西武大宮線

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西武大宮線
当時の川越電気鉄道(上小町附近)
当時の川越電気鉄道(上小町附近)
路線総延長 12.8 km
軌間 1372 mm
電圧 600 V 架空電車線方式 (直流)
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0.0 川越久保町
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0.2 成田山前
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2.4 二ノ関
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2.9 沼端
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4.0 黒須
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荒川
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5.1 芝地
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6.4 高木
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7.3 西遊馬
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8.8 五味貝戸
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9.7 内野
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10.9 並木
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11.2 種鶏場前
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12.1 大成
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12.5 工場前
uexKBFe + HUB81
uexKBFe + HUB81
uexKBFe
12.8 大宮
HUB26
大宮
STRq
BHFq + HUB26
BHFq + HUB26
BHFq
STRq
省線東北本線
KBHFl + HUB83
KBHFl + HUB83
KBHFl
STRlg
総武鉄道 (II)

大宮線(おおみやせん)は、埼玉県川越市旧市街にあたる川越久保町駅と大宮市(現:さいたま市大宮区)の大宮駅とを結んでいた鉄道路線である。

大宮線を運営していた西武鉄道の前身、川越馬車鉄道(川越電気鉄道)は入間郡川越町内(現川越市)に埼玉県下で初めて電灯を灯した電気事業者でもある。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 沿革

川越馬車鉄道(旧西武大宮線)は、1902年(明治35年)5月9日に第八十五銀行取締役の綾部利右衛門らの発起によって設立され、同日に開業した。設立時における役員構成は、取締役5名のうち社長の綾部をはじめ3名が川越町の商人であり、川越馬車鉄道は川越商人主導で経営されていた。

これにつづいて、綾部ら川越馬車鉄道の設立にかかわった川越商人たちは電気供給事業へ進出を目論見、資本金125,000円で川越電灯の設立を計画した。ただし、川越電灯の仮定款附則第58条の項目に「本社ハ川越馬車鉄道株式会社総会ニ於テ合併ノ決議ニ基キ、成立ノ上同会社ト合併シ川越大宮間ヲ電気鉄道株式会社ニ動力変更改設スル事」としていたように、設立当初から川越馬車鉄道との合併が予定されていた。実際に川越電灯は、明治36年(1903年)9月8日に設立されたあと、1903年9月26日に開催された川越馬車鉄道の臨時株主総会での合併決議を受け、同年10月21日に川越馬車鉄道と合併した。このように、別会社の設立による資金調達という方法で、綾部らは馬車鉄道の電化と電灯供給事業への進出を果たした。川越馬車鉄道の資本金は25万円となり、1903年(明治36年)12月には社名を川越電気鉄道と改称、翌1904年3月に電気鉄道の許可を得た。

こうして成立した川越電気鉄道は、1904年(明治37年)に入間郡川越町堅久保に常磐炭田石炭を燃料とする埼玉県下初の100kW出力の発電機2基による川越火力発電所(出力260kW)を建設、直流200ボルト送電を開始し、翌年1月から川越町内431戸での電灯供給を開始した。

一方、川越-大宮間の電気鉄道は、1904年3月に営業許可を受け、1906年4月に開業した。これに伴い、1906年(明治39年)10月に大宮電灯を合併し、北足立郡大宮町及び周辺(現在のさいたま市大宮区西区北区)へと配電地域を拡げた。電灯電力事業はかなりの収益を上げ、1909年(明治42年)、出力900kWの水力発電所を秩父郡矢納村神流川水系に建設して営業地域を埼玉県秩父地区や比企地区群馬県南部へも拡張することを計画した。

この計画は、浅野総一郎ら資本家を加えた別会社で事業展開することになり、1913年(大正2年)、資本金70万円で神流川水力電気が設立され、同年に社名を武蔵水力電気と改称した。同年7月に川越電気鉄道から50kWを受電して武蔵水力電気は開業し、水力発電所の完成を受けて翌年12月に川越電気鉄道と武蔵水力電気は合併した。1922年(大正11年)6月、武蔵水力電気の電灯電力事業は帝国電灯に合併され、鉄軌道事業は武蔵鉄道に分離され(旧)西武鉄道に改称した。帝国電灯の電灯電力事業は現在では東京電力に統合されている。

