藤原基央

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藤原基央
基本情報
別名 藤くん
MOTOO FUJIWARA
出生 1979年4月12日(30歳)
血液型 O型
出身地 日本 秋田県
ジャンル ロック
J-POP
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1996年 -
レーベル ハイラインレコーズ
1998年 - 2000年
トイズファクトリー
(2000年 - )
事務所 LONGFELLOW
共同作業者 BUMP OF CHICKEN
MOR
  

藤原 基央(ふじわら もとお、1979年(昭和54年)4月12日 - )は日本ミュージシャンロックバンドBUMP OF CHICKENボーカルギター担当として活動している。秋田県出生、千葉県佐倉市臼井出身。日出学園高等学校中退。血液型はO型。

目次

[編集] 概要

BUMP OF CHICKENのほぼ全ての楽曲を作詞作曲している。特に「映像的な音楽」という点では藤原も自覚している面があり[1]、特徴的である。最終的には童謡を作りたいと公言する。

後述のミュージカル音楽の制作経験に加え、ゲームソフトテイルズオブジアビス』の主題歌を担当したことを期に、同ゲームのゲームミュージックも手掛け、サウンドトラックSONG FOR TALES OF THE ABYSS』(2006年3月22日発売)をMOTOO FUJIWARA名義で発表した。現時点では唯一のソロリリースである。

サザン・ロックが好きであると公言しており、プレイスタイルにもその影響があると語っている。他に好んで聴く音楽ジャンルは1980年代ハードロックカントリー・ミュージックブルーグラスなど。高校生の頃に先輩のバンドの助っ人ギタリストとしてメタリカメガデスのコピーをやっていたことがある。また、好きなギタリストは、ザック・ワイルド、ジェリー・ダグラス、ブライアン・メイ藤井一彦

自身がバンド内で担当するギターのほか、ブズーキ木琴など、必要に応じて多種類の楽器を使用する。また、300円の土産物である赤いハーモニカを愛用し、シングル『花の名』のカップリング曲『東京賛歌』以降、頻繁にレコーディングに使用されるようになった。バンドのベース担当、直井由文が欠席した日に、代わりにベースを仮録したこともある。楽曲『車輪の唄』のプロモーション・ビデオでは、マンドリンを演奏した。使用機材については後述の使用機材の節を参照のこと。

[編集] 人物

視力が非常に悪く遠くのものがほとんど見えない。初めてメガネをかけてみたときは、あまりに景色が“見えすぎた”ため違和感と恐怖を感じ、すぐに外したとのこと(所持はしており、都合によっては使用する)。

彼がなりたいものは『仙人』だという。

絵が得意で、アルバム『THE LIVING DEAD』『ユグドラシル』『orbital period』などのジャケットの絵を手掛けている。

幼い頃に父親から目つきの悪さを指摘されたことや何もしていないのに睨んでると思われることが多々あった為、自分の目にコンプレックスがある。前髪を長くしているのはこのため。基本的にストレートの黒髪で定着しているが『ロストマン/sailing day』リリース時は金髪にしていた。

姉が二人おり、年少期は特に二番目の姉と仲が良かった。 お爺ちゃん子で、昆虫博士だった母方の祖父によく山へ連れて行ってもらっていたという。

小学生の頃はよく他人と違う意見を主張し、先生を困らせていた。そのせいで同じクラスの女の子を泣かせてしまった事もあった。一方で中学生になると本人曰く猫を被り、それまでとは違い他人に合わせたり意見の主張も控えるようになった。だが、放課後になると大声で唄うのは変わらなかったとのこと。

体型は非常に細身であり、身長は176cmと平均的だが、体重の方は50kg程度しかない。

今までビールを飲んでいたが(増川が喜ぶし藤原自身もお酒を飲むことに憧れていた)蕁麻疹が出るということで、飲むのをやめて、お菓子のラムネを食べるようになった。 また、ツアー中などで疲労が蓄積した時も蕁麻疹が出てしまう体質である。そこでライブの前後には風呂に一、二時間浸かるなどして徹底的に体調管理するようになり、結果「ガリガリに痩せてきてしまった」と語った[2]

苦手な食べものは辛いもの全般。しかし、本人曰く憎んではいないので嫌いな食べ物はないと言っている。 プリンガリガリ君栗金団(藤原はまわりのより栗の方が好き)、天津甘栗、いちごサンドなど甘いものが好物のようだ。特に、いちごサンド好きは公式サイトのコンテンツでも取り上げられていて、毎年、春の風物詩として紹介されつつある。他にも、トマト、洗濯、ダッフルコート(昔、タロという秋田犬を飼っていた)、(実家で“黒蜜糖”という名の黒猫を飼っておりシングル『LAMP』のジャケットにも登場した)、ライオンシロナガスクジラ(藤原に妹は居ないが、もし居たならば溺愛する自信があると語った)、木星などもこよなく愛する。誕生日に宇宙の図鑑を貰うなど、宇宙に興味があるようだ。本人によるとIQが下がっている時(下がるときは1まで下がるとか)は大抵“宇宙のこと”に考えをめぐらすと語っている。その時にスタッフからアルバムの名前のことを聞かれ、「jupiter」と答えてしまったことからタイトルが決まったというエピソードもある。後で分かった事だが、自分が木曜日生まれだった事に本人自身も驚いていた。

