西川貴教のオールナイトニッポン

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西川貴教のオールナイトニッポン(にしかわたかのりのオールナイトニッポン)はニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン西川貴教パーソナリティを担当したラジオ番組

西川貴教のオールナイトニッポン
ジャンル オールナイトニッポン
放送方式 生放送
放送期間 1996年5月、1997年1月~2005年9月、2006年1月
放送時間 120分
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ 西川貴教
  

目次

[編集] 概要

西川が担当を開始したのは1997年1月6日、月曜2部(27:00-29:00)であった。西川はニッポン放送有楽町旧社屋で最後の担当開始だった。その前にも一度、1996年5月11日に代打でスペシャルパーソナリティを務めたことがある。 西川か林原めぐみ、どちらかをパーソナリティーにすることになっていた。(オールナイトニッポンアゲインにて) ちなみに林原めぐみは、2002年10月に放送された「西川ANNS・秋のアニメ祭り」で池田秀一石田彰と共にゲスト出演し、西川と軽快なトークを繰り広げた。

その後、1997年10月4日より金曜25:00-29:00へ移動(昇格)した。この時の番組名は『T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン Music Revolution』(ミュージックレボリューション)であった。『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』以来の4時間通しての担当であり、期待されての昇格とも言える(金曜担当に限定してで言えば、つボイノリオが1977〜1978年に4時間通しの担当を務めて以来、実に20年ぶりという快挙であった)。

1998年4月からは時間短縮され、金曜1部のみとなった(副題のMusic Revolution取れる)。

1999年4月2日からはLF+R開始に伴い時間移動で『西川貴教のallnightnippon SUPER!』(火曜22:00-24:00)を担当。SUPER!時代のエンディングテーマはSPARKS GO GO(たまにパフィーバージョンも使用されていた)の『ルーシーはムーンフェイス』(セルフカバーアルバム「NEW OLD STOCK」でのバージョンを使用。2005年3月21日放送より再びエンディングテーマに)。

また、過去には『T.M.Revolution西川貴教の〜』という名称だったが、T.M.Revolutionという表記が揺れた1999年3月頃、変更された。その後、2000年春のT.M.Revolutionとしての活動再開後、『T.M.Revolution西川貴教の〜』に戻ったものの、2001年頭に本人の希望により再び「西川貴教の〜」になった。

2001年には福山雅治とともに『福山雅治・西川貴教のallnightnippon TV』としてテレビ番組としてフジテレビで放送されたことがある。その時のナレーションを担当していたのは元ニッポン放送アナウンサーの荘口彰久であった。

2001年9月11日、番組放送開始前後に米国同時多発テロが起こり、番組進行をしながらその様子が刻々と伝えられた。これは異例のことであり、通常は別のスタジオにいるアナウンサーが「報道特別番組」として放送中の番組を中止させて放送されるが、西川のパーソナリティーとしての能力を買い、そのまま西川貴教のallnightnippon SUPER!として放送させた。

2002年4月9日の、児玉清をゲストに迎えた放送は日本民間放送連盟賞(ギャラクシー賞)を受賞した。

2003年3月28日からはLF+R終了に伴い月曜深夜25:00~27:00に時間移動。構成の石川昭人らそれまでのスタッフの大部分が降板し、内容を大幅にリニューアルした。このことから、石川らが復帰するまでの期間は「暗黒期」と称されている。しかし、2005年3月21日の放送からは、石川ら主要スタッフが復帰し、番組内容もほぼ元に戻った形となった。

しかし、2005年9月26日に最終回が放送され、番組は終了した。最終回では聴取者を抽選でスタジオ見学に招待し、泣きながら提供クレジットの後にはネット局36局をすべて読み上げた。そして、放送中のメール数は、1万通以上にもなった。

8年9ヶ月間という期間は「ナインティナインのオールナイトニッポン」(現在も放送中・15年7ヶ月)、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(11年9ヶ月)、「松任谷由実のオールナイトニッポン」(11年)に次ぐ長寿であった。

後番組は『春風亭昇太のオールナイトニッポン』で、2005年10月3日に放送開始したが、初回放送から録音ということで西川ANNファンの怒りを買い、さらに番組自体が不評のため、リスナーは「なんでこんな奴なんか起用したんだ、西川を復活させろ!」という抗議の電話がほぼ毎週、殺到した。掲示板にも批評をさんざん書かれた。

