荒川静香

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オリンピック
フィギュアスケート
2006 女子シングル
荒川 静香
Shizuka ARAKAWA
2009年「Festa On Ice」での荒川静香
基本情報
代表国: 日本
生年月日: 1981年12月29日(27歳)
出生地: 東京都品川区
身長: 166 cm
体重: 53 kg
元コーチ: ニコライ・モロゾフ[1]
佐藤久美子[1]
タチアナ・タラソワ[1]
リチャード・キャラハン[1]
佐野稔[1]
長久保裕[1]
元振付師: ニコライ・モロゾフ
タチアナ・タラソワ[1]
トーラー・クランストン
佐藤有香
所属クラブ: プリンスホテル
引退: 2006年5月
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 191.34 2006 トリノ五輪
ショートプログラム: 66.02 2006 トリノ五輪
フリースケーティング: 125.32 2006 トリノ五輪
ウィキメディア・コモンズ

荒川 静香(あらかわ しずか、ラテン文字:Shizuka Arakawa, 1981年12月29日 - )は、日本を代表する女性プロフィギュアスケーター2006年トリノオリンピック女子シングル優勝。2004年世界選手権優勝。

目次

[編集] 人物

東京都品川区の病院で生まれ、神奈川県鎌倉市で1歳4ヶ月までを過ごす。静香という名前は、出生時の住所・鎌倉に縁のある静御前に因んで名付けられた。その後、父親の転勤に伴い仙台に転居。仙台市(現・同市青葉区)のわかくさ幼稚園に通う。仙台市立台原小学校入学後、6年生の途中で同市のベッドタウンである利府町に引越し、利府町立しらかし台小学校に転入。利府町立しらかし台中学校卒業、東北高等学校卒業。「仙台っこ」を自称する[2]。大学入学とともに上京し、早稲田大学教育学部卒業。プリンスホテル所属。

尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチ佐藤有香。なお、佐藤有香は1998-1999年シーズンの振り付けも担当している。

海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていた。日本での愛称しーちゃん安藤美姫恩田美栄には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた。

荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、費用が多く掛かるフィギュアスケートを続けていくためには、母親が衣装を手作りするなど、両親の支えがあった[3]

血液型O型。一人っ子である。趣味グルメ

シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家。一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」(荒川は大の甘い物好きである)。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『ケルティック・ウーマン』の「ユー・レイズ・ミー・アップ」のイタリア語「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。また、この曲は2006年2月に行われ金メダルを獲得した『トリノオリンピック』のエキシビジョンでも使用され日本で『ケルティック・ウーマン』が有名になるきっかけになった。 3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」(荒川の好きな花はバラである)。

好きな色はパープルに近いブルー。アメリカの青空の様な色とのこと[4]

[編集] 経歴

[編集] 少女時代(-1994)

幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていた。どんなことでもすぐに習得し、なかでも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたという。5歳のとき仙台市(現・同市青葉区)の勝山スケーティングクラブ(2009年4月閉鎖)でスケートに出会う[5]。「ちびっ子スケート教室」に入会し、小学校入学後、本格的にフィギュアスケートを始めた。他にも泉市(現:仙台市泉区)のオレンジワン泉(現:アイスリンク仙台)[6]に通い長久保裕に師事。小学校3年生のときに5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれた。10歳で第1回野辺山合宿に参加、12歳のときに初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝を果たす。

[編集] 中学時代(1994-1997)

全日本ジュニア選手権で史上初の3連覇を達成し、全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成。国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させて優勝するなど、才能を開花させる。1997年、中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し2位。同年の世界選手権の日本女子シングル代表枠は2枠だったが、荒川にはまだシニアでの実績がなかったため、代表には選出されなかった。

[編集] 高校時代(1997-2000)

シニアへ完全移行した東北高校1年生の1997-1998シーズン、第66回全日本選手権で初優勝を果たし、1枠しかなかった長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取る。長野オリンピックでは今上天皇皇后観戦のもとで演技を行い、ショートプログラムでは3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させ、13位(ショート14位、フリー14位)と健闘。一方、1998年世界選手権では22位(ショート22位、フリー21位)に終わった。

1998-1999シーズン、第67回全日本選手権で2連覇を果たす。続く全国高等学校スケート選手権大会(インターハイ)でも優勝。1999年アジア冬季競技大会では2位となった。しかし、初開催の1999年四大陸選手権で6位となり、1999年世界選手権の代表権を得られなかった。これ以後、スランプに陥る。

