荒川 (関東)

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荒川
荒川 2006年11月13日撮影
東京湾に注ぐ荒川
水系 一級水系 荒川
種別 一級河川
延長 173 km
水源の標高 2,475 m
平均流量 30 /s
(寄居観測所 2002年)
流域面積 2,940 km²
水源 甲武信ヶ岳
河口(合流先) 東京湾
流域 埼玉県東京都

荒川(あらかわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ河川である。一級水系である荒川水系の本流で一級河川に指定されている。水系として、流路延長173km流域面積2,940平方キロメートル。川幅(両岸の堤防間の距離)は御成橋付近で2,537mになり、日本最大である。

目次

[編集] 流路

埼玉県、山梨県長野県の三県がを接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、奥秩父)に源を発し、秩父山地を集めながら秩父盆地まで東に流れる。秩父盆地から長瀞渓谷まで北に、その後東に流れて大里郡寄居町関東平野に出る。熊谷市で南南東に向きを変え、川越市入間川を併せる。戸田市から再び東流、埼玉・東京の都県境を流れ、北区の新岩淵水門隅田川を分ける。その後再び南流し、江東区江戸川区の区境で東京湾に注ぐ。

[編集] 源流点の定義

この川の源流点は、2つの説がある。一つは、秩父湖の少し上流の滝川入川合流地点。もう一つは、上記の様に甲武信ヶ岳の埼玉県側の山腹、標高2,475mの所にある「真の沢」が源流点という説である。荒川源流の石碑は入川がそれぞれのに分かれる地点にある。

[編集] 一級河川としての荒川

起点は入沢と赤沢の合流点で、ここに「一級河川荒川起点の碑」がある。終点は中川との合流点で、ここに「河口から0km」のキロポストがある。この入沢と赤沢の合流点から中川との合流点までの流路延長173kmが、一級河川としての荒川である。

[編集] 歴史

荒川は、江戸時代初期以前は現在の元荒川の川筋を通っていた。つまり関東平野に出たのち東へ下り、武蔵国下総国境付近(今の越谷市吉川市周辺)で南流していた利根川と合流、そこから合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だった。「荒」という名の通りの暴れ川でしばしば川筋を変え、下流域の開発も遅れていた。本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあるが、戦国時代水路が掘られて東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した。

[編集] 利根川東遷事業

詳細は「利根川東遷事業」を参照

1629年寛永6年)に関東郡代伊奈忠治らが現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して古利根川流路から江戸川の流路を流れるようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は流速が遅く、台風で大が降るとしばしば溢れて江戸下町を水浸しにした。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市と川口市で最高水位に達する時刻の差が48 - 60時間あった[1]洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋農作物の被害は深刻であった。

[編集] 荒川放水路

荒川放水路(あらかわほうすいろ)は、荒川のうち、岩淵から、足立区、および墨田区葛飾区の区境を抜けて、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された、全長22km、幅約500mの人工河川の部分を指す。1913年大正2年)から1930年昭和5年)にかけて掘削された。

[編集] 計画に至る過程

明治43年(1910年)8月、関東地方は非常な長雨が続いたため、荒川(現隅田川)および他の主要河川が軒並み氾濫し、東京府・埼玉県などで甚大な被害を引き起こす(関東大水害)。被害総数は、家屋流出1500戸、浸水家屋27万戸、死者223人、行方不明245人、堤防決壊300箇所、橋梁被害200箇所に及び、長年豪雨災害によって被害をうけていたこともあり、翌年(1911年政府は根本的な首都の水害対策の必要性をうけ荒川放水路の建設を決定する。

内務省によって調査設計の準備を進め、土木技官の青山士らを責任者に用地買収の済んだ箇所から逐次工事に着手したのは大正2年(1913年)のことである。

この用地買収は実に1000ヘクタール、1300戸に及ぶ。これにより、南葛飾郡の大木村、平井村、船堀村の3村が廃村となり、周辺の町村へ編入されていった。

[編集] 難工事

結局、この工事は当初の10という予定期間を大幅に超え、関連工事が完全に完了するまで17年間という歳月を要し、3200万あまりの工事費を費やした。これは最初に計上された総予算1200万円の実に2.5に及んだ。さらに総数300万人以上を工事に動員し、出水や土砂崩れなど多くの災害により、30名近くの犠牲者も出した。

当時は工事の大半が手作業であり、蒸気掘削機やトロッコ、浚渫船も実用化されていたものの、現代のような重機はほとんどなかった。また工事中も幾度も台風に襲われ、中でも1917年(大正6年)9月30日の台風では記録的な高潮に見舞われ、工事用機械船舶を流出する他、関東大震災では各地の工事中の堤防への亀裂、完成したばかりの橋梁の崩落など枚挙に暇がない。さらに第一次世界大戦に伴う不況・物価高騰も難工事に拍車をかけた。

