苑田聡彦
苑田聡彦の最新ニュースをまとめて検索!
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県 |
| 生年月日 | 1945年2月23日(64歳) |
| 身長 体重 |
173cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 内野手 |
| プロ入り | 1964年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、内野手。
目次 |
[編集] 来歴・人物
三池工業時代は九州一のスラッガーとして名をはせており「中西二世」とも呼ばれ期待されていた。1964年にプロ入りし、地元の西鉄ライオンズなどが獲得にのり出したが、苑田が選んだのは一番条件の低かった広島カープだった。広島入団の決め手となったのは担当だった久野久夫スカウトの人柄だった。「久野さんの熱心さにひかれた。お金はどうでもよかった」と、この言葉は広島ファンを喜ばせた。
173センチという小柄な体でプレーし、技術面では問題なかったが精神面で弱く、1軍では結果を残せなかった。4年目となる1967年はオープン戦で好調も開幕2軍を命じられ、悔しさを味わった。だが、その悔しさが苑田を変え、2ヵ月後には1軍へ戻った。6月に山本一義の負傷欠場でチャンスを掴み、今までにないほどよく打った。この年は109試合に出場し、打率.266と最高の成績を残した。ようやく定位置も確保できると思われた時に1969年に山本浩二の入団で外野から内野へコンバートされた。これ以降は打席にもあまり立てず、守備固めの出場が多くなった。
再びチャンスが訪れたのは1975年、5月に大下剛史が負傷欠場し、代わりに1番を打ち10試合で40打数17安打と大当たりする。5月17日の大洋ホエールズ戦では先頭打者本塁打を放ち、チームを首位へと浮上させた。その後も三村敏之、シェーンの代役として出場し、スーパーサブとしてこの年の球団の初優勝に貢献し、自身も忘れられないシーズンとなった。
1977年に現役引退し、スカウトとして球団に残り、東日本を中心に活動。江藤智、金本知憲、嶋重宣、黒田博樹、大竹寛、永川勝浩らを入団させた。2006年からスカウト部長に就任。
[編集] エピソード
- 前述の通り山本浩二が入団して内野にコンバートされたが、当初は外野で山本と競い合いたい気持ちが強く、山本が入団してきた年の契約で内野コンバート前提の契約が盛り込まれていたので春のキャンプに入ってもなかなかサインを押さなかった。
- スカウトとしてのスタートは球団から唐突に「東京でマンション一部屋探しとけ」の指令からだった。ほとんど知らなかった東日本での活動に当初はかなり苦労したらしい。
[編集] 背番号
- 34 (1964年~1974年)
- 2 (1975年~1977年)
[編集] 通算成績
814試合 1711打数 403安打 115打点 23本塁打 27盗塁 打率.236
[編集] 参考文献
最終更新 2009年9月8日 (火) 02:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【苑田聡彦】変更履歴


