西川のりお

西川のりおの最新ニュースをまとめて検索!

 西川 のりお
生年月日 1951年5月12日(58歳)
出身地 奈良県吉野郡川上村
コンビ名 西川のりお・上方よしお
立ち位置
事務所 吉本興業
受賞歴
第20回読売ヒューマンドキュメンタリー大賞 優秀賞
  

西川のりお(にしかわ のりお、本名:北村紀夫 - きたむら のりお、1951年5月12日 - )は、吉本興業大阪本部に所属する日本の漫才師である。奈良県吉野郡川上村生まれの大阪市都島区育ち。血液型はA型。茨城県坂東市ねぎ大使でもある。

目次

[編集] 来歴

大阪市立桜宮中学校大阪工業大学高等学校建築科卒業。高校卒業前に西川きよしに入門。高校時代は応援団員として活躍し、大きな独特のダミ声はその時から磨いていた。アマチュア時代から毎日放送のお笑い番組に出演している。

師匠は西川きよしである。現在でもきよしやその家族には、異常なほど気を遣った行動を見せる。

きよし門下で内弟子修行を始めたがしくじって松竹芸能に移籍し、売れない下積み時代を過ごす。1970年、「横中バック・ケース」の横中バックとしてデビュー(名前の由来は横山エンタツ花菱アチャコ<横>中田ダイマル・ラケット<中>を足して屋号にした)。その後、淀公一として北京二とコンビを結成。吉本に復帰させる案が着々に進んでいたが吉本と松竹の関係上から無理だった為か、一度横山ノック個人事務所や大宝芸能への移籍も視野に入れていた。

横中バック・ケース時代の破天荒な高座は伝説となっており、初代B&Bの団順一(放送作家の萩原芳樹)や太平サブロー・シローらは、「それは凄い芸やった」と回想している。相方のケースを舞台から放り投げたり、緞帳にぶら下がってはそれを引きちぎる。またセンターマイクにかじり付いてフードを噛み破り「俺はしびれてるんじゃ!」と叫ぶなどして、新開地にあった神戸松竹座や、新世界新花月の劇場関係者を困らせていた。 しかし、観客の受けは悪く、舞台袖から観ている芸人仲間達の方が楽しんでいた。

1975年1月、元B&B上方よしお(当時の芸名は上方真一)と西川のりお・上方よしお結成。横山やすし・西川きよし、ザ・ぼんち島田紳助松本竜助(当時:松本竜介)らとともに1980年代前半の漫才ブームの地位を築いた(「松本竜介」と言う名前は自分(のりお)が考えたと2006年4月2日の竜助の通夜の席で話す)。

その後『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演し、ぼんちおさむと共に独特の暴走キャラでひょうきん族になくてはならない存在となる。主に「ツッタカ坊や」「つくつくほーし」「西川のりおとフラワーダンシングチーム(コント赤信号ヒップアップのメンバーと共に。後に彼らによるオリジナルソングまで作られた(フラワールームより愛を込めて))」「オバQ(テレビゲームのりおとにらめっこ)」などが代表的なギャグ。ひょうきんベストテン(ザ・ベストテンパロディ)では沢田研二役を演じることが多かった。

2004年6月27日に全国有数のねぎの産地でもある茨城県坂東市(当時の岩井市)からねぎ大使に任命される。

2005年1月24日、吉本の後輩で新聞詠み(しんもんよみ)河内音頭家元の河内家菊水丸と共に、東京渋谷NHK放送センター前の路上でゲリラライブを行い、海老沢勝二NHK会長(当時)を痛烈に批判する『怒りの河内音頭』を披露した。