[編集] 完成後

1924年(大正13年)の岩淵水門完成により放水路への注水が開始され、浚渫工事など関連作業が完了したのは1930年(昭和5年)のことである。以後東京は洪水に見舞われることは無くなった。その後も荒川放水路により分断された中川の付け替えや、江戸川放水路の掘削が行われ、ほぼ東京周辺の流路が完成することとなる。

「荒川放水路」は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となった。それまでは現在の千住大橋付近までが荒川、それより下流域が隅田川と区別されていた。

また、この部分を横断する鉄道地下鉄を含め地下トンネル)ではなく、すべて橋梁で横断している。なお、荒川全体では埼玉高速鉄道線赤羽岩淵 - 川口元郷間で、新荒川大橋国道122号)のすぐ西側を唯一地下で抜けている。

[編集] 治水利水施設

戦後1947年昭和22年)のカスリーン台風により荒川流域は大きな被害を受け、建設省関東地方建設局(現国土交通省関東地方整備局)はダムによる洪水調節を図り、二瀬ダムが本川に建設された。1964年(昭和39年)には東京都が記録的な渇水に見舞われ(東京砂漠)、利根川より緊急的に導水を図り対処した。その後1965年(昭和40年)に秋ヶ瀬取水堰を建設、さらに荒川水系が水資源開発促進法の指定河川となり水資源開発公団(現独立行政法人水資源機構)が総合的な水資源開発を行った。この頃隅田川の水質汚濁が深刻化、メタンガスの沸き出る河川となり早慶レガッタまでもが中止となった。これらを解決すべく1968年(昭和43年)から利根大堰による導水で上水道供給と水質改善を図った。また上流部に滝沢ダム浦山ダム・有間ダム・合角ダムを建設し洪水調節や上水道を確保し、笹目橋上流に荒川第一調節池を建設して緊急時の洪水調節を行った。

1990年代以降は公共事業再評価の議論がなされ、都幾川に建設予定だった大野ダムの建設が1995年(平成7年)に中止となり、大洞ダム再開発事業も代替案と比較検討して事業を継続するかどうか検討されている。

[編集] 支流

[編集] 河川施設

上流部には秩父湖二瀬ダム)などの人造湖が多くあり、首都圏の水がめの一端を担っている。また、利根川水系のダム湖で蓄えられた水は行田市利根大堰から武蔵水路を経て荒川に落ち、荒川水系の水も加えて志木市秋ヶ瀬取水堰で取水され、朝霞水路を通って水資源機構利根導水総合管理所秋ヶ瀬管理所の沈砂池および接合井を経て東京都水道局朝霞浄水場三園浄水場に導水される。埼玉県だけでなく、東京都でも広い範囲で水道水の水源となっている。

[編集] 治水利水施設

[編集] 水力発電施設

[編集] 橋梁

治水橋(埼玉県さいたま市)
千住新橋(国道4号
鉄橋(千代田線、常磐線、つくばエクスプレス線)
鉄橋(都営地下鉄新宿線)
清砂大橋
荒川河口橋

上流側より主要なものを示す。

[編集] 流域の観光地

[編集] 水運

河口からの船舶は、秋ヶ瀬取水堰下流にある秋ヶ瀬橋までの約34kmを遡上できる。河口から約32km遡った幸魂大橋上流側右岸、埼玉県和光市新倉には桟橋があり、東京湾の製油所から小型のタンカーが運航されている。桟橋で下ろされた石油類は、パイプラインによって埼玉県朝霞市のジャパンエナジー朝霞油槽所まで運ばれている。日本では少なくなった海岸と内陸県を結ぶ水運である。

かつて幸魂大橋下流側右岸にあったエクソンモービル北東京油槽所の桟橋は、同油槽所が廃止されたため、2007年3月までに撤去された。

[編集] 荒川写真集

[編集] 関連項目

  • 荒川市民マラソン - 河川敷道路で毎年3月に開催され、板橋区スポーツレクリエーションスタンドから江戸川区の荒川大橋まで往復するコースとなっている。制限時間が7時間と長いため、多くの市民ランナーが出場する。
  • ポトマック川 - アメリカ合衆国ワシントンD.C.を流れる河川。荒川と姉妹川 (sister river) の関係にある。
  • 荒川 (羽越) - 山形県および新潟県を流れる同名の河川。一級水系の本流としては唯一名称が重複する。
  • 荒川 - その他の荒川。
  • 3年B組金八先生 - 主人公たちが荒川の河川敷を歩くシーンが流れる。

[編集] 脚注

  1. ^ 河野天瑞「荒川鉄橋建築工事報告 第一」、『工学雑誌』48巻。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月20日 (金) 18:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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