草鹿龍之介

草鹿龍之介の最新ニュースをまとめて検索!

草鹿龍之介

草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年9月25日 - 1971年11月23日)は大日本帝国海軍の軍人(海軍中将。参謀長として各地を転戦した)、武道家(一刀正伝無刀流剣術第4代宗家)。

目次

[編集] 経歴

住友本社理事、草鹿丁卯次郎の長男として東京で生まれる。本籍は石川県。大阪天王寺中学を経て、1913年海軍兵学校(41期)を卒業。

当時の海軍内で「航空戦に明るい人物」としての評価が高かったが、専門は水雷部門である。(このことが、後の真珠湾攻撃の際の第二次攻撃をしなかったこと、ミッドウェー海戦時の南雲忠一中将の換装命令の繰り返しなどを招く結果となる。)その能力を買われて第一航空艦隊参謀長として司令長官南雲忠一中将と共に真珠湾攻撃等、太平洋戦争初戦における航空戦で手腕を発揮する。しかしミッドウェー海戦では主力空母4隻を失う大失態を演じ、その後南太平洋海戦でも南雲と共に参謀長として参戦するが、終始消極的な意見具申を行い非難される。 その後昭和19年(1944年)4月からは、豊田副武連合艦隊司令長官の下、連合艦隊参謀長に就任する。

古流武術の達人であった草鹿は、実戦でも「手練の一撃を加えれば残心することなく退くべし」という理念を持っていた。真珠湾攻撃の際、他の参謀達から第二次攻撃の必要を具申され悩んでいた南雲に対し、草鹿は上記の考えに基づいた意見を具申し、南雲が第二次攻撃を断念した理由に影響を与えたといわれる。(現在、草鹿の意見具申の是非に付いて、日本の『武士道理念』とアメリカ人の闘争心を読み間違えている上に、アメリカの膨大な国力を理解していなかったと考えられ、評価が大きく分かれている。)

天一号作戦が決定した時、連合艦隊参謀長として戦艦大和以下第2艦隊司令部を訪れ、作戦命令の伝達と説得を行っている。連合艦隊司令部から水上特攻の命令の伝達を行った時、実行を渋る第2艦隊長官伊藤整一中将に対し、「一億総特攻の魁となって頂きたい」と述べて説得した。この言葉は戦後様々な出版物やドキュメンタリー映画等で取り上げられ、終戦直前の日本軍の状況を端的に表現した言葉として有名になっている。

[編集] 人物

  • ラバウルを終戦まで守り抜いた草鹿任一海軍中将とは、父方のいとこにあたる。
  • 一刀正伝無刀流剣術を小南易知(無刀流開祖・山岡鉄舟の高弟)より学び、後に香川善治郎(無刀流第2代宗家)と石川龍三(無刀流第3代宗家)からも無刀流を学び、無刀流第4代宗家を継承した。

[編集] 著書

  • 『聯合艦隊-草鹿元参謀長の回想』毎日新聞社、1952年
  • 『連合艦隊の栄光と終焉』行政通信社、1972年(『聯合艦隊-草鹿元参謀長の回想』の改訂版)。
  • 『一海軍士官の半生記』光和堂、1973年。

[編集] 登場作品

最終更新 2009年12月5日 (土) 14:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【草鹿龍之介】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!