1999-2000シーズン、第55回冬季国民体育大会冬季大会(青森国体)で優勝を果たすが、スパルカッセンカップNHK杯第68回全日本選手権でいずれも5位となり、再び2000年世界選手権の代表権を得られなかった。

[編集] 大学生時代(2000-2004)

自己推薦入試早稲田大学に進学、初めて親元を離れて東京での生活を始める。2000-2001シーズンは新横浜のプリンスクラブに在籍し、初めてマンツーマンでのレッスンを経験する[7]。第26回東日本フィギュアスケート選手権大会で優勝するが、国際大会ではロシア杯7位、ラリック杯9位、四大陸選手権6位と振るわなかった。第69回全日本選手権は2位。このシーズンから、プログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたという[8]

2001-2002シーズンからは佐藤久美子に師事。ソルトレイクシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠あったが、1枠はグランプリファイナルに進出した恩田美栄に早々と内定。残りの1枠を賭けた第70回全日本選手権は事実上、荒川と村主章枝との一騎打ちとなった。しかし荒川はここで敗れて2位となり、ソルトレイクシティオリンピックの出場権を得ることができなかった。

2002-2003シーズン、練習拠点を神宮外苑スケート場に移し、振付師はニコライ・モロゾフに変更[9]ロシア杯5位、NHK杯3位で自身初のグランプリファイナル進出を決める。第71回全日本選手権は3位。ユニバーシアード冬季競技大会冬季アジア大会で立て続けに優勝し、四大陸選手権では2位。グランプリファイナルでは4位となった。5年ぶりに出場した2003年世界選手権は8位。4月の国際チャレンジは7位。

2003-2004シーズン、アメリカに練習拠点を移し、リチャード・キャラハンに師事。スケートアメリカ3位、スケートカナダ2位、ラリック杯2位となり、2年連続で出場したグランプリファイナルでは3位。第72回全日本選手権では3位に終わったものの、2004年世界選手権の切符を得た。

グランプリファイナル終了後、タチアナ・タラソワのもとに移って世界選手権に臨んだ[10]。予選1位、ショートプログラム2位で迎えたフリースケーティングでは、3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループ、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションジャンプなど全ての要素を完璧に決め、技術点では6.0満点も獲得して1位。日本人選手として10年ぶり3人目の優勝を果たした。

当時は大学卒業後の所属先が未定だったこともあり、この世界選手権を最後にアマチュア引退を決意していた。しかし、帰国後にプリンスホテルへの所属が決まり、周囲のトリノオリンピックへの期待も高まるなか、迷いながらも競技を続けることになった。

[編集] 社会人時代(2004-2006)

2004-2005シーズン、NHK杯で初優勝、続くロシア杯は2位となり、3年連続進出のグランプリファイナルでは2位となった。第73回全日本選手権ではショートプログラムで1位となるも、足のケガでフリースケーティングを棄権。連覇が期待された2005年世界選手権では9位と惨敗する。

2005-2006シーズン、中国杯エリック・ボンパール杯でいずれも3位に終わり、グランプリファイナルへの進出を逃す(両大会の合計スコアでは第3位だった)。この時は「(自分以外の)日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がったら(トリノオリンピック出場の3人が内定してしまうので)、その時点で引退する」と発言していたが、第74回全日本選手権で3位に入り、長野オリンピック以来8年ぶりとなるトリノオリンピック代表選手に決定した。

2005年12月、タラソワとの師弟関係を解消する。理由は演技の方向性がかみ合わなかったことと、タラソワが活動拠点をロシアに移動したこと。その後、日本国内ではこれまで通り佐藤久美子に、海外ではニコライ・モロゾフにそれぞれ師事。加えて、プログラムを変更し、フリーで使用していた「幻想即興曲」をショートに、フリーは2004年世界選手権優勝時に使用した「トゥーランドット」に変更した。また、一度はプログラムから外したイナバウアーを組み入れた。

トリノオリンピックは、ショートで荒川、サーシャ・コーエンイリーナ・スルツカヤの上位3人が1点差以内に並ぶ大接戦となった。フリーでは自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。合計スコア191.34で優勝し、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同大会日本人選手最初で唯一のメダル)を獲得。ちなみに、五輪女子フィギュア史上最年長(24歳)の金メダル獲得でもあった。

