古舘伊知郎と交替)
- 『テレビナイトショー』(フジテレビ系、1969.4~?、前田武彦と司会)
- 『3000万円クイズ』(フジテレビ系、1969.4~1969.9、宍戸錠と司会)
- 『夜のゴールデンショー』(フジテレビ系、1969.10~1970.3)
- 『ラブラブショー』(フジテレビ系、1970.4~1979.3)
- 『奥様スタジオ・3時のあなた』(フジテレビ系、1970.10~1974.5、岩佐徹と司会)
- 『木曜リクエストスタジオ』(フジテレビ系、1973~1974)
- 『料理天国』(TBS系、1975.10~1992.9、相手役は西川きよし→金田賢一→小林繁→渡辺徹と交替)
- 『金曜娯楽館』(日本テレビ系、1979.7~1980.3、山城新伍と司会)
- 『悪友親友』(TBS系、1981.10~1984.9)
- 『芳村真理のTVトレンディ』(テレビ東京系、1989~1990)
- 『新春かくし芸大会』(フジテレビ系、1971~1990年度、相手役は高橋圭三→逸見政孝(1989年のみ露木茂)と交替)
- 『FNS歌謡祭'77~'86グランプリ』(フジテレビ系、1977~1986年度、相手役は関口宏→露木茂と交替)
- 『八木治郎ショー』(毎日放送=NET→TBS系、時期不詳)
- 『世界紅白歌合戦』(フジテレビ、1985年・1986年度(86年は夜ヒット名義での放送、古舘伊知郎、谷村新司と司会)
- 『思い出のメロディー』(NHK、1979年度、相川浩と司会)
- 『YMO LA SATELLITE TV LIVE』(1980年)…YMOのロサンゼルスでのコンサート中継(ただし、フジテレビが製作参加した関係者向けのレセプション的なもの)の模様をアメリカ・ロサンゼルスより衛星生中継した際に加藤和彦と共にMCを担当。報道番組以外のジャンルでの衛星生中継は当時としては実験的な試みであった。
[編集] 司会以外での出演
- 『ザ・ガードマン』第1話「黒い猫」(1965年)、第58話「砂糖のような犯罪」、第90話「女は魔物」(1966年、大映テレビ室、TBS)
- 『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』(日本テレビ系、レギュラー解答者)
- 『なんでもカンでも』(フジテレビ系、1982~1985、レギュラー解答者)
- 『ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!』(日本テレビ系、1987.4~1987.12、レギュラー解答者)
- 『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系、1992年~2007.9、コメンテーター)
- 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ系、準レギュラー解答者)
- 『徹子の部屋』(テレビ朝日系、多数ゲスト出演)
[編集] セミリタイヤ後(1992年以降)のテレビ出演(おもいッきりテレビ以外)
- 『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系、2003年にゲスト出演)
- 『世界ウルルン滞在記』(毎日放送・TBS系、2006年12月にゲスト出演)
- 『驚きももの木20世紀』(朝日放送・テレビ朝日系、1995年頃にゲスト出演)
- 『はなまるマーケット』(TBS系、はなまるカフェのゲストとして2度出演)
- 『素顔が一番!』(日本テレビ系、2002年にゲスト出演、上記の客船『飛鳥』で旅行中にゲストとして出演した)
- 『完全保存!僕たちの昭和ヒット曲黄金時代!!』(フジテレビ系、1994年3月、堺正章との司会)、ほか
- 『良品工房テレショップ』(キャラバン、2008年7月)
[編集] ラジオ番組
- 『クローズアップにっぽん』(TBSラジオなどJRN、1979年~2001年)
[編集] CM
[編集] 受賞歴
- 第1回日本ジュエリーベストドレッサー賞50代部門(1990年)
[編集] 関連人物
[編集] 司会者関連
- 高橋圭三-「新春かくし芸大会」(1971-1985)
- 前田武彦-「夜ヒット」初代(1968-1973)
- 井上順-「夜ヒット」3代目(1976-1985)
- 露木茂-「FNS歌謡祭'78~'86グランプリ」(1978-1986)など
- 西川きよし-「料理天国」初代(1975-1988)
- 古舘伊知郎-「夜ヒット」4代目(1985-1988)
- 逸見政孝-「新春かくし芸大会」(1986-1988、1990)
- 渡辺徹-「料理天国」4代目(1990-1992)
[編集] 司会者以外の共演者関連(特に親交がある人物)
- 岩崎宏美
- みのもんた
- 堺正章
- 加藤和彦
- 都倉俊一
- 千代の富士貢(現・九重親方)
- 小柳ルミ子
- 梓みちよ
- 布施明
- ピーター
- 郷ひろみ
- 西城秀樹
- アン・ルイス
- 夏木マリ
- 未唯
- 高田みづえ
- 田原俊彦
- 中森明菜
- 河合奈保子
- 長渕剛
- 岩下志麻
- 山本陽子
- 萬田久子
- 石野真子
- 武田鉄矢
- 久米宏
- 黒柳徹子
- 岡田真澄
[編集] その他
- 大島渚(映画監督、女優転向への契機を作った人物)
- 山縣睦子(林業家、「MORIMORIネットワーク」代表)
- 塚田茂(放送作家、「スタッフ東京」創設者。テレビ司会者業への転身のきっかけを作った人物であり、「夜ヒット」「悪友親友」「新春かくし芸大会」など塚田の多くの構成担当番組で芳村は司会に抜擢されている)
- 相川浩(元NHKアナウンサー、都立西高の先輩)
- 立木義浩(写真家)
- 花井幸子(デザイナー、モデル時代から50年近くの親交を持つ)
- 安井かずみ(作詞家、女優時代から安井の自宅(通称「川口アパート(プール付き)」に頻繁に芳村は顔を出しており、その縁で後に夫となる加藤和彦ともに家族ぐるみで親交を持つようになったといわれている)
- 三宅一生(デザイナー、三宅が一流デザイナーとなる以前から彼のデザインした服を愛用していた)
- 安藤和津(エッセイスト、夫の大伴氏が主要メンバーで参加する合唱団に安藤の夫・奥田瑛二も参加しており、その関係でイベント等で共に司会を務めることが多い)
- 加藤タキ(エッセイスト、通訳。「夜ヒット」の通訳を担当して以来の交友あり)
- 玉村豊男(エッセイスト、都立西高の後輩)
- 西山登志雄(元東武動物公園園長。実家が隣同士で幼馴染。)
[編集] 外部リンク
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| 年 | 男性司会者 | 女性司会者 | |||||||||||||||||
| 1974年,1975年 | 小川宏 | 吉永小百合 | |||||||||||||||||
| 1976年 | 浅茅陽子 | ||||||||||||||||||
| 1977年 | 関口宏 | 芳村真理 | |||||||||||||||||
| 1978年-1986年 | 露木茂 | ||||||||||||||||||
| 1987年-1989年 | 露木茂、古舘伊知郎 | - | |||||||||||||||||
| 1990年-1995年 | 露木茂 | 楠田枝里子 | |||||||||||||||||
| 1996年-2004年 | 川端健嗣 | ||||||||||||||||||
| 2005年-2007年 | 草彅剛 | 黒木瞳 | |||||||||||||||||
| 2008年 | - | ||||||||||||||||||
| 2009年 | 草彅剛 | ||||||||||||||||||
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最終更新 2010年1月25日 (月) 09:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【芳村真理】変更履歴