最初の路線の開業の直前に社名を川越馬車鉄道から川越電気鉄道に変更していることから分かるように、馬車鉄道ではなく電気軌道(路面電車)で開業を果たした。電気鉄道の軌間に1372mmの馬車軌が採用されたのは東京市電に見習ったためだとされている。そのため車両は東京市電から払い下げられた車両を使用した。周囲の住民からはチンチン電車の愛称で呼ばれていた。

多くの区間は道路上に敷設される併用軌道で、川越久保町-大宮駅間を約45分で結んでいた。川越久保町駅から荒川河川敷付近(現在の荒川は蛇行部分をその後の河川改修で直線化されており、当時とはかなり違う)までは、一部を除き廃線跡は道路としてもあまり残っていない。一方、旧大宮市内は現在の埼玉県県道2号線と並行し、県道2号線と路線開通後に作られた国道17号線との交差点(桜木町交差点)からは大宮駅までを直線で結んでいた。荒川以東の路線跡は一部を除き現在でもほぼ道路として残っている。

1940年(昭和15年)に省線川越線が開業し、川越 - 大宮間を約29分で結ぶようになったことで西武大宮線は乗客が激減し、翌年に廃線となった。廃線後の2006年現在、西武バスの路線バスが本川越駅 - 川越グリーンパーク間、川越グリーンパーク - 大宮駅西口間で運行されている。

[編集] 年表

  • 1902年(明治35年)5月9日 川越馬車鉄道設立。
  • 1903年(明治36年)10月21日 川越馬車鉄道が川越電灯を合併
  • 1903年(明治36年)12月23日 川越馬車鉄道が川越電気鉄道に改称
  • 1904年(明治37年)12月31日 入間郡川越町内に川越電気鉄道が電灯事業を開始。埼玉県内では営利事業による初めての点灯
  • 1906年(明治39年)4月16日 川越久保町 - 大宮間で電車営業開始
  • 1906年(明治39年)10月 北足立郡大宮町(現さいたま市大宮区・北区・西区)への電灯配電開始
  • 1913年(大正2年) 川越電気鉄道が武蔵水電に改称
  • 1920年(大正9年)6月1日 武蔵水電が川越鉄道(現在の西武新宿線国分寺線)を合併。川越久保町 - 大宮間は川越東線となる
  • 1922年(大正11年)6月1日 武蔵水電が帝国電灯に吸収合併され、鉄軌道部門は武蔵鉄道に分離譲渡。川越久保町 - 大宮間は大宮線に改称
  • 1922年(大正11年)8月15日 武蔵鉄道が西武鉄道(旧)に改称
  • 1940年(昭和15年)7月22日 国鉄川越線大宮 - 高麗川間が開通
  • 1940年(昭和15年)12月20日 全線運転休止
  • 1941年(昭和16年)2月25日 全線廃止。バスに転換

[編集] 駅一覧

川越久保町駅(かわごえくぼまち) - 成田山前駅(なりたさんまえ) - 二ノ関駅(にのせき) - 沼端駅(ぬまばた) - 黒須駅(くろす) - 芝地駅(しばち) - 高木駅(たかぎ) - 西遊馬駅(にしあすま) - 五味貝戸駅(ごみかいど) - 内野駅(うちの) - 並木駅(なみき) - 種鶏場前駅(しゅけいじょうまえ) - 大成駅(おおなり) - 工場前駅(こうじょうまえ) - 大宮駅(おおみや)

  • 通常、路面電車は「」(「停車場」)ではなく「停留所」「電停」と呼ぶが、ここでは便宜上「駅」を使用する。
  • 川越久保町駅の跡地は、現在では川越市三久保町18番地である。線路は18番地全体で大きくループを描いており、そのループ線で折り返していた。ループの北外側に駅舎があり、ループの中央に貨物ホームと車庫があった。駅舎は昭和40年代まで取り壊されなかった様である。駅舎の場所は現在では川越市中央公民館が建っている。駅北側は現・三久保町17番地で当時は電力部門の川越火力発電所があり、現在では東京電力川越支社が建っている。
  • 大成駅は国道17号の桜木町交差点の西側の地点にあり、埼玉新都市交通伊奈線の大成駅(現・鉄道博物館駅)とは無関係である。
  • 列車交換施設は二ノ関、高木、並木の各駅にあった[1]

[編集] 接続路線

[編集] 脚注

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  1. ^ 龍神由美(小泉功監修) 『瓦版川越今昔ものかたり』その25からその36、幹書房、2003年。ISBN 4902615118

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月12日 (土) 19:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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