番組が終わった後も番組ホームページがニッポン放送のアクセスランキングのトップ3に入ったり、リスナーから連日約1000通のメールが相次ぎ、2006年1月1日の25:00より番組が一夜限りの復活を果たした。以後も、完全復活を望む声は一番多い。

公式ホームページは、元スタッフにより更新され続けていたが、現在は閉鎖されている。

[編集] 番組の流れ

(月曜日、25:00-27:00)

オープニングトーク
主に、先週あった出来事や時事ネタなどを話す。タイトルコールは、番組開始5-10分後にする。
ハガキコーナー
1コーナーだいたい10-15分くらいで、25:20-26:30の間に3-5つほど行う。
西川からのお知らへ
通常26:30以降に行う。
エンディング
通常26:50頃から、ちょっとしたトークを交えて番組終了へ。起き抜けテレフォンを行う場合もある。

[編集] 番組の特徴

  • 西川貴教自身は、女性の人気が高いミュージシャンであるが、番組の内容は男性向きで、下ネタやおふざけ企画が頻繁に現れる(これは少年期にオールナイト」を初めとするつボイノリオ・笑福亭鶴光の担当ラジオ番組を好んで聞いていたことが影響しており、西川自身も特につボイについては「ラジオパーソナリティーとしての師匠のような存在」として崇拝している[1])。また、この番組で構想していた「男だけのライブ(野郎ライブ)」は、実際に実現しており、現在も引き続き年一回開催されている。
  • 様々な媒体と提携して多くの企画が開催された。これらには「青春女神伝説チェンジ・ザ・BanBanBan」「ミスリスナーズコンテスト」「OPPO JAM 2005」などがある。
  • リスナーとの関係が非常に良く、最終回ではリスナー向けのスタジオ見学を企画し、ハガキで応募して抽選で選ばれた300人を招待した。さらにハガキ職人とはまさに相思相愛といってもいいほどで、ネタコーナーのみならず前述の企画などに積極的に参加させ、ネタコーナーで読まれた際に与えられるポイントを競う「ハガキ職人レース」の入賞者には、ハガキと、スタジオ見学権が与えられる事もあった(企画に関係なく見学に訪れる事も多かった)。番組終了後も西川のファンクラブのSNSを通じ交流は続き、2007年4月に西川公認の職人によるポッドキャスト番組(ダメ人間・ボーイズ・スクール)が開始された。
  • 基本的には生放送だが、ライブなどで日程の都合が合わない場合、録音で放送された事もある。その際、放送中「ロックオン」(=録音)と言ったり、「外はとても明るいね。夕日が綺麗だね。何でかって?今日の放送は録音だからだよ」などと会話中発言し、リスナーにそれとなく伝えていた。
  • 番組冒頭のトークで、よく時事ネタや阪神ファンであるためか、阪神タイガースの事について話す。一度、「阪神が144勝(ペナントレース+日本シリーズ)するには、どうすればいいのかな?」とタイトルコール前に話していた。
  • ニッポン放送の社内の裏話を話す事があり、番組を最も長く担当した三宅正希チーフディレクターに怒られた事がある。
  • 火曜SUPER!時代には、直後に『荘口彰久のLF+RフライングNIGHT!』が、さらに続いて『加藤晴彦の@llnightnippon.com』が放送されており、両パーソナリティと仲が良かった西川は飛び入りしたり、逆にされたりしていた。また土曜日の福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオを担当していた福山雅治加藤とでトリオを組んで放送した事もあったが、酒を呑んで酔っ払うなど、暴走する事が多かった。さらには、火曜日の深夜帯に放送されていた番組のパーソナリティがすべてミュージシャンだったことから2002年の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』でグローバー土屋礼央SHOGOらとともにしぐれにを結成したこともある。
  • 他に氷室京介平山あやや『人気者でいこう!』のキャストが予告なしに突如出演するハプニングもあり、特に氷室京介が登場した際、彼を尊敬している西川は非常に緊張していた。
  • 番組には、ソニンが出演することが多い。西川いわく「ソニンちゃんは、準レギュラー」である。よく「下着の色は?」とか「何カップ?」などセクハラまがいのパンチの効いた質問をし、盛り上がっている。
  • 番組がCMに入り、スタジオを出てジュースを飲んでいる時に「知ってる?24時。」を担当していた上田晋也くりぃむしちゅー)に会い、本番10秒前まで話をして、慌てて帰って来た。
  • メールはもちろんだが、ファックスを送ってくることを切望してやまない。E-mailアドレスを告げた後に、ファックスで送ってくることを推すようなコメントをよく言う。
  • 番組中に、よくスタッフに絡む。
  • 西川が自らを「先生」と言うことがある。これは、高校時代の夢が「音楽教師」であったことが、少なからず影響している。
  • この番組において清春は、常にドーベルマンを連れている、凍った生肉をマイクスタンドとして使う、ファンを「スキンシップ」という形で殴る、ライブスタジオを血の海にしてきた男などというイメージをリスナーが持っている。もちろん、西川の嘘のためである。
  • 他の番組とは違い、コーナーのネタ選別は全て構成作家に任せている。本人曰く、「二度は読みたくない。一度目に笑う新鮮さを大事にしたい。」ため。

