藤井裕久

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日本の政治家
藤井 裕久
ふじい ひろひさ
藤井裕久
生年月日 1932年6月24日(77歳)
出生地 東京都
出身校 東京大学法学部卒業
前職 大蔵省主計局主計官
所属政党 自由民主党1977年 - 1993年
新生党(1993年 - 1994年
新進党(1994年 - 1997年
自由党1998年 - 2003年
民主党(2003年 - 現在)
称号 法学士(東京大学・1955年
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日本の旗 第12代 財務大臣
内閣 鳩山由紀夫内閣
当選回数 7回(衆) 2回(参)
任期 2009年9月16日 - (現職)

日本の旗 第108代 大蔵大臣
内閣 羽田内閣
任期 1994年4月28日 - 1994年6月30日

日本の旗 第107代 大蔵大臣
内閣 細川内閣
任期 1993年8月9日 - 1994年4月28日

選挙区 (旧神奈川県第3区→)
神奈川県第14区→)
南関東ブロック
当選回数 7回
任期 1990年 - (現職)

選挙区 全国区→)
比例区
当選回数 2回
任期 1977年 - 1986年6月2日
  

藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年昭和7年)6月24日 - )は、日本大蔵官僚政治家衆議院議員(7期)、財務大臣第12代)。

参議院議員(2期)、大蔵大臣(第107108代)、自由党幹事長民主党幹事長、同党最高顧問などを歴任した。

目次

[編集] 概要

東京都生まれ。父親は広島県福山市出身で東大医学部卒の内科医[1]

東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)時代は野球部に所属し、チームは甲子園に出場したがベンチ入りはせず。東京大学2年までは、東大野球部で捕手を務め活躍した。法学部進学と同時に退部。東大卒業後、旧大蔵省(現財務省)に入省。入省同期に、平澤貞昭、水野勝(元国税庁長官、元JT社長)、佐藤光夫など。田中角栄内閣二階堂進竹下登両官房長官の秘書官を務める。1976年、大蔵省主計局主計官を最終役職に退官。

1977年第11回参議院議員通常選挙全国区に自民党公認候補として立候補し、当選。2期務めた後、衆議院議員に転じる。

1993年、自民党を離党して新生党結成に参加。細川護煕内閣で大蔵大臣に就任。続く羽田孜内閣でも留任した。その後、新進党を経て、自由党で幹事長に就任。自由党が民主党と合流(民由合併)した後は、岡田克也代表の下で幹事長、代表代行を務めた。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙で落選し、高齢を理由に政界引退を表明。引退を報告するため小沢事務所を訪ねた際、小沢に「もう一緒に歩むことはできなくなりました」と述べると、小沢は涙ぐんだという。しかしその後、民主党の永田寿康が不祥事の責任を取り辞職したために、同党南関東ブロックの池田元久繰り上げ当選、さらに2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙千葉県選挙区に、同党南関東ブロック選出の衆議院議員長浜博行が立候補し自動失職したことで、南関東ブロック名簿順で次々点だった藤井が、繰り上げ当選となり(一種の比例復活)、国政に復帰した。

2007年8月、党最高顧問に就任。9月から党税制調査会長も兼務。繰り上げ当選に際しては、次期総選挙への不出馬を表明し、民主党政権誕生への最後の奉公として、近年はテレビ出演や講演、地方行脚など、選挙応援のために積極的に活動していた。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙では、地盤だった神奈川14区では元秘書の神奈川県議会議員の本村賢太郎が選挙区の後継者として出馬し当選、藤井自身は公示直前に引退撤回して、比例南関東ブロックから単独立候補して当選した。

