萩原誠司
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| 萩原誠司
はぎわら せいじ
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| 生年月日 | 1956年4月28日(53歳) |
| 出生地 | 岡山県英田郡西粟倉村 |
| 出身校 | 東京大学教養学部教養学科 |
| 前職 | 衆議院議員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 称号 | 教養学士(東京大学) |
| 世襲の有無 | 無 |
| 公式サイト | はぎわら誠司 |
| 選挙区 | 比例中国ブロック |
| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2005年9月11日 - 2009年7月21日 |
| 退任理由 | 衆議院解散 |
第31-32代 岡山市長 |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1999年2月10日 - 2005年8月25日 |
| 退任理由 | 衆議院議員総選挙に立候補のため |
萩原 誠司(はぎわら せいじ、1956年4月28日 - )は、岡山県英田郡西粟倉村出身の政治家。前衆議院議員(自由民主党所属)
目次 |
[編集] 略歴
岡山県立岡山大安寺高等学校、東京大学教養学部教養学科卒。1980年通商産業省入省。
1999年2月に岡山市長に初当選し、2003年3月にも再選したが、任期途中の2005年8月、第44回衆議院議員総選挙に郵政民営化の採決の際に反対票を投じた熊代昭彦衆議院議員の刺客候補として、小泉純一郎総理(当時)の強い希望により、岡山市の政令市指定を条件に擁立された。[要出典]
市長を任期半ばで辞職した事に対し、岡山では2005年秋の国体開催などを控えていたため、反対陣営や地元市民や財界、また一部報道が批判した。
同衆院選には自民党公認・公明党推薦で岡山2区(岡山市中区・東区、瀬戸内市、玉野市など)から立候補し、小選挙区では落選したものの、重複立候補していた比例中国ブロックから復活当選した。当選後しばらく無派閥だったが、2007年7月に古賀派入りした。
2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙でも岡山2区から再選を目指したが、民主党前職の津村啓介にダブルスコアに近い惨敗を喫し、比例復活もなく落選、失職した。落選後、9月15日に開かれた第2回自民党再生会議に出席し「何か仕事が欲しい」と発言した[1]。
[編集] 人物
朝鮮通信使が訪れた縁故地における日朝・日韓の相互交流、相互友好親善促進を目的とする朝鮮通信使交流議員の会の幹事を務める。
トンネル塵肺訴訟に関して、国と原告側との全面和解に向け、トンネルじん肺対策議員連盟を設立。事務局長として国と原告の間に立ち調整を行う。2007年6月13日全面和解となる。
[編集] 所属団体
[編集] 脚註
- ^ "「党再生会議」で麻生総裁への「恨み節」" (日本語). スポーツニッポン (2009-09-15). 2009年9月16日 閲覧。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月26日 (月) 03:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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