西国三十三箇所

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西国三十三箇所(さいごくさんじゅうさんかしょ)または西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)は、近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音霊場の総称[1]。これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。

「三十三」の数については、『法華経』「観世音菩薩普門品」所説の、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化するという信仰に由来すると言われている。西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。

各札所の位置(京都府に所在するものを除く)

目次

[編集] 成立と歴史

[編集] 伝承

三十三所巡礼の起源については、中山寺(二十四番札所)の縁起である『中山寺来由記』、華厳寺(三十三番札所)の縁起である『谷汲山根元由来記』などに大略次のように記されている。

養老2年(718年)、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなるが冥土の入口で閻魔大王に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻された。そしてこの宝印に従って霊場を定めたとされる。上人はこの三十三所巡礼を人々に説くが世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めた。そして三十三所巡礼は忘れ去られていった。

徳道上人が中山寺に宝印を納めてから約270年後、花山法皇(968年 - 1008年)が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受ける。そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国書写山圓教寺性空上人の勧めにより、、河内国石川寺(叡福寺)の仏眼上人を先達として三十三所霊場を巡礼したことから、やがて人々に広まっていったという(中山寺の弁光上人を伴ったとする縁起もある)。

なお、札所寺院のうち、善峯寺(二十番札所)は法皇没後の長元2年(1029年)創建である。また、花山法皇とともに札所を巡ったとされる仏眼上人は、石川寺の聖徳太子廟の前に忽然と現れたとされる伝説的な僧で、実在が疑問視されている。以上のことから、三十三所巡礼の始祖を徳道上人、中興を花山法皇とする伝承は文字どおりの史実とは考えがたいが、三十三所の札所寺院・堂はいずれも平安時代以前からの由緒を伝える観音信仰の場であった。

[編集] 歴史

歴史資料における三十三所巡礼の初出は、近江国園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』中の「行尊伝」と「覚忠伝」にみられる「観音霊場三十三所巡礼記」である。天台座主・園城寺長吏を務めた僧・行尊(1055年 - 1135年)は、正確な年次は不明ながら、三十三所を巡礼している。この時の巡礼は、札所は現代のものと同一だが、回る順番が異なり、第一番は長谷寺であり、第三十三番は三室戸寺であった。同じく天台座主・園城寺長吏を務めた僧・覚忠(1118年 - 1177年)は応保元年(1161年)に三十三所を巡礼しており、この時は第一番は現在と同じ那智山であり、第三十三番は三室戸寺であった。

江戸時代には庶民に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所秩父三十四箇所と併せて日本百観音と言われるようになった。これにより東国の巡礼者が増え、この上方の観音巡礼が「西国三十三所」と言われるようになり、熊野詣から巡礼を始める人が多かったので第一番が紀伊国那智山の如意輪堂(現・青岸渡寺)に、東国への帰路に着きやすいということで第三十三番が美濃国の華厳寺という現在の巡礼順になったと考えられている。江戸時代初期から「巡礼講」が各地で組まれ団体の巡礼が盛んに行われた。地域などから依頼を受けて三十三所を33回巡礼することで満願となる「三十三度行者」と呼ばれる職業的な巡礼者もいた。これら巡礼講や三十三度行者の満願を供養した石碑である「満願供養塔」は日本各地に残っている。

近年、札所寺院の宗派からの独立が著しい。巡礼者の増加に伴い、各寺院の財政が潤っていることを端的に示している。

[編集] 巡礼

霊場は一般的に「札所」という。かつての巡礼者が本尊である観音菩薩との結縁を願って、氏名や生国を記した木製や銅製の札を寺院の堂に打ち付けていたことに由来する。 札所では参拝の後、写経とお布施として納経料を納め、納経帳に宝印の印影を授かる。写経の代わりに納経札を納める巡礼者もいる。

巡礼の道中に、開基である徳道上人や再興させた花山法皇のゆかりの寺院が番外霊場として3か所含まれている。そして結願のお礼参りとして、最後に信州の善光寺に参拝し計37か所を巡礼する。また、高野山金剛峯寺の奥の院、比叡山延暦寺の根本中堂、奈良の東大寺の二月堂、大阪の四天王寺を番外霊場に含んでいる場合もあり、お礼参りは善光寺を含め5か所の中から一つを選べばよいとする説もある。

第一番から第三十三番までの巡礼道は約1000kmであり四国八十八箇所の遍路道約1400kmと比較すれば短いが、京都市内をのぞいて札所間の距離が長いため、現在では全行程を歩き巡礼する人はとても少なく、自家用車や公共交通機関を利用する人がほとんどである。1935年3月から1か月間「西国三十三ヶ所札所連合会」が阪急電鉄とタイアップして「観音霊場西国三十三ヶ所阪急沿線出開扉」を開催した。これには33日間で40万人以上が訪れたと言われている。[2]

現在でも鉄道会社やバス会社によって多くの巡礼ツアーが組まれており利用者も多い[3]

