西川将人

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西川将人(にしかわ まさひと、1968年11月7日 - )は、旭川市長。

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[編集] 概要

北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校北海道大学工学部卒業後、日本航空に入社。アメリカカリフォルニア州ナパで2年間航空訓練を受け、副操縦士として主に欧州路線に乗務。その後、自由党が主催する政治家公募(Lカデット)の公募に応じ合格したため、日航を退職し、旭川を拠点に政治活動に入る。2000年総選挙に自由党公認で初出馬。保守票を食う健闘を見せるが、落選。続く2001年参院選に自由党公認で出馬。小泉旋風が吹き荒れる中、予想以上の得票を挙げる。2003年総選挙では、民主・自由合併を受け、現職優先公認のため公認漏れ。北海道11区や12区への鞍替えの話もあったが、旭川・上川のために働きたいと固辞、無所属出馬、落選。その後、小沢一郎の後を追い民主党へ入党。2004年の参議院選挙で、北海道選挙区の議席独占を狙い民主党公認で立候補。組織票もなく、出馬表明も遅れたため、「犠牲フライ候補」と当初言われていたが、自転車を駆使した街頭アピール、札幌駅前での9時間一人マラソン演説、選挙事務所の24時間ウェブカメラ中継などで話題を提供し、現職にあと一歩のところまで迫る。2005年の総選挙では北海道6区の民主党現職・佐々木秀典の引退に伴い、西川への後継指名が予想されたが、後継には士別市選出の道議会議員の佐々木隆博が選出されたため、自身は比例ブロックから出馬し、佐々木の当選に汗をかいた。

2006年、民主党を離党し旭川市長選挙に出馬。労働組合などの勢力が強い当地では、小沢一郎に近いといわれる西川の出馬でいわゆる「小沢アレルギー」が憂慮されていたが、地元選出で自社さ連立政権において内閣官房長官建設大臣を歴任した元代議士・元旭川市長であった五十嵐広三の尽力もあって当地の民主党支持層を固めることに成功。対する保守勢力の分裂という「敵失」もあいまって新人5人による大激戦を制し当選。旭川市長の座を28年ぶりに自由民主党から奪還した。市長就任時は38歳で、北海道内では最も若い首長であり、中核市では当選当時最年少であった。

[編集] 人物

  • 中学時代はスキー部、高校時代はレスリング部、大学時代はヨット部と数多くのスポーツを経験している。
  • 既婚。市長公邸がないため、市内のマンションで暮らしている。
  • 小沢一郎を師と仰ぐ。小沢一郎政治塾6期生。小沢塾からは初の首長となる。
  • 北大ヨット部では主将を務めた。
  • 拉致問題についても熱心に取り組んでいる。北大時代、小樽市祝津でヨットの合宿中に、麻袋を持った外国語を話す複数の男に突然追いかけられ、拉致されかけるという経験を持っている。
  • 子供から夢は「政治家」「パイロット」「自衛官」と公言していたが、防大合格(進学はせず)、日航パイロット、旭川市長といずれもその夢を果たしている。
  • 左利き。

[編集] 関連項目

  • 五十嵐広三 - 1963年から1975年まで旭川市長を務めた。市長選挙初当選時の年齢は西川と同じ37歳であった。

[編集] 外部リンク

先代:
菅原功一
旭川市長
2006 -
次代:
-

最終更新 2009年12月4日 (金) 10:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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