[編集] 人物

  • 若い頃は場の空気をうまく読めずに自滅してしまうことが多く、芸人仲間やファンを泣かせた。横山やすしがそうであったように、芸人としてのキャラクターがそのまま本人の性格と誤解されがちだが、ラジオレギュラー番組『MBSヤングタウン』の相談コーナー(「のりおの人生大船任せなさい!」)などでみせる人柄に魅かれたファンは多い。
  • 近年の上島竜兵竹山隆範インパルス堤下敦青木さやか長州小力らがやるキレ芸の元祖的存在ともされる。「キレる」という言葉自体が、のりおの芸風(脳の血管が切れたかのように、突然言動が一変する)から生まれた言葉だとする説もある。
  • 『オレたちひょうきん族』では、彼のキレ芸がエスカレートし過ぎて収録中にしばしば股間を出していたが、当時の『フライデー』にその写真が掲載されて、以降はそのような行為を控えるようになった。その反面「俺はこんな形でしか笑いが取れないのか」と情けなさと悔しさで涙を流したこともあったという。
  • 若手に説教することが多く、売れている後輩芸人には影で苦言を呈すが、その芸人の冠番組にゲスト出演した際にはそれを出さずに接している。芸人とはかくあるべき、のような理想論をかかげていて、「テレビにしか出ない芸人はあかん、舞台に出ないかん、でないと絶対に潰れる」などと言うことがある。この点については、「テレビにしか出ない芸人」の多くが舞台では力を抑えた芸しか披露できないことも多いことが昭和40年代あたりから指摘があるなどしているが、のりおは伝統的な様式を踏襲している。『EXテレビ大阪』の企画『弟子志願公開審査』でも、いつもののりおと違い非常に厳しい眼で志願者に辛口のコメントを送っている(「僕に就いた所でね、教えられることはそないあらへんで」)ことにも、説得力はあるとされる。
  • 漫才に対する辛辣な意見は、かつて御意見番として出演していた『オールザッツ漫才』で披露され、当時司会だった今田耕司東野幸治の巧みな誘導と会場の芸人によるのりおコールの煽りでみせるキレ芸と合わせて番組に欠かせない存在であった。
  • 声優としても、テレビアニメじゃりン子チエ』の竹本テツの声で知られている。理論の人として知られる高畑勲の演出作品にもかかわらずのりおはアドリブを多用。このアドリブがキャラクターの魅力を高めることになり、その面白さに当初予定されていた作画が変更になるほどであった。
  • ティム・バートン監督のホラー・コメディ『ビートルジュース』の主人公ビートルジュースの吹き替えでも収録時に「全部アドリブで」と指示が出て、試行錯誤の末のりお本人の持ちネタを含む80%(本人談)がアドリブとなった。出来上がった吹き替え版はビデオ/DVDで観ることが出来る。「オリジナルと違う」という批判があるのも事実だが、通常の吹き替え版ではなかなか聞かれないほどテンションの高い仕上がりとなっている。
  • またエッセイストとして、亡きの思いを綴った『オトンとオカン』を、また、門下時代の思い出を綴った『付き人』を執筆。
  • 節約家であるとされるが、お金を全く使いたがらないのではなく、無駄金を使いたがらないタイプと言える(「後輩を喫茶店に誘ってコーヒーを奢るのではなく、缶コーヒーをみんなに奢れば1人120円で済む」と、あるテレビ番組で本人が語っていた)。これには幼少期に経験した困窮が影響している。
  • 西川きよしの参議院議員引退前後、日刊スポーツなどのスポーツ新聞で「後継者として出馬したい」と発言していた。ただし、「すぐではなく、6年以上じっくり政治の勉強をしてから」ということで、出馬は2010年以降ということになる。しかし現在のところ、のりお自身による政治に関するコメントは多くない。
  • めちゃイケ』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演した際、あまりのハイテンション振りと物や道具の壊しようにナインティナイン岡村隆史から「下げろ!」と言われてしまった。そんな状況でもゲストの香取慎吾は絶賛していた。
  • 大の阪神ファンで、『おっさんの頭の線切れた 大阪・タイガース』という著書も出している。野球を見る目も確かで、2007年6月13日6月14日には、『文化放送ライオンズナイター』でゲスト解説を務めた。
  • 「俺の芸風を理解してくれるのは妻と子供とさんまちゃんだけだ」と話していた。