[編集] 西国三十三所札所寺院の一覧

No. 山号 寺号 通称・別称 札所本尊 開扉時期 宗旨 所在地
1 那智山 青岸渡寺 那智山寺 如意輪観音 年3回 天台宗 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
2 紀三井山 金剛宝寺
護国院
紀三井寺 十一面観音 50年毎 救世観音宗 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
3 風猛山 粉河寺 - 千手観音 開扉なし 粉河観音宗 和歌山県紀の川市粉河2787
4 槇尾山 施福寺 槇尾寺 千手観音 5月1日 - 15日 天台宗 大阪府和泉市槇尾山町136
5 紫雲山 葛井寺 藤井寺 千手観音 毎月18日 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
6 壺阪山 南法華寺 壺阪寺 千手観音 毎日 真言宗(豊山系単立) 奈良県高市郡高取町壺阪3
7 東光山 龍蓋寺 岡寺 如意輪観音 毎日 真言宗豊山派 奈良県高市郡明日香村岡806
番外 豊山 法起院 徳道上人廟 - - 真言宗豊山派 奈良県桜井市初瀬776
8 豊山 長谷寺 初瀬寺 十一面観音 毎日 真言宗豊山派 奈良県桜井市初瀬731-1
9 - 興福寺
(南円堂)
- 不空羂索観音 10月17日 法相宗 奈良県奈良市登大路町48
10 明星山 三室戸寺 御室戸寺 千手観音 不定 本山修験宗 京都府宇治市菟道滋賀谷21
11 深雪山 上醍醐寺
(准胝堂)
- 准胝観音 5月15日 - 21日 真言宗醍醐派 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1
12 岩間山 正法寺 岩間寺 千手観音 不定 真言宗醍醐派 滋賀県大津市石山内畑町82
13 石光山 石山寺 - 如意輪観音 33年毎 東寺真言宗 滋賀県大津市石山寺1-1-1
14 長等山 園城寺
観音堂
三井寺 如意輪観音 33年毎 天台寺門宗 滋賀県大津市園城寺町246
番外 華頂山 元慶寺 - - - 天台宗 京都府京都市山科区北花山河原町13
15 新那智山 観音寺 今熊野観音寺 十一面観音 9月21日 - 23日 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
16 音羽山 清水寺 - 千手観音 33年毎 北法相宗 京都府京都市東山区清水1丁目294
17 補陀洛山 六波羅蜜寺 - 十一面観音 12年毎 真言宗智山派 京都府京都市東山区五条大和大路
上ル東入2丁目轆轤町81-1
18 紫雲山 頂法寺 六角堂 如意輪観音 不定 天台系単立 京都府京都市中京区六角東洞院西入
堂之前町248
19 霊麀山 行願寺 革堂 千手観音 1月17・18日 天台宗 京都府京都市中京区寺町通竹屋町
上ル行願寺門前町17
20 西山 善峯寺 よしみねさん 千手観音 毎月第2日曜 善峯観音宗
(天台系単立)
京都府京都市西京区大原野小塩町1372
21 菩提山 穴太寺 穴穂寺
菩提寺
聖観音 33年毎 天台宗 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
22 補陀洛山 總持寺 - 千手観音 4月15日 - 21日 高野山真言宗 大阪府茨木市総持寺1-6-1
23 応頂山 勝尾寺 弥勒寺 千手観音 毎月18日 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1
24 紫雲山 中山寺 中山観音 十一面観音 毎月18日 真言宗中山寺派 兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
番外 東光山 花山院
菩提寺
尼寺のお寺 - - 真言宗花山院派 兵庫県三田市尼寺352
25 御嶽山 清水寺 播州清水寺
清水さん
千手観音 毎日 天台宗 兵庫県加東市平木1194
26 法華山 一乗寺 - 聖観音 不定 天台宗 兵庫県加西市坂本町821-17
27 書寫山 圓教寺 西の比叡山 如意輪観音 1月18日 天台宗 兵庫県姫路市書写2968
28 成相山 成相寺 成相さん 聖観音 33年毎 真言宗
(古義系単立)
京都府宮津市成相寺339
29 青葉山 松尾寺 まつのおさん 馬頭観音 不定 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532
30 厳金山 宝厳寺 竹生島宝厳寺 千手観音 60年毎 真言宗豊山派 滋賀県長浜市早崎町1664-1
31 姨綺耶山 長命寺 - 千手観音
十一面観音
聖観音
不定 単立 滋賀県近江八幡市長命寺町157
32 繖山 観音正寺 仏法興隆寺 千手観音 毎日 単立(天台系) 滋賀県蒲生郡安土町石寺2
33 谷汲山 華厳寺 たにぐみさん 十一面観音 不定 天台宗 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

[編集] 札所本尊

[編集] 像種

西国三十三所の札所本尊はすべて観音菩薩である。なお、札所本尊と寺院全体の本尊とは異なる場合もある。たとえば、4番施福寺では札所本尊は千手観音であるが、寺本尊は弥勒菩薩であり、21番穴太寺では札所本尊は聖観音であるが、寺本尊は薬師如来である。