藤原がよく描く“ニコル”というキャラクターが存在する。アルバム『FLAME VEIN』の歌詞カードや楽曲『ガラスのブルース』のプロモーション・ビデオ、アルバム『orbtal period』のブックレット『星の鳥』、DVD作品『人形劇ギルド』の隠し映像などバンド関連作品にたびたび登場している。外見はであるが、二足歩行。マフラーを巻いている。マフラーの色は特に決まっていない。使用する言語は日本語である。作者は藤原だが、元は藤原の母親が描いた猫がモデル。藤原がほめられる事をすると母がこの猫を描いており、藤原にとっては『自分が認められた瞬間』の象徴だったと言う[3]。なお、楽曲『スノースマイル』のプロモーション・ビデオで、藤原が同じようなマフラーを巻いている。

小学校の卒業文集のタイトルは、『だまれガチャピン』。 もともとは『くたばれガチャピン』だったが、 先生に注意されたため『だまれガチャピン』に変更した。ちなみにガチャピンとは担任の先生のあだ名。

[編集] 来歴

秋田県秋田市で誕生した後、幼稚園に入るまでの間に現在の千葉県佐倉市へと引っ越す。年少期はピアノを習っていて、その頃から既に作曲を手がけていた。姉の影響でマイケル・ジャクソンが好きで、録画したMTVの番組を流していたという環境から洋楽を頻繁に聴いていたが、日本のポップスも姉とハモって歌うなどしていた。初めて買ったギターは小学校六年生の頃に姉の友人から3000円で購入したアコースティック・ギターである。ゲームが好きなのは当時から変わらず、ドラゴンクエストをクリアした後にサウンドトラックを聴くのが趣味だった。中学生時代も、気がついたら歌い始めている、というほどの根っからのミュージシャンだったという。ドラムス升秀夫に誘われて、自分が副委員長の担当になっていた文化祭で現在のBUMP OF CHICKENの母体バンド(藤原、直井、升、“あいつ”(増川はスタッフとして参加)での初となるライブを決行(「ツイスト・アンド・シャウト」等をカバー)、結果大成功。また、中学時代バスケ部であったが、補欠だったため部活中は体育館器具庫ですごし、試合には出なかった。

中学卒業後も頻繁にメンバーと会い、自作曲を書き始めるが、進学した日出学園高等学校では周囲の雰囲気に馴染めず、高校一年生の秋に中退。その為、家に家賃(五万円)を入れる事となるが、アルバイトは長くは続かず、家に五万も入れるぐらいなら同じ五万円のアパートに住んだほうがいいと思い、上京した。16歳の時である。

初期の代表曲『ガラスのブルース』はこのころ作曲された。上京し立ての頃は住所不定で知人の家を転々としていたが、泊まる場所がなく公園で野宿したり、新宿アルタ前で演奏して日銭を稼いだりしていた。『ガラスのブルース』とアルバム『FLAME VEIN』の間の期間、ミュージカル用の楽曲を書き下ろす経験をしている(曲名は『はしるおんな』で、メンバーと共にバンド役として出演した)。

[編集] 作品

BUMP OF CHICKENの作品についてはBUMP OF CHICKEN#ディスコグラフィーを参照のこと。

[編集] 参加作品

[編集] 使用機材

ギター
など。ギターはすべてラムトリック・カンパニーでパーツをすべてはずし組み立てなおしたりなどの調整がなされている。
アンプ
など。アンプはすべてホンダ・サウンド・ワークスにより真空管交換などの調整がなされている。
  • ERNIEBALL Regular Slinky
エフェクター
  • KLON CENTAUR
  • ボス
    • OD-1
    • OD-3
    • BD-2
    • OS-2
  • ジムダンロップ
    • CRYBABY
その他
など。

フェンダー製のミディアムの白のティアドロップ型のピックは落としたらマイクスタンドに大量に付けてあるにもかかわらずインディーズ時代同様、未だ「拾いたい」と語っている。頻繁に使用する「レスポールスペシャル」(TVイエロー)は楽器屋の端にひっそりと置いてあったものを見つけたとのこと。この時スペシャルを購入するまではレスポール・カスタムのコピーモデルを使っていた。現在は、ギブソン・カスタム・ショップ製のヒストリック・コレクションが4本、57年製のビンテージが1本、トーカイのホンダ・サウンド・ワークスモデルが2本、ラムトリック・カンパニーのオリジナルブランドであるSonicのレスポールスペシャルモデル1本と、同モデルを8本も所有している。ピックアップは常にセンター。4弦の開放を頻繁に使用するためにナットの4弦の減りが早く、本人は「4弦ナット壊し病」と語っている。サブ・ギターを用意していなかったインディーズの頃は4弦が切れてしまい、その場で張りなおしたこともあったそうだ。ちなみにハルジオンのプロモーション・ビデオでは後半に4弦を切っている。

[編集] 評価

藤原とは長年親交深い音楽評論家の鹿野淳は、藤原の曲を「ブルースとフォークがものすごく根深いところで根付いている音楽」と分析している[4]。作詞に関しては「“終わり”とか“死”とかっていうものからの逆算(中略)があるから“生きる”ってことを歌うということではない、“生きてる”っていう、この淡々とした現実っていうとこから物事を進めていく」「いろんな人のいろんなコンディションで聴き方が変わってもOKなだけのタフネスを、楽曲自体が持っている」と評した。

[編集] 出典・参考文献

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  1. ^ Exciteミュージック・藤原基央単独インタビュー(2007年8月12日確認)
  2. ^ discord・インタビュー文字起こし (2007年8月12日確認)
  3. ^ 「ヒストリーブック」より抜粋
  4. ^ discord文字起こし(2007年9月4日確認)

最終更新 2009年11月28日 (土) 09:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【藤原基央】変更履歴

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