芸術写真
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芸術写真(げいじゅつしゃしん)とは、一般的に、記録、証明等のためではなく、芸術作品として撮影された写真のことである。
ただ、日本の写真史においては、1900年頃から1930年代にかけてを中心とする、絵画的な写真表現(ピクトリアリスムとほぼ同義といってもいい)を意味することが多い。
この意味での芸術写真は、欧米のピクトリアリスムの大きな影響を受けつつも、日本画的要素を取り入れたり、特に風景写真(自然)を撮影したり、叙情性を重視するといった独自の特徴を出している。日本では大正10年(1921年)に、大阪の写真研究家上田竹翁が次男の箸尾文雄、写真家の不動健治らとともに「藝術冩眞社」を興し、商業雑誌『藝術冩眞』を刊行した。同年に福原信三が「冩眞藝術社」をつくり、やはり『冩眞藝術』という同人誌を発行して活動している。芸術写真の主要な写真家としては、福原信三、福原路草、野島康三、淵上白陽、高山正隆、山本牧彦らを挙げられるが、これらの写真家に限られることなく、芸術写真を実践した写真家は、数え上げればきりがない。
過剰な細部を省略して、表現したいモティーフや感情を表すことをこころざした。技術的には、空気遠近法を意識し、実際に肉眼に見えるように、近景にコントラストのはっきりしたものを置き、遠景を曖昧にする。地平線の位置を厳密に合わせたうえで、表現のために風景写真に雲を合成する、などの手法を用いた。「見え方」だけを取り上げるのであれば、ストレートフォトグラフィと正反対の表現ともいえる。
芸術写真は、1923年の関東大震災後に、「構成派」と呼ばれる淵上白陽を中心とした写真家たちによる作品群(外見的には、ソフトフォーカスを残しつつより抽象化・構成化、内面的には、自然の「写生」から主観化・自己表現化)を生み出し、これを媒介として、新興写真が興っていくが、それにより、芸術写真が消滅してしまった訳ではなく、脈々とその流れは絶えることなく、戦後まで続いていく。
日本における芸術写真の歴史的な重要性の1つは、こうした理念が紹介されることにより、特殊な技術者だけではなくアマチュアにも写真撮影が普及し、「芸術表現」としての写真という概念が定着することになった、という点を挙げることができる。
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最終更新 2008年9月21日 (日) 12:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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