観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)の像には、一面二臂の聖観音(しょうかんのん)の他に、十一面観音、千手観音など、さまざまな超人間的性質をそなえた変化観音(へんげかんのん)がある。西国三十三所の札所本尊を像種別にみると、以下のとおりで、千手観音像がもっとも多い。

  • 千手観音 15か寺
  • 十一面観音 7か寺
  • 聖観音 4か寺
  • 如意輪観音 6か寺
  • 馬頭観音 1か寺
  • 准胝観音 1か寺
  • 不空羂索観音 1か寺

上記の合計は33ではなく35になっている。これは、31番長命寺において千手観音、十一面観音、聖観音の3体を本尊とし、「千手十一面聖観音三尊一体」と称しているためである。

[編集] 札所本尊の秘仏化

西国三十三所の札所本尊は秘仏となっているものが多く、秘仏でないのは6番南法華寺(壺阪寺)の千手観音、7番岡寺(龍蓋寺)の如意輪観音、8番長谷寺の十一面観音、25番播州清水寺の千手観音、32番観音正寺の千手観音の5箇所のみとなっている[4]。これらの秘仏の中には、月1回、年1回など定期的に開扉されるものと、数十年に1回しか開扉されないものとがある。10番三室戸寺の千手観音像、33番華厳寺の十一面観音像などは厳重な秘仏で開扉の日も定められておらず、像の写真も公表されていない。

2008年が西国巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌にあたることから、同年から2010年にかけて、西国三十三所の全札所において順次「結縁開帳」が行われている。この「結縁開帳」では、平素厳重な秘仏として公開されなかった札所本尊も開扉されることとなった。

以下は、2008年から2010年にかけての「結縁開帳」にて開扉される札所本尊のうち、前回の公開から半世紀以上を経ているものである。

  • 10番三室戸寺(千手観音) - 結縁開帳では2009年10月1日 - 11月30日開扉。前回開扉は1925年。
  • 18番頂法寺(如意輪観音) - 結縁開帳では2008年11月8日 - 2009年1月5日、2009年3月3日 - 4月12日開扉。前回開扉は1872年。
  • 29番松尾寺(馬頭観音) - 結縁開帳では2008年10月1日から1年間開扉。前回開扉は1931年。
  • 31番長命寺(千手観音・十一面観音・聖観音) - 結縁開帳では2009年10月1日 - 10月31日開扉。前回開扉は1948年。
  • 33番華厳寺(十一面観音) - 結縁開帳では2009年3月1日 - 3月14日開扉。前回開扉は1955年。

なお、3番粉河寺の本尊千手観音像は絶対の秘仏で、2008年 - 2010年の結縁開帳でも公開の予定はない。粉河寺では、2008年10月1日から10月31日まで「結縁開帳」が行われたが、この際開帳されたのは本堂の本尊ではなく、本堂の隣にある千手堂の千手観音像であった。

[編集] 御詠歌

漢語の経典や声明(しょうみょう)と異なり和歌の賛仏歌として「御詠歌」が多くの宗派・寺院で採用されているが、この「御詠歌」の起源は花山法皇が西国三十三所の各札所で詠まれた御製の和歌を後世の巡礼者が節をつけて巡礼歌として歌ったものであるとされている[5]。西国三十三所の御詠歌は、宗派にもよるが近畿地方一円で死者を弔うために葬儀から四十九日法要まで親族によって毎夜唱えらたり、お盆の仏事において参加者全員で合唱する習慣などがある。

[編集] 脚注

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  1. ^ 「三十三箇所」「三十三所」の両様の表記があるが、近世以前にはもっぱら「三十三所」と称されていた。また、「西国」は「さいこく」と清音で読む場合もある。
  2. ^ 森正人『四国遍路の近現代』創元社
  3. ^ 京阪宇治バスでは西国三十三箇所の内数箇所と、番外としてツアーにより近隣の寺院数箇所とを組み合わせた巡礼ツアーを定番コースとして開催している。
  4. ^ 播州清水寺では、根本中堂本尊の十一面観音像は秘仏だが、札所本尊である大講堂の千手観音像は拝観可能である。
  5. ^ ただし、西国三十三所の御詠歌のほとんどは作者・作期不明であり、現在のように整えられたのは室町時代頃と推定されている。参考文献の和田、1998、pp16 - 22参照。

[編集] 参考文献

  • 浅野清編『西国三十三所霊場寺院の総合的研究』、中央公論美術出版、1990
  • 西国三十三所札所会編『西国三十三所結縁御開帳公式ガイドブック』、講談社、2008
  • 『西国三十三所観音巡礼の本』(エソテリカ別冊)、学習研究社、2008
  • 和田嘉寿男『御詠歌の旅 西国三十三札所を巡る』、和泉書院、1998
  • 奈良国立博物館・NHKプラネット近畿編『西国三十三所観音 霊場の祈りと美』(特別展図録)、発行:奈良国立博物館、名古屋市博物館、NHKプラネット近畿、NHKサービスセンター、2008(解説執筆は頼富本宏、清水健ほか)

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月3日 (火) 11:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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