[編集] 弟子

[編集] 直弟子

[編集] 付き人

2人とも付き人として修業をし、芸を磨いた。

[編集] エピソード

  • 中学時代、一目ぼれした同級生の女の子に手紙を出したが「もう手紙出さんといて! 私は(北村君のことは)何とも思ってへん! 恥ずかしいねん!」と逆に手紙が届き、振られている(『いつみても波瀾万丈』出演時に明かされた)。
  • 入門の経緯は、花月劇場に客で見に来ていてやすしきよしの舞台で野次を入れたら、きよしより「後で楽屋に来い!」と言われ、そのまま楽屋を訪れて友達として接するうちに(「キー坊」呼ばわりしていたという)、そのまま入門したとのことだった。当時はきよしがボケ役だったため、素人だったのりおはきよしに魅かれて付いていった(『吉本興業商品カタログ』の本人談より)。
  • 門下時代、厳しい修行生活(当時は、横山やすしの付き人も兼ねていた)に耐え抜いたものの、当時交際していたガールフレンドとも疎遠になり、きよしの自宅での住み込み生活に限界を感じ、きよしに「家に帰らせてください!」と失言したことが原因で一度破門された。しかし、両親がきよしに必死で謝罪し破門は解かれた。もし、両親の謝罪がなかったら、芸人として活躍が出来なかったはずである(これも『いつみても波瀾万丈』出演時に明かされた)。
  • 破門された頃松竹芸能に属していた。当時横山ノックは参議院選挙に落選し漫画トリオの復活を上岡龍太郎と共に模索していたが、元相方であったフックは青芝フック・キックで地位を確立していたため呼び戻すことが出来ず、そのためのりおをメンバー入りさせ復活させる案があったが、再度ノックが選挙に出馬したため頓挫した。のりおの芸名候補には「横山アウト」に挙がっていた。のりお自身は型破りなキャラクターが松竹芸能幹部に理解されず、解雇された。同時に先述の両親によるきよしへの謝罪で破門が解かれ、吉本興業に移籍した。
  • バブル期には不動産などサイドビジネスにも懸命で、『のりおのゼニはこう貯めるんや!―1千万はすぐ手にできる』という著書を出すほどの勢いだったが、その4年後には、『オレの銭かえせ!!―バブル崩壊西川のりお大爆発』という著書を出している。
  • 1984年、「MBSヤングタウン」(以下「ヤン二チ」)のなかで「今年阪神が優勝出来なかったら角刈りにする」と宣言。番組を通じて賛同する「同志」も募集した(発端は「ヤン二チ」であったが、後日別口でなぜか吉本興業でも、新聞等を通じて同じ内容の募集をかけていた)。これは巨人ファンであった明石家さんまとも賭けていたと言われる。しかし、この年阪神は優勝を逃したため、角刈りが決定。当時レギュラー出演していた「笑っていいとも!」において、「角刈りはどうなったのか」と指摘する葉書が紹介され、いいとも青年隊の手によって頭を刈られそうになったが、その場は危うく回避。後日改めて、発端となった「ヤン二チ」の公開録音という形で「公開断髪式」を行い、角刈りになった。ところが、その断髪式の模様が流れた「ヤン二チ」において「今度(来年)は阪神が優勝したら角刈りになります!!」と宣言。そして翌年の1985年、皮肉にも阪神は21年ぶりのセントラル・リーグ優勝を果たしたどころか、日本シリーズまでも制覇。今度は喜んで公約を守ることとなった。
  • ルー大柴と芸風が似ているという理由だけで、あまり面識のないルーと『関口宏の東京フレンドパークII』で友達同士としてブッキングされ、出演している。
  • 2006年4月1日に漫才ブームを支えた仲間の松本竜助が49歳の若さで急逝。竜助の突然の訃報に、のりおの悲嘆は大きかった。3日後の4月3日大阪市北区内で行われた竜助の葬儀で、出棺の際「竜助!!これがおまえの最後の舞台やで!!おまえのためにいっぱい(弔問に)来てはるで!!」と涙ながらに絶叫した。また、竜助はのりお・よしおの漫才を好み、客が全然笑っていなくても、竜助一人は舞台袖で大笑いしていたという。

