西新
西新の最新ニュースをまとめて検索!
西新(にしじん)は福岡県福岡市早良区にある地名。前身は早良郡西新町。
目次 |
[編集] 概要
早良区内においては最大の繁華街である。早良区役所や早良警察署がある隣の藤崎とともに、福岡市の西の副都心を形成する。鉄道の最寄り駅は、福岡市地下鉄空港線の西新駅である。主要道路として明治通り・早良街道・城南線の3本が通っている。
地元での西新地区としての認識は、行政区分の西新の町名から拡大され、概ね福岡市立西新小学校校区(西新・城西・曙など)及び福岡市立高取小学校校区(高取・祖原・昭代など)に及ぶ。
[編集] 施設
西新地区の施設には商店街やスーパー(ダイエー)、家電量販店(ベスト電器)、デパート(プラリバ)、ドン・キホーテ、飲食店、パチンコ店などがあり、西新商店街を中心に多くの人が行き交っている。
- 旧西新岩田屋
- 西南学院大学
- 福岡県立修猷館高等学校
- 西南学院中学校・高等学校
- 福岡市立西新小学校
- 福岡市立高取小学校
- 福岡銀行西新町支店
- 西日本シティ銀行西新町支店
- 福岡中央銀行西新支店
- 筑邦銀行西新町支店
- 佐賀銀行西新町支店
- 親和銀行西新支店
[編集] 西新商店街
西新地区には唐津街道にそって商店街が形成されている。東から順におおむね以下の位置にある。
- オレンジ通り商店街 - 今川橋から城南線まで
- 西新中央商店街 - 城南線から早良街道まで
- 中西商店街 - 早良街道から高取との町界まで
また、中西商店街から西へと高取商店街が続き、高取商店街のさらに西には藤崎商店街が藤崎駅まで続き、今川橋から藤崎駅までの約1.4kmの東西に長い商店街が形成されている。
様々な飲食店や商店で賑わう西新商店街の特徴の1つとして、リヤカー部隊の露店がある。この露店は、福岡市近郊で採れた新鮮な魚介類や野菜を、歩行者天国となった商店街の真ん中で売っている。市内でも珍しい商店街である。
[編集] 学生街
西新周辺には福岡県立修猷館高等学校や西南学院中学校・高等学校、西南学院大学などがあり、また学習塾も多く存在する。学生が多いためカラオケやボウリング、ゲームセンター、ビリヤード場など遊戯施設が整っているため昼夜問わず若年層が多く行き交う。また福岡市総合図書館や福岡市博物館があるシーサイドももち地区からも近いことによって、西新周辺以外の学生の往来も多い。地下鉄西新駅のシンボルマークは地名のイニシャル「N」を鉛筆とペンで図案化したものになっている。
[編集] 住宅街
西新は、上記の通り文教地区であることや利便性・住環境の良さから、マスコミや不動産会社による「福岡市で住みたい街」ランキングなどでたびたび上位に入るほど住む街としても非常に人気が高い。公務員官舎や転勤族向けの賃貸マンションも集中しており、「転勤族の街」とも呼ばれる。
西新周辺の公立の小中学校が、福岡市内の他の小中学校に比べて生徒の学力が平均的に高く、教育環境も良いとの評判から、近年における都心回帰の傾向と相まって、西新周辺の小中学校に我が子を入学させたいと願って転入してくるファミリー層が増えており、こうした人々は地元で「ニシジニスト」と呼ばれる。このような事情から西新小学校では入学から卒業まで在籍する児童が3分の1以下という極めて特殊な状況に置かれている。
[編集] サザエさん発祥の地
西新6丁目の磯の広場に「サザエさん発案の地」の陶板が設置されている。これは同漫画の原作者長谷川町子が東京から疎開していた1944年から1946年まで現在の西新3丁目に住んでおり、百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案したことに由来する。当時は西新北側のシーサイドももち地区が埋め立てられていなかったため、西新のすぐそばに海岸線があった。
[編集] 歴史
「西新」とは江戸時代、現在の中央区今川付近が「西町」と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来する。これがいつしか逆転して「西新」になった。
1666年(寛文6年)、紅葉八幡宮が福岡藩第3代藩主黒田光之によって樋井川西岸の唐津街道沿いに移されたため門前町として人家が並ぶようになる。1694年(元禄7年)には藩によって下級藩士の宅地が造成される。頭山満の生家も西新であった。1872年(明治5年)の区画制施行では城下町福岡と同じ第1大区となるも、市制・町村制施行(1889年)の際に麁原(そはら)村と合併して早良郡西新町となる。
1891-92年頃より西新炭鉱の採掘が始まるも振るわず1900年に閉山。採掘は麁原炭鉱や鳥飼炭鉱に移った。同じ頃、1900年に修猷館が、1918年に西南学院が移転し文教地区の性格を帯びる。
1910年には西新町内に電車駅が開業。1925年には西新町駅も開業。それに伴い商業地区としても活気づく。
1922年11年4月に福岡市へ編入。
1945年の福岡大空襲ではさほど被害を受けず、戦後は住宅が激増した。
[編集] 交通
[編集] 関連項目
|
|||||||||||||||||||||||