2006年5月7日、記者会見でアマチュア競技引退とプロ転向を表明。会見の席で「今後は自身の演技力の向上やスケート界を広くサポートしていきたい」と語った。

[編集] プロ転向後

2006年5月8日、自身で企画・プロデュースしたアイスショー「フレンズ・オン・アイス」を開催。同年6月からは「チャンピオンズ・オン・アイス 2006」に、11月にはプロフィギュアスケートの祭典「アイス・ウォーズ」に参加するなど、トリノオリンピックから1年の間に国内外計100公演以上のアイスショーに出演した。

2007年4月3日、小学校から高校を卒業するまで練習拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケート教室を開いた。7月28日には、長野県南牧村で開かれた日本スケート連盟主催のアイスショー「野辺山サマーフェスティバル・オン・アイス」にサプライズゲストとして出演。

現在はプロスケーターとして、毎年開催している「フレンズ・オン・アイス」、「クリスマス・オン・アイス」の企画・出演、「プリンスアイスワールド」(メインキャスト)、「スターズオンアイス」日本公演等に出演しながら、解説者としても活躍している。

[編集] スケート技術

荒川静香のイナバウアー 側方から

新採点方式における技術点で採点対象となるジャンプステップスピンスパイラルのすべてにおいて高い技術を持つ。トリノオリンピックでは、ショートプログラムとフリースケーティングで合計7つあるスピンと合計2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、合計2つのステップはともにレベル3を獲得した。このようにレベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川ただ1人であり、また、新採点方式導入後のISU公式試合を通じても初めてのことであった。旧採点方式においても、2004年世界選手権で出した技術点6.0満点は、女子シングルの歴史上伊藤みどり、イリーナ・スルツカヤ、荒川静香の3人しか出したことのない最高評価である。

中学生時代から伊藤みどり以来の日本女子連続3回転ジャンパーと称されたように、様々な種類の3回転-3回転コンビネーションを跳ぶことのできる数少ない選手。〔3ルッツ-3トウループ、3サルコウ-3ループ、3サルコウ-3トウループ〕さらに、実際の競技では跳ばなかったものの、トリノオリンピックの公式練習では3回転サルコウ-3回転トウループ-3回転ループ、3回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループの3連続3回転を披露している。プロ転向後のアイスショーでも、3回転トウループ-3回転トウループの連続3回転や、ショーでは転倒を避けるために跳ばれることが少ない3回転ルッツなどを披露している。

大きく体を反らせた「レイバック・イナバウアー」が特徴的で、トリノオリンピックの活躍によってものまねが大流行、『イナバウアー』が2006年の新語・流行語大賞を受賞するなど、日本では略称の『イナバウアー』と呼ばれている。演技の優雅さ、滑らかさ、女性らしさは世界でも随一。しかし、早い曲や小気味のいい曲は苦手だという。

[編集] 主な戦績

大会/年 93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06
冬季オリンピック 13 1
世界選手権 22 8 1 9
四大陸選手権 6 6 2 2
全日本選手権 2 1 1 5 2 2 3 3 棄権 3
冬季アジア大会 2 1
GPファイナル 4 3 2
GP中国杯 3
GPエリック杯 9 6 2 3
GPロシア杯 7 5 2
GPNHK杯 7 6 8 5 3 1
GPスケートアメリカ 9 4 3
GPスケートカナダ 2
GPスパルカッセン杯 7 5
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 8 7 8
全日本Jr.選手権 1 1 1
ネーベルホルン杯 2 1
トリグラフトロフィー 1 N

[編集] シニア

2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年2月10日-26日 トリノオリンピック 3
66.02
1
125.32
1
191.34
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権 1
68.76
4
118.60
3
187.36
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯 3
57.98
2
115.32
3
173.30
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯 3
57.56
2
116.04
3
173.60
2005年10月8日 キャンベル国際 - 3
105.86
3
105.86
2005年10月1日 ジャパンインターナショナルチャレンジ2005 - 2
110.87
2
110.87


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権 4
25.79
5
59.95
9
99.99
9
185.73
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) - 1
67.68
棄権 -
2004年12月16日-19日 ISUグランプリファイナル - 2
64.10
4
96.14
2
160.24
2004年11月25日-28日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯 - 3
56.70
3
98.82
2
155.52
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯 - 1
64.20
2
114.86
1
179.06
2004年10月1日 キャンベル国際 - - 2 2