[編集] ギャグ

  • オーメン!
  • ホーホケキョ!
THE MANZAI』に、のりお・よしおで初出演した際に披露した、いわば出世ギャグである。ガラガラ声のままでこのフレーズを繰り出すのが最大の特徴である(主として「僕小さいころはね、『ウグイス坊や』って呼ばれてたんですわ」といった前振りのあとに)。
この『THE MANZAI』初出演のとき、実は放送で流れたネタの前に、一旦別のネタで収録を終えていたのだが、そのなかで「ファイト!一発!」というフレーズを使ったため、火曜ワイドスペシャル枠の提供スポンサーを考慮して没にされてしまった。ネタの録り直しを余儀なくされたことで、苦し紛れに捻出したのが、このギャグだったという(「MBSヤングタウン」での本人談)。
  • ツクツクボーシ!
  • パッ!天下ご免の向こう傷、パッ!拙者早乙女、パッ!主水之介!!
  • ばかぁー。(フラワーダンサーズの中央で)
  • ツッタカター!(ツッタカ坊や)
  • ラッタッター!
  • 奥さん、1度使ってみませんか?
  • 奥さん、見なはれ見なはれ(体の一部分を指差しながら。「えぇ仕事しまっせぇ」と付け加えることもある)
  • 奥さん、ええ仕事しまっせ
  • のりおちゃん、ポーン!
  • ぼん、ぼんじゃございやせんか!
  • 冗談は よせっ!
  • 大きなお世話やー!
  • とてもとても
  • ピカチュー
  • ありがとうごぜぇますだ
  • まかせなさい!
元々、若井ぼん・はやとのぼんが使い始めたギャグ。ただし、のりおだけではなく、横山やすし笑福亭鶴光など、当時の上方芸人は好んでこのギャグを用いていた。盗作ではなく、いわば競作である(のりおが高血圧で倒れた時、ぼん・はやとが見つけ救助した。のりおは「ぼん・はやとの兄さんは命の恩人ですねん」と語っている)。
  • ビックリ、クリ、クリ、クリッ、クリー
元々、後輩芸人浜根隆の持ちネタ。『ライオンのごきげんよう』に出演した際、唐突に使用。のりおの目論見ではスタジオは引いてしまうはずで、そこで「面白くないでしょ、これ吉本の浜根って芸人のギャグなんですわ」と言って話を膨らますつもりであった。が、司会の小堺一機が大ウケ、すかさず「のりおさん、それ新しいギャグですか?」と畳み掛けられたため、引っ込みがつかなくなり思わず「はい」と答えてしまったもの。オンエア後、浜根に謝罪したところ「どんな形にせよ、自分のギャグが世に出るのは嬉しい」と使用を快諾してくれたので、しばらく継続して使用していた。浜根も2002年、このギャグでCM出演を果たしている(チロル栗チョコ)。

[編集] 出演番組

[編集] 現在の出演番組

[編集] 主な過去の出演番組

[編集] アニメ

  • じゃりン子チエ(竹本テツ)
    • じゃりン子チエ 劇場版(竹本テツ)
    • チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ(竹本テツ)

[編集] CM

映像のかわいいキャラクターとのギャップのある歌声で話題になった。[1]

[編集] 主な著書

  • オカン(第20回読売ヒューマンドキュメンタリー大賞優秀賞、第29回秋田実賞を受賞したエッセイ)
2000年9月3日、讀賣テレビ放送(関西ローカル)でテレビドラマ化。主演は天童よしみ。21.6%(ビデオリサーチ調べ)という高視聴率を記録した。
  • オトンとオカン

[編集] 関連人物・項目

最終更新 2009年11月14日 (土) 08:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【西川のりお】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!