藤田俊哉

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藤田俊哉
名前
愛称 トシヤ
カタカナ フジタ トシヤ
ラテン文字 FUJITA Toshiya
基本情報
国籍 日本
生年月日 1971年10月4日(38歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 174cm
体重 64kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム ロアッソ熊本
ポジション MF
背番号 28
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1995-2005
2003
2005-2008
2009-
日本の旗 ジュビロ磐田
オランダの旗 ユトレヒト(loan)
日本の旗 名古屋グランパス
日本の旗 ロアッソ熊本
0336 (94)
140 (1)
830 (6)
代表歴2
1995-2005 日本 24 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
2. 2007年9月11日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーJリーグディビジョン2(J2)ロアッソ熊本に所属。また、Jリーグ選手協会会長もつとめる。

10年に渡り日本代表にも選出。2001年にJリーグ最優秀選手賞を受賞。

目次

[編集] 来歴

清水商業高校では、2年次に高校選手権優勝を経験。筑波大学を経て1994年、この年にJリーグへ昇格するジュビロ磐田に入団。1年目からレギュラーを獲得し、中山雅史名波浩らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回という磐田黄金時代を作り上げ、自身もJリーグ・ベストイレブンに3度選出された。2001年にはJリーグMVPも受賞するなど、リーグではその能力を数々の実績で証明している。

一方で日本代表においては、ファルカン加茂周トルシエジーコと歴代の監督により招集されたが、いずれの監督下でもレギュラーではなくサブとしての登用であった事から、当時はインタビューなどで「頂点を極めたなんて思ったことは一度もありません」と語っている。海外クラブに所属する選手を重用する傾向があったジーコ監督時代の2003年には、代表定着を狙うためにオランダFCユトレヒトに半年間の期限付き移籍。この時期は積極的に代表に呼ばれたが、やはりレギュラー定着はできなかった。ユトレヒトでは1ゴールを記録するなど上々の成績を残した。シーズン終了後には移籍期間延長の打診もあり、藤田自身もオランダでのプレーの続行を望んだが、ユトレヒトには完全移籍に移行する際の移籍金を支払う資金力が無く、加えて成績が下降傾向だった磐田からは移籍期限終了に伴う磐田への復帰を強く要請されたため、日本へ復帰した。

このような経緯で磐田に復帰したものの、2004年末より監督に就任した山本昌邦の方針で出場機会が激減。代表へのこだわりを持っていたことから、出場機会を求めて2005年のシーズン途中に名古屋グランパスエイトに移籍した。名古屋では足掛け4年にわたってチームの精神的支柱として活躍したが、2008年にはMF小川佳純の台頭もあり出場機会が減少。高年俸もネックとなりシーズン終了後に戦力外通告を受ける。J1クラブも含めて複数のオファーの中から、低い条件ながら最も熱心に誘われたJ2・ロアッソ熊本へと移籍した。

愛車は2001年Jリーグ最優秀選手副賞の賞品であったサーブ9-3[1]

[編集] 特徴・評価

攻撃的ミッドフィールダーとして、トップ下や右サイド、左サイドをプレーエリアとし、高い得点能力、パス能力を持っている。また、マークをはずす動きや、こぼれだまへの寄せの早さ、スルーパスへの飛び出し、豊富な運動量なども優れている。中盤から飛び出して積極的に得点を狙いにいくスタイルは、同時代、中田や名波などが典型的な中盤の王様という型にはまっていったなかで異色と言える。

また試合を組み立てる能力にも長けていて、司令塔としても日本人選手で一・二を争う。磐田時代には名波浩とともに攻守の要としてプレーしていた。

藤田は「一瞬のひらめき」を使った「藤田にしか見えない場所」に出すスルーパスで、このパスを出されるとディフェンスは、一瞬止って動けなくなってしまう。「ディフェンスをあざ笑うかのようなスルーパス」という言葉が似合う選手である。

名古屋に移籍し2年目の2006年からは、中盤でボールの交通整理を行う役目としてのボランチでの起用が多くなった。

[編集] 記録

2000年5月3日の対川崎フロンターレ戦では、ペナルティーキック(PK)を3本決めて、ハットトリックを達成。自身初、PKのみのハットトリックは、Jリーグでも史上初の記録であった。1本目はゴール右、2本目は真ん中、そして3本目は左と蹴り分け、ゴールキーパーは全く反応ができなかった。   

2007年6月9日の対川崎フロンターレ戦(豊田スタジアム)の前半1分にPKによる得点を挙げ、中山雅史に次いで史上2人目となる、J1のリーグ戦で14年連続ゴールという記録を達成した。

2007年6月30日の対ヴァンフォーレ甲府戦(瑞穂陸上競技場)で史上初のJリーグ出場通算400試合を達成した。

2007年8月25日の対大宮アルディージャ戦(瑞穂陸上競技場)において、Jリーグ史上4人目、フォワード(FW)以外の選手としては史上初のJリーグ通算100得点を達成。通算得点の上位はほとんどがFWが占める中、特筆すべき記録である。

これまでのA代表歴は、24試合出場、3得点。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1994 磐田 - J 38 7 4 0 1 0 43 7
1995 磐田 - J 49 11 - 1 1 50 12
1996 磐田 - J 25 4 14 1 1 0 40 5
1997 磐田 10 J 24 9 6 0 4 3 34 12
1998 磐田 10 J 33 17 6 4 3 0 42 21
1999 磐田 10 J1 29 4 4 1 3 0 36 5
2000 磐田 10 J1 30 8 4 1 3 1 37 10
2001 磐田 10 J1 26 11 7 0 2 1 35 12
2002 磐田 10 J1 30 10 7 2 3 0 40 12
2003 磐田 10 J1 13 6 6 0 - 19 6
オランダ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2003-04 ユトレヒト 16 エールディヴィジ 14 1 - - 14 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 磐田 10 J1 29 7 0 0 5 1 34 8
2005 磐田 10 J1 10 0 0 0 - 10 0
名古屋 10 J1 22 2 0 0 2 0 24 2
2006 名古屋 10 J1 24 2 4 0 2 0 30 2
2007 名古屋 10 J1 29 2 1 0 2 0 32 2
2008 名古屋 10 J1 8 0 4 1 1 0 13 1
2009 熊本 28 J2 -
通算 日本 J1 419 100 67 10 33 7 519 115
日本 J2
オランダ エールディヴィジ 14 1 - - 14 1
総通算 433 101 67 10 33 7 533 116
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004年 磐田 10 4 0
2005年 磐田 10 4 1
通算 AFC 8 1

[編集] 個人タイトル

  • 1998年 - Jリーグ ベストイレブン
  • 2001年 - Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)
  • 2002年 - Jリーグ ベストイレブン

[編集] 代表歴

[編集] 試合数

  • 国際Aマッチ 24試合 3得点(1995-2005)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1995年 6 2
1996年 0 0
1997年 0 0
1998年 0 0
1999年 4 0
2000年 0 0
2001年 0 0
2002年 0 0
2003年 3 0
2004年 10 1
2005年 1 0
通算 24 3

[編集] ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 1995年2月23日 中華人民共和国 中国 ○2-1 親善試合
2. 1995年6月10日 イングランド スウェーデン △2-2 親善試合
3. 2004年3月31日 シンガポール シンガポール ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月20日 (金) 08:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【藤田俊哉】変更履歴

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