2009年9月16日、財務大臣に就任。

[編集] 人物

  • 自由党幹事長時代は「日曜討論」(NHK)などで自党の主義主張を明快に繰り広げた。2005年9月に落選し議員でなくなった後も「時事放談」(TBS)に幾度となく出演した。
  • 東大野球部ではレギュラー捕手として活躍した。元日本高等学校野球連盟会長の脇村春夫は東大野球部の同級生。同じ東京六大学慶應義塾大学投手で後にプロ野球巨人軍入りした藤田元司から試合でヒットを打ったこともある。自自連立時代は始球式の練習をする小渕総理大臣とキャッチボールをし、捕手役を務めた。
  • 好物は日本酒と蕎麦。好きな銘柄は「ワンカップ大関」。選挙区に帰る電車の中で、乗り合わせた乗客に「一杯やるか?」と勧めたと言う逸話もあり、今でも公用車に秘書がカップ酒1ケースを積んでいるらしい。
  • 小沢の側近中の側近である一方、民由合併時の誠実な対応から、前原誠司をはじめ中堅・若手からの信頼も厚い。とりわけ、同じ幹事長として交渉を進めた岡田克也から信頼されており、小沢との接着剤的役回りを果たしている。
  • 岡田代表時の幹事長時代には、選挙区調整などで自由党出身者を優遇しない藤井の手法に対して、山岡賢次ら他の小沢側近と激論を交わす場面もあった。幹事長辞任、代表代行就任の背景には、旧自由党出身者への配慮もあったと推測される。同じ小沢側近でありながら、藤井と山岡は犬猿の仲。
  • 自由党幹事長時代、自由党と民主党の合併3日前の2003年9月23日に、自由党の政治団体「改革国民会議」に対して5億6096万円を寄付したことは、政党助成金の返還義務を逃れるためではないか、また大和銀行から自由党への10億円の借入を返済した事実が政治資金報告書に記載されていないという2点を、自民党の松岡利勝から指摘された。しかし、政党助成金はその使途について規制されておらず、また後者についても事実であれば実質的な寄付であり政治資金規正法違反の疑いは残るが、総務省は実質的な調査権を有さないことから、いずれもそれ以上の追及はなされなかった。
  • 「うちの党首(小沢)もそう申しております」が口癖。
  • 2008年6月、居酒屋タクシー問題に関連して、「官僚は朝に帰るくらいなら仮眠室で寝ればいい」と主張し、片山さつきから「朝、子供の顔を見たい母親もいる」と批判された(フジテレビにて)。
  • 2009年3月4日、小沢一郎の公設第一秘書西松建設からの政治資金規正法違反容疑で逮捕されると、小沢は記者会見を開き、違法性を否定した上で、国策捜査だとして検察批判を行った。この小沢の態度について「まったく正しい。説明責任を果たし、非常によかった」と評価した。その後、党内に反小沢の空気が広まったことから、中堅・若手の意見を代弁する形で小沢辞任論を公言し始めた。
  • 2009年7月7日政権交代後の、政権公約(マニフェスト)の実行にかかる予算16.8兆円の財源について、元大蔵大臣の見識として、「財源にはそこまで触れなくていい。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」と楽観論を展開[2]。。
  • 2009年9月13日放送のテレビ朝日系報道番組「サンデー・プロジェクト」にて、(予算が足りなくなったら)国債増刷も有り得ると言う趣旨の発言をしている。ただし、国債増刷は同年選挙前には民主党は鳩山党首が自民党の国債増刷による予算の確保を「垂れ流しである」と言って批判している[3]。また、民主党は政権交代を行った2009年10月14日に予算の補填の為に国債増刷を行うとの発表を行った。なお、民主党は同年の選挙前には2009年度に44兆円を超えた国債新規発行額に関し「(今後は)増やしたら国家が持たない」と抑制方針を示していた。
  • 藤井本人が旧大蔵官僚のため、官僚叩きが目立つ民主党内でも官僚に対して比較的理解があり、「役人は叩いては駄目、使いこなさなくては」が持論。2009年の総選挙を前にした7月、民主党の政策の一つであった財務省からの主計局分離論を撤回させた[4]
  • 2009年9月、予算編成の主導権をめぐり、「予算編成権は財務省にある」と発言し、2010年度予算の基本方針も財務省が策定する意向を示した[5]
  • 2009年9月、円高が進み,1ドル89円台となった為替について(乱高下していないなら)介入しない(政府として対策しない)。急激な円高が進んでいるにもかかわらず、現在の為替変動は「誤差」のうちで、円安は日本の国益にならないと発言した[6]。また、日本政府が円高を容認しているとの見方を否定した[7]。藤井の発言は円高・株価下落を招いた一因として、投資家から批判された[8]
  • 2009年10月、イスタンブールでの同行記者に対する会見において「内需主導の経済運営が果たして景気刺激策として機能するのか」と言う質問に対して「内需拡大をばら撒きだという人がいますが、あれは実に経済政策をわかってない人です。内需というものを中心にして、経済を運営していくということは、これはマクロ経済そのものです。子ども手当てはばら撒きだと一部に言う人がいますが、そういう人こそマクロ経済の意味をわかっていないのではないかと私は思います。それから特に子ども手当てというのは、次の世代の少子高齢化対策の非常に大きな柱になると思うのです。そういう意味で、私は内需中心の経済運営という我々の考えについて外国もなんら批判的な意見は出ないし、むしろ積極的に評価していたと認識をいたしております」と答えた[9]公明新聞によれば、藤井は麻生内閣が内需刺激策として実施した定額給付金については、NHKの討論番組にて「失業した人、あした失業するような人は、もらったらポケットにしまうのが常識だ。消費に回るはずがない」と批判していた[10]

[編集] 略歴

[編集] 経歴

[編集] 政歴

[編集] 所属議員連盟

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


官職
先代:
与謝野馨
日本の旗 財務大臣
第12代:2009年 -
次代:
現職
先代:
林義郎
日本の旗 大蔵大臣
第90代:1993年 - 1994年
次代:
武村正義
党職
先代:
小沢一郎
民主党代表代行
2004年 - 2005年
次代:
菅直人
先代:
岡田克也
民主党幹事長
第5代 : 2004年
次代:
川端達夫

最終更新 2009年11月13日 (金) 13:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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