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年4月6日 マーシャル国際 - - 2 2
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権 1 2 1 1
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) - 1 4 3
2003年12月12日-14日 ISUグランプリファイナル - 5
53.34
3
114.23
3
167.57
2003年12月5日 国際チャレンジ - - 2 2
2003年11月14日-16日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯 - 2
62.34
2
109.78
2
172.12
2003年10月30日-11月2日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ - 3
58.20
2
123.99
2
182.19
2003年10月22日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ - 2
59.02
3
113.37
3
172.39


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年4月8日 マーシャル国際 - - 7 7
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権 4 11 7 8
2003年2月28日-3月2日 ISUグランプリファイナル[11] - 6 4 4
3
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権 - 2 2 2
2003年2月1日-8日 2003年アジア冬季競技大会 - 1 1 1
2003年1月25日-28日 国民体育大会冬季大会(前橋) - 1 1 1
2003年1月16日-26日 ユニバーシアード冬季大会 - 1 1 1
2002年12月19日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) - 7 2 3
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯 - 2 3 3
2002年11月21日-24日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯 - 7 4 5
2002年10月19日-20日 関東学生フィギュアスケート選手権 - 1 1 1
2002年10月12日-14日 '02 東京フィギュアスケート選手権(東京) - 1 1 1


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2002年5月25日 関東学生フリースケーティング選手権 - 1 1
2002年1月22日-27日 2002年四大陸フィギュアスケート選手権 2 2 2
2002年1月6日-9日 日本学生氷上競技選手権 1 1 1
2001年12月21日-23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) 2 2 2
2001年11月14日-18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯 9 4 6
2001年10月24日-28日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ 6 4 4
2001年10月6日-8日 '01 東京フィギュアスケート選手権大会(東京) 2 1 1


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2001年2月4日-10日 2001年四大陸フィギュアスケート選手権 3 7 6
2000年12月8日-10日 第69回全日本フィギュアスケート選手権(長野) 3 2 2
2000年11月23日-26日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯 9 9 9
2000年11月16日-19日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯 6 8 7
2000年11月3日-5日 東日本フィギュアスケート選手権 1 1 1
2000年10月7日-9日 2000東京フィギュアスケート選手権 2 2 2


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2000年1月29日-2月2日 第55回国民体育大会 2 1 1
1999年12月24日-26日 第68回全日本フィギュアスケート選手権(福岡) 2 6 5
1999年12月2日-5日 ISUグランプリシリーズ NHK杯 5 5 5
1999年11月11日-14日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯 4 6 5


1998-1999 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1999年2月21日-28日 1999年四大陸フィギュアスケート選手権 7 6 6
1999年1月30日-2月6日 1999年アジア冬季競技大会 1 2 2
1999年1月19日-23日 全国高等学校スケート選手権 1 1 1
1999年1月15日-17日 第67回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) 1 1 1
1998年12月3日-6日 ISUグランプリシリーズ NHK杯 8 8 8
1998年10月28日-11月1日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ 10 9 9


1997-1998 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1998年3月27日-4月5日 1998年世界フィギュアスケート選手権 7 22 21 22
1998年2月7日-22日 長野オリンピック - 14 14 13
1997年12月26日-28日 アジア選手権 - 1 1 1
1997年12月12日-14日 第66回全日本フィギュアスケート選手権(神戸) - 2 1 1
1997年11月27日-30日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯 - 6 6 6
1997年10月31日-11月2日 ISUチャンピオンシリーズ スパルカッセンカップ - 8 7 7


1996-1997 シーズン
開催日 大会名 クラス 結果
1997年2月5日 第17回 全国中学校スケート・アイスホッケー大会 女子A 1
1997年1月13日-1月15日 第65回全日本フィギュアスケート選手権 シニア 2
1996年12月5日-12月8日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯 シニア 7
1996年11月24日-12月1日 世界ジュニアフィギュアスケート選手権 ジュニア 8
1996年11月3日 全日本フィギュアスケートジュニア選手権 ジュニア 1
1996年10月13日 東日本フィギュアスケートジュニア選手権 ジュニア 4
1996年10月 アジア選手権 シニア 1
1996年9月29日 東北・北海道フィギュアスケート選手権 ジュニア 3
1996年8月3日-5日 第11回 ダイエーDLLカップ大会 選手権クラス 2


1995-1996 シーズン
開催日 大会名 クラス 結果
1996年2月4日 第16回 全国中学校スケート・アイスホッケー大会 女子A 1
1995年11月24日-12月1日 世界ジュニアフィギュアスケート選手権 ジュニア 7
1995年11月3日 全日本フィギュアスケートジュニア選手権 ジュニア 1
1995年10月2日 第12回 東日本フィギュアスケートジュニア選手権 ジュニア 1
1995年8月29日-9月1日 ネーベルホルン杯 シニア 1
1995年08月31日-09月03日 第10回 ダイエーDLLカップ大会 選手権クラス 2