[編集] レイヴ

時折、レイヴ(英語で"荒れ狂う"の意、レイブ (音楽)も参照)と称される企画が目玉として行われた。リスナーには概ね好評であり、最終回や復活放送の際にも行われた。放送中なんらかの失敗をしてしまったスタッフに対し、罰ゲームの意を兼ねて行われる事も多く、放送される回の台本の表紙が(仕掛けられたスタッフのもの以外)赤かったのだが、それを見せられた時の仕掛けられたスタッフのうろたえぶりはリスナーの笑いを大いに誘った。

  • なお、作家が石川でない時期(いわゆる暗黒期)においてもアナウンサーを霊園にいかせたり、フリーになったアナウンサーのスタジオにリスナーが一斉に見学した。ゲストがらみでは土屋礼央と作家に架空の打ち合わせをさせて、スタジオから西川が無線で作家を通して質問させて、打ち合わせを終えてスタジオに来た礼央に同じ質問をした後に、その打ち合わせ時の礼央の本音トークを聞かせ、西川が追求するという企画など。)、似たようなことが行われたがこれはレイヴとは区別される。
  • 主なレイヴ
    • 深田恭子のゲストブッキングに失敗したディレクターを同人の事務所からニッポン放送までマラソンをさせる
    • 風呂でフルーチェを作る
    • 風呂の中で、そばを作る
    • リスナーの風呂を麦チョコで満たして浸からせる。
    • 放送作家の家を勝手に、ニッポン放送内の階段下のスペースに引越しさせる
    • 放送作家の家を勝手に、ハガキ職人たちに侵入させる。
    • ディレクターの家を清めるという口実で、干物を焼いたり、大量に塩をぶちまけたり、リスナーが「わかめ風呂」に入って全身、わかめだらけのままに、ベットIN!など
    • 加藤晴彦に「心霊ドッキリ」として、ハンガーを突然落としたり、晴彦のヘッドホンにだけ怪奇な声(助けて〜、殺される〜など)を流し、最後は机を下にいたADに、足を掴ませたりした。その時の晴彦の悲鳴は、番組コーナーのSEとして使われた。
    • 吉田尚記に2006年元日の復活放送では極寒の神社で「冷水」でなく、斬新に「熱湯」をかけさせた。

