藤原清貫

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藤原 清貫(ふじわら の きよつら、貞観9年(867年) - 延長8年6月26日930年7月24日))は、平安時代公卿。父は名地方官として知られた藤原南家民部卿藤原保則、母は在原業平の娘とされているが、保則の父である藤原貞雄(右大臣藤原継縄の孫で乙叡の子)を実父とする異説もある。

醍醐天皇に仕えて藤原時平政権に参加、延喜式編纂や昌泰の変菅原道真の追放)などに関わったとされる。宇佐八幡宮への使者に任じられた折には、道真を見舞うとして大宰府を訪れ、帰京後に道真の動向を天皇や時平に報告している。

延長8年6月26日、正三位権大納言(民部卿・東宮傅兼務)であった清貫は宮中の清涼殿において落雷に遭遇する。直撃を受けた清貫は衣服を焼損し胸を裂かれた状態で陽明門から自宅に搬出されたものの、即死状態であったという。

人々は清貫が菅原道真の追放に関与したために、その怨霊によって報いを受けたと噂したと言う。

[編集] 関連項目

  • 向日神社 同社に伝わる「日本書紀 神代巻下巻」は、延喜4年(904年)に藤原清貫がしたためたもの。国の重要文化財。

最終更新 2008年7月6日 (日) 09:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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