葛西敬之
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葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - )は、会社経営者で現在東海旅客鉄道(JR東海)会長。
東京都出身。新潟県生まれ。松田昌士、井手正敬とともに「国鉄改革3人組」と呼ばれ、日本国有鉄道の分割民営化に尽力した。しばしばトヨタ自動車会長・張富士夫と並んで「名古屋のドン」と言われる。[要出典]東海道新幹線の新駅建設においても葛西の意向が反映され、絶大な力を持つとされている。[要出典] また、親米保守の立場から新聞コラムの執筆も手がけた。
[編集] 来歴など
- 東京都立西高等学校卒業。
- 1963年:東京大学法学部卒業。国鉄に入社。国鉄を選んだのは、落とした学生証を荻窪駅に受け取りに行った際、同駅の助役から「東大出身なら国鉄は出世が早いですよ」と勧められたからだといわれている。しかし、入社直後、国鉄内に跋扈する国労・動労などの戦闘的労働組合と、それに対し微温的対応しかしようとしない当時の国鉄幹部に嫌気がさし、国鉄退社を決意。恩師の岡義武教授に弟子入りを申し出るが、教授に「キミ、一生遊んで暮らせるだけの恒産はあるのか。それがないと大学教授はつとまらんぞ」と諌められた逸話がある。
- 1987年:国鉄分割民営化により発足したJR東海の取締役総合企画本部長に就任。
- 1990年:同社代表取締役副社長に就任。
- 1995年:同社代表取締役社長に就任。
- 2000年9月11日:およびその翌日にかけての東海豪雨により、東海道新幹線が最大22時間21分遅れで終着駅に到着するという事態を起こしたが、その数日後に開かれたJR東海の社長(当時)定例会見で、「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言し、会社として大きな批判を浴びたが、後の会見で「多くの乗客にご迷惑をおかけしました」と陳謝した。
- 2004年:同社代表取締役会長に就任。
- 2006年2月22日:国家公安委員に就任。
- 2006年10月:政府の教育再生会議委員に就任。
その他、東京大学、名城大学などの客員教授を務め、読売新聞にコラムを連載するなどさまざまな分野で活動中。財界を代表する親米派の論客である。JR東海、トヨタ自動車、中部電力の共同出資による全寮制男子校海陽学園の副理事長も務めている。
[編集] JR東海での経営
葛西が社長に就任していた時期のJR東海は、東海道新幹線を重視した経営が特徴的であった。2003年には航空機に対抗するため、「のぞみ」中心のダイヤを構築するなど、現在の新幹線ダイヤの骨格を形成した。また、専用クレジットカードを用いて予約の平易化を図った会員制新幹線インターネット座席予約システム「エクスプレス予約」も開始された。
[編集] 著書
- 人生に座標軸を持て-自分の価値は自分で決める(1999年4月30日 ウェッジ)ISBN 4900594296
- 未完の「国鉄改革」-巨大組織の崩壊と再生(2001年2月8日 東洋経済新聞社)ISBN 4492061223
- 国鉄改革の真実 - 「宮廷革命」と「啓蒙運動」(2007年7月1日 中央公論新社)ISBN 4120038491
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最終更新 2009年11月11日 (水) 12:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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