[編集] 放送時間

[編集] ピンチヒッター

番組開始20分前までライブをしていたため、当時お台場にあったニッポン放送LF+Rに到着までのつなぎとして

[編集] 番組コーナー

基本ははがきのみの募集。通称「暗黒期」にはメールでのネタ募集もしていたが、メールは基本的に普通のメールだけだった。

貴重なご意見
見たり聴いたりした、と思う番組への意見を募集し、紹介するコーナー。2005年5月2日開始。西川いわく「嘘をつけと言っているようなもの」とのこと。
自己紹介
貴重なご意見で、ツカミだけが面白かったハガキを紹介するコーナー。以前は「入り口だけ面白いハガキ」というコーナーで、このコーナー自体への募集はしていなかった。2005年5月30日開始、2005年8月22日改題・募集開始。
(例)「今晩は、西川さん。私は”我、人生に一点の悔いなし”と言って死ねたらなぁ~と思う。51歳 ゲイ・ストリップバー従業員です」
踊るダメ人間日記
自分のダメな日常を日記風に送って貰い、紹介するコーナー。『Music Revolution』第1回から始まり、allnightnippon SUPER!終了とともにコーナーも終了したが、暗黒期に1度「蝶!踊るダメ人間日記」として復活し、さらに石川が戻った2005年3月21日に復活。冒頭に流れる曲は筋肉少女帯の『踊るダメ人間』。この番組を象徴するコーナーであり、2006年の復活放送時には何も募集がなくとも送ってくるように告知されている。
検索結果ZERO
検索サイトに三つのキーワードで検索結果ゼロだったものを報告するコーナー。2005年3月28日開始。しかし、妄想文章を3つに区切ったりすることもあった。ペレ、MALTA(西川と同じ9月19日が誕生日)、UA、木の実ナナ×スパッツ等がよく検索対象としてネタにされた。
(例)
  • 「木の実ナナ うまれた時から スパッツ」
  • 「MALTA 誰にでも 挨拶」
  • 「ペレ どこの ダレ?」
OPPO JAM 2005
2005年5月16日開始のオーディション企画。2005年8月に行われるライブに出演するミュージシャンを一般募集しリスナーが審査する。2005年8月14日ニッポン放送イマジンスタジオで開催されたライブイベントに、人気投票で選ばれたAppreciate、MOTOR MUSTANG、Scat&Logyの3組が出演、2005年9月19日には出演3組のライブ音源と西川のコメントを収録したライブ盤ミニアルバムポニーキャニオンから発売され、2005年9月30日にはCD発売を記念した特別番組、『オールナイトニッポンR スペシャルナイト』が放送。詳細
Dr.西川の行列のできる健康相談所
リスナーがかかったとされる、新たな病名を報告する。コーナーの最中に流れる曲には、白い巨塔のエンディングテーマの「アメイシング・グレイス」が使われた。2005年9月12日に開始したが、番組自体が同年9月で終了のため、短命に終わった。
(例)「毎日、保険証のコピーを取る病」
偽ガンダムDESTINY
機動戦士ガンダムSEED DESTINYの放送を記念したコーナー。コーナーのテーマ曲は『ignited -イグナイテッド-』。同様のコーナーとして偽ガンダム、偽スパイダーマン(『スパイダーマン2』)などもあった。
(例)
  • 「偽ガンダムは、常にジャージとサンダルでコンビニに行く」
  • 「偽ガンダムは、取り扱い説明書があって、広辞苑くらいの厚さで読む気がしない」
  • 「偽ガンダムは、後退するときに『バックします』とロボットボイスで教えてくれる」
来週のあぶない刑事
あぶない刑事の次回予告風に、タカとユージの絡みと漢字二文字でオチを付けるコーナー。
起き抜けテレフォン
リスナー宅に電話をかけた西川が、Dr.スランプのアラレちゃん風に「んちゃ!」と言い、リスナーが「えへ」と返すことで番組を聴いているかどうか確認する。「へけ」と返した珍・リスナーもいた。『Music Revolution』第1回(2部・当時は28:45ごろ)から続くコーナーで、allnightnippon SUPER!終了と同時にコーナーも終了したが、2005年3月21日に復活。「allnightnippon SUPER!」時は23:45ごろ、オールナイトニッポンでは26:45ごろとなっている。
携帯電話が普及していなかった頃は自宅電話へかける事が多く、リスナー本人が出ればいいのだが、時々その親などが出てくることがあり、西川はその時ばかりは「T.M.Revolutionの西川と申しますが…」と平身低頭である。さらに続けて説教を受ける事などもあり、その後はしばらくテンションの下がった放送になる。リスナーの書いた電話番号が間違っていたことがあり、その番号に電話した西川がてんぱることもあった。さらには、リスナーの本名・住所を公開したり、リスナーの電話番号を公開しかけようとしたこともある。
家電(自宅電話)の番号に電話するとなると、上記のように様々な事があったために「出るなら、早く出ろよ」、「怒られるのヤダ」、「家電しなくない」、「今日は、起き抜け・・・止めよ?」と言いつつ電話していた。逆に携帯電話の番号だと、電話前から「やった!怒られないぞ!」とテンションを上げていた。
夏休みには夏休みだよ! 起き抜けテレフォンが、復活放送の際にはお正月だよ! 明けおめテレフォンが放送された。どちらも特に内容に変更はなかったが、後者は本人曰く「ラジオ界初の斬新なコーナーで、内容を理解するのに時間がかかった」との事である。
電話番号を押している時には「ふん、ふん、うん、ふん」とリダイヤルする時のような音を口ずさむ。
西川からのお知らへ
告知コーナー。T.M.Revolutionの活動をスタッフが“親切に”まとめた、LIVEやツアーのタイトルが変わっていたり、ありもしないことが書かれていたりするメモを読み上げ、最終的に「そんなに知りたきゃ、ホームページを見ろ!!」と突き放す。コーナー開始時のジングルは法螺(ホラ)を吹く音である。
「お知らへ」の後は、主にリリース予定か、絶賛発売中のT.M.Revolutionの曲を流し、CMに入る。
「T.M.Revolution・キティーちゃん」が販売されていた時には、販売店舗数や品薄の問題で、番組にクレームが来たためか「トラブル、嫌い」、「クレームを番組に送らないで」など悲痛な呼びかけをしていた。