1994-1995 シーズン
開催日 大会名 クラス 結果
1995年2月8日 第15回 全国中学校スケート・アイスホッケー大会 女子A 1
1994年12月3日 第16回 東北中学校スケート競技大会 女子A 1
1994年12月2日 第43回 宮城県中学校総合体育大会 女子A 1
1994年11月29日-12月4日 世界ジュニアフィギュアスケート選手権 ジュニア 8
1994年10月2日 全日本フィギュアスケートジュニア選手権 ジュニア 1
1994年8月31日-9月3日 ネーベルホルン杯 シニア 2


ノービス年齢以下
開催日 大会名 クラス 結果
1994年3月27日 トリグラフトロフィー ノービス女子 1
1994年3月13日 第23回 北日本フィギュアスケート選手権 ジュニア選手権女子 2
1994年3月5日 第14回 宮城県フィギュアスケート選手権 選手権女子 1
1994年2月11日 第6回 宮城県小学生フィギュア競技大会 Aクラス女子 1
1994年1月8日 平成5年度 宮城県民体育大会 小学校高学年女子 1
1993年10月3日 1993東北・北海道フィギュアスケート選手権 ジュニア女子 1
1993年8月9日-11日 第8回 ダイエーDLLカップ大会 選手権A 4
1993年3月31日 第22回 北日本フィギュアスケート選手権 ジュニア選手権女子 1
1993年3月14日 第13回 宮城県フィギュアスケート選手権 選手権女子 2
1993年2月21日 1993年 uhb杯フリースケーティング大会 シニア女子 1
1993年1月10日 平成4年度 宮城県民体育大会 小学校高学年女子 1
1992年8月3日-5日 第7回 ダイエーDLLカップ大会 プレシジョンジュニア 1
1992年8月3日-5日 第7回 ダイエーDLLカップ大会 女子AAクラス 1
1992年4月1日 第21回 北日本フィギュアフリースケーティング選手権 選手権女子 3
1992年3月8日 第12回 宮城県フィギュアスケート選手権 選手権女子 2
1992年2月23日 1992年 uhb杯フリースケーティング大会 シニア女子 2
1992年1月11日 平成3年度 宮城県民体育大会 小学校高学年女子 1
1991年8月5日-7日 第6回 ダイエーDLLカップ大会 プレシジョン 1
1991年8月5日-7日 第6回 ダイエーDLLカップ大会 ジュニアBクラス 2
1991年4月14日 第10回 スターランド杯 Bクラス女子 1
1991年3月30日 第20回 北日本フィギュアフリースケーティング選手権 ジュニアA女子 1
1991年2月17日 1991年 uhb杯フリースケーティング大会 ジュニア女子A 1
1991年2月10日 第3回 宮城県小学生フリー大会 Aクラス女子 1
1991年1月13日 平成2年度 宮城県民体育大会 小学校低学年女子 1
1990年8月 第5回 ダイエーDLLカップ大会 Dクラス女子 2
1990年4月5日 第19回 北日本フィギュアフリースケーティング選手権 ジュニアB女子 1
1990年3月3日 第10回 宮城県フィギュアスケート選手権 Bクラス女子 1
1990年2月17日 第2回 宮城県小学生フリー大会 Bクラス女子 1
1990年1月7日 平成1年度 宮城県民体育大会 小学校低学年女子 1
1989年8月 第4回 ダイエーDLLカップ大会 Fbクラス女子 2
1989年3月4日 第9回 宮城県フィギュアスケート選手権 ジュニアB女子 4
1989年2月18日 第1回 宮城県小学生フリー大会 Cクラス女子 1
1989年1月7日 昭和63年度 宮城県民体育大会 小学校低学年女子 2


