蛍の光

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蛍の光の一番(全60秒)

蛍の光」(ほたるのひかり)は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲とした、日本の翻訳唱歌である。作詞は稲垣千頴、作曲者は不詳である。

目次

[編集] タイトル

作詞時の曲名は『螢』、のちに『螢の光』となった。漢字制限当用漢字常用漢字)により、現在の正書法では「蛍の光」となる。

[編集] 経緯

オールド・ラング・サインは、ヨーロッパ中に、さらには海を越えてアメリカ大陸へも普及していった。明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するとき、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が採用され、「蛍の光」となった。

1881年(明治14年)に尋常小学校唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。

[編集] 歌詞

[編集] オリジナル

以下の歌詞は、小学唱歌集初編(1881年(明治14年)11月24日付)に掲載された時のものである。

漢字版
1 ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。
蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
2 とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。
止まるも行くも、限りとて、
互いに思う、千萬の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌うなり。
3 つくしのきわみ、みちのおく、
うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。
筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、
一つに尽くせ、国の為。
4 千島のおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。
千島の奥も、沖縄も、
八洲の内の、守りなり、
至らん国に、勲しく、
努めよ我が背、恙無く。

[編集] 蛍雪の功

歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」とは、「蛍雪の功」と言われる、一途に学問に励む事を褒め称える中国故事が由来である。

東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この2人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。

[編集] 1番と2番のみが歌われる経緯

現在は『蛍の光』は2番までしか歌われていないが、本来は4番まである。

3番と4番は、遠く離れ離れになっても、それがたとえ辺境の地であろうとも、国のために心をひとつにしてそれぞれの役割を果たそう、というような内容であり、この愛国主義的(軍事関連、お国のために、など)とも取れる歌詞が敬遠されて戦後、教育現場への指導などによって歌われなくなった。

[編集] 文部省による改変

3番は出版前の1881年(明治14年)の段階では

つくしのきはみ みちのおく
わかるゝみちは かはるとも
かはらぬこころ ゆきかよひ
ひとつにつくせ くにのため

という歌詞だった。これを文部省でチェックしたところ「かはらぬこころ ゆきかよひ」という部分が、男女の間で交わす言葉というクレームがついたために、翌年まで刊行が延びた。奥付は1881年(明治14年)11月であるが、実際に刊行されたのは1882年(明治15年)4月のことである。

領土拡張等により文部省が4番の歌詞を以下のとおり改変している。

[編集] 歌われる場面

メロディのみの演奏についてはオールド・ラング・サイン#日本を参照。

[編集] 録音ディスク

旧詩4番まで歌っているCDとして、以下のものがある。

ザ・ピーナッツは、「オールド・ラング・サイン」のインストアレンジ「別れのワルツ」に「蛍の光」の歌詞を乗せた歌を歌っている(曲名は「別れのワルツ」)。2004年発売のCD-BOX、ザ・ピーナッツ メモリーズBOXに収録している。

アナログレコードとしては、実用レコードシリーズ『蛍の光/仰げば尊し』(編曲:岩窪ささを演奏:コロムビア・オーケストラ 日本コロムビアGA-10)がロングセラーとなった。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 07:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【蛍の光】変更履歴

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