[編集] 放送期間中に終了したコーナー

さまざまなアーティストのライブに行ったつもりで架空のレポートをでっち上げるコーナー。
オーディション系コーナー
  1. 第2のT.M.Rを探せ!T.M.Revolution Jr.オーディション(1997年)
  2. 全国童貞&彼女オーディション(1999年4月〜6月)
  3. ミスリスナーズコンテスト(2002年8月〜2003年1月)
  4. 青春女神伝説!! チェンジ・ザBan!Ban!Ban!(2004年)
  5. 全日本放送部選手権(2005年1月31日〜3月7日)
  6. 全国女子アナ選手権(2005年1月24日〜3月7日)
    このコーナーの1回目の電話ゲストはCBCラジオの小高直子アナ。彼女の存在は「いちまつ模様」を「いちもつ模様」と読み間違えたり、「(性交渉が)終わった後の一服はうまい」などの強烈な発言などで数々の"伝説"を残す名物女子アナとして永六輔らを通じて東京の各キー局でもよく知られるところであり、その噂を耳にした西川直々の希望で彼女が1回目のゲストとして登場することになったとされている。小高は、西川がラジオパーソナリティーの師と崇めるつボイノリオが担当している『つボイノリオの聞けば聞くほど』のアシスタントでもある。
  7. OPPO JAM 2005(2005年5月〜9月)

T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン Music Revolution#コーナー」および「西川貴教のallnightnippon SUPER!#コーナー」も参照

[編集] スタッフ

[編集] 主なハガキ職人

  • 北海道苫小牧市・シルエイティ
  • 東京都世田谷区(埼玉県久喜市)・サービスカード高柳@
  • 千葉市中央区・伊藤信之
  • 千葉県市川市・エビスマン*
  • 千葉県市川市・楽屋ニュース@*
  • 千葉県柏市・天野裕信*
  • 横浜市緑区・シーブックたけのり*
  • 神奈川県座間市・シオンJr@*
  • 大阪市都島区・ムカイ*
  • 大阪市淀川区・ウノT@
  • 大分県津久見市・スティックのり*

この番組がきっかけにしてハガキ職人の有志(*)の一部が、インターネットラジオ「ダメ人間・ボーイズ・スクール」をはじめている。 @の職人は現在放送作家となっている。

[編集] 脚注

  1. ^ 一般には名古屋を拠点に活動しているつボイだが、1980年代にはKBS京都を拠点に関西でもパーソナリティーとしての活動を活発に行っていたため、西川とほぼ同世代の関西出身者にも広くその名が知れ渡っている

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

月曜2部
園田利隆 T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン
月曜 27:00 - 29:00
西川貴教
つぶやきシロー
金曜1・2部
平野友康(1部)
NOB(2部)
T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン Music Revolution
金曜 25:00 - 29:00
西川貴教
西川貴教(1部)
hide(2部)
金曜1部
西川貴教 T.M.Revolution西川貴教のオールナイトニッポン
金曜 25:00 - 27:00
西川貴教
LOVE&SEX SILVA/松本孝弘/トライセラトップス
allnightnippon SUPER!
井手功二
(ゲルゲットショッキングセンター)
西川貴教のallnightnippon SUPER!
火曜 22:00 - 24:00
西川貴教
木下明水
(オールナイトニッポンいいネ!)
月曜1部
Gackt 西川貴教のオールナイトニッポン
月曜 25:00 - 27:00
西川貴教
春風亭昇太
1997年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 福山雅治
火曜 松村邦洋
水曜 つんく イマヤス
木曜 ナインティナイン
金曜 KYOYA 平野友康 西川貴教
土曜 松任谷由実
2005年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 西川貴教 春風亭昇太
火曜 土屋礼央 くりぃむしちゅー
水曜 ビビる大木 松浦亜弥
木曜 ナインティナイン
金曜 笹川美和 本谷有希子
土曜 SHOGO

最終更新 2009年11月22日 (日) 01:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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