[編集] プログラム使用曲

シーズン SP FS EX
2005-2006[1][12] 幻想即興曲
作曲:フレデリック・ショパン
パガニーニの主題による狂詩曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ
幻想即興曲
作曲:フレデリック・ショパン
ユー・レイズ・ミー・アップ
by ケルティック・ウーマン
2004-2005 蝶々夫人
作曲:ジャコモ・プッチーニ
ロメオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
メモリー
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
オペラ座の怪人
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
2003-2004 白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
シェルブールの雨傘
作曲:ミシェル・ルグラン
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ
イフ・アイ・ハッド・マイ・ウェイ
作曲:by L.Eder
2002-2003 白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
タイタニック
作曲:ジェイムズ・ホーナー
シング・シング・シング
作曲:ルイ・プリマ
ウィンドソング
by T.Janis
2001-2002 タンゲーラ
作曲:マリアーノ・モーレス
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ
-
2000-2001 テンペスト
作曲:フリッツ・クライスラー
アランフエス協奏曲
作曲:ホアキン・ロドリーゴ
-
1999-2000 ジャングルファンタジー ジゼル
作曲:アドルフ・アダン
-
1998-1999 セレナーデ
作曲:フランツ・シューベルト
ムーラン
作曲:ジェリー・ゴールドスミス
-
1997-1998[13] ジャングルファンタジー
振付:トーラー・クランストン
赤いけしの花
振付:トーラー・クランストン
-
1996-1997 ファニーガール
トースト・オブ・ザ・タウン
ミス・サイゴン
作曲:クロード=ミシェル・シェーンベルグ
-
1995-1996 - パリの喜び
作曲:ジャック・オッフェンバック
ルッキング・スルー・ジ・アイズ・オブ・ラブ
作曲:メリサ・マンチェスター
1994-1995 - パリの喜び
作曲:ジャック・オッフェンバック
-

[編集] メディア出演等

[編集] テレビ

[編集] CM

「お代わり!」を3度繰り返し、3度目に母親役の女性から“あなた、何杯食べるの!?”と睨まれ、「……いいですか?」と小さくなる。

[編集] 受賞

[編集] 栄典

[編集] 日本オリンピック委員会

[編集] その他

[編集] 出版物

[編集] 書籍

  • 荒川静香『Tira mi su ~だから私はがんばれる!~』角川書店、2006年、ISBN 9784048839631
  • 荒川静香『金メダルへの道』日本放送出版協会、2006年、ISBN 9784140811269
  • 『LEGEND OF THE ATHLETE 荒川静香物語』(集英社、2007年) ISBN 9784088743691

[編集] DVD

  • 荒川静香 Moment~Beautiful skating~(ポニーキャニオン)
  • トリノ2006オリンピック冬季競技大会 フィギュアスケート(ジェネオンエンタテインメント)

[編集] その他

  • 荒川静香 2007年 カレンダー(トライエックス、2006年) ISBN 9784777432615
  • 荒川静香-2006-メモリアル切手(エバーユアーズ、2006年)

[編集] その他

[編集] 脚注

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  1. ^ 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』p.18
  2. ^ 仙台市仙台New 5「仙台は、私の心の拠点 世界を制した荒川静香と仙台2004年8月
  3. ^ テレビ朝日系列『グレートマザー物語』「荒川静香の母~願いを込めた1000個のビーズ~」(2004年6月13日放送)、「荒川静香の母~二人三脚で掴んだ金メダル~」(2006年2月26日放送)に詳しい
  4. ^ 笑ってコラえて!スペシャルゲストで満員御礼!北海道&中央アジア祭り!!(日本テレビ系) 2009年6月10日放映分にて
  5. ^ 『氷上のアーティストたち』p.4
  6. ^ 2002年から「コナミスポーツクラブ泉」と改称、経営難のため2004年12月閉鎖。その後、荒川のトリノオリンピック金メダル獲得をきっかけにリンク再開の機運が高まり、宮城県や仙台市の支援もあって、2007年3月「アイスリンク仙台」として再開。
  7. ^ 『氷上のアーティストたち』p.12
  8. ^ 『氷上のアーティストたち』p.12
  9. ^ 『氷上のアーティストたち』p.15
  10. ^ 『氷上のアーティストたち』p.17
  11. ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  12. ^ トリノオリンピックを前にプログラム変更。『フィギュアスケートDays vol.0』p.78
  13. ^ 振付師については『氷上のアーティストたち』p.8
  14. ^ 39年間(当時)続く同番組史上初の実在人物の出演でもあった
  15. ^ 町民栄誉賞が贈られました(「広報 利府」平成18年5月号 No.372)
  16. ^ 荒川静香選手 杜の都を笑顔でパレード(「仙台市政だより」 2006年5月号)

[編集] 出典

  • 八木沼純子『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月
  • 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月
  • 『フィギュアスケートDays vol.0』DAI-X出版、2006年5月

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月14日 (土) 11:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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