親子茶屋

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親子茶屋(おやこぢゃや)は古典落語の演目の一つ。上方落語の演目である。『滑稽噺』の一つで、落語によく出てくる【道楽者の若旦那】が主人公…とみせて、その裏には実に皮肉なテーマが内包されている。原話は、明和4(1767)年の笑話本『友達ばなし』中の一遍である『中の町(ちょう)』。

主な演者としては4代目桂米團治3代目桂米朝がいる。

特に3代目桂春団治の口演は有名であり、踊りの素養のある同師の美麗な高座は一つの芸術品と評価されている。

江戸落語では8代目桂文治が演じていたが、現在ではほとんど演じ手がない。


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


目次

[編集] あらすじ

 親旦那が道楽息子にお説教。

「そこにいるのは倅やないか。こっち入んなはれ。座布団あてなはれ。遠慮せんでよろし。遠慮はずい分、外でしくされ!」

「おはようさんで。」息子は反省の色もなく舐めてかかっている。

「何抜かす。それは朝早よう合うた時のあいさつじゃ。ホンマに何時やと思てんねん。もうかれこれ昼じゃ。」

「いや。朝が早いから言うたんやおまへんねん。へえ。いつもわてに小言言いなさるのはお昼頂いてからでおまんねん。せやけど、今日はいつもより早いなあ思もて、ま、おはようさんと言うた訳で。しかしまあ。一日は一遍、もう無くてはならんもんでやっさかいに、早よ初めて早よ済ました方が、お互い、気遣いないもんでおます。もう、ぼちぼちお始めになったら。」


「そら、何という言い草じゃ。・・・・わしじゃとて、毎日同じようなことばかり言いたいもんか。言いとないもんか。」

だが息子は平気なもので「へへ。わたいも同じこと聞きたいもんか。聞きとないもんか。」とやり返す。

「そら、こなたが言わすのじゃ。」

「あんたが言いなはるんです。」

「こなたという人は」

「あんたという人は。」

「掛けあいじゃがな。・・・・」

 親旦那はこれではアカンと、「そんなら聞くが、こなた毎日金持って遊びに行ってなさるがな。芸者ちゅう女子と親とどちらが大事じゃ。」と息子を問い詰めるが、息子も一筋縄ではいかない。

「はあ。・・・お父っあん。あんさん、ぼけなさったなあ。・・・・そうでっしゃないか。芸者と親がどっちが大事かやなんて。・・・あほらしい・・・そんなこと話になりまへん。」

「さ。それを聞かんならんようにしたのは誰がしたのじゃ!やはり親が大事じゃろ。」

「いいえな。女子です。」

 親旦那は呆れかえってしまう。

 さらに息子「その訳言いまひょか。女子やったらよろしいで、わてが勘当となっても『若旦那、あてがなんとかします。』わてが置き手拭もんであいつが三味線弾いて、人さんの軒下立って、チチチチチン。て歌で流して稼いで東京行く。柳橋か芳町で芸者なって稼いでくれま。そのあと年季明けたら生涯仲良く暮らす。それに比べてお父っあん。あんたどないだす。うちが火事になって全財産丸焼け。年寄り抱えてどないします。人さんの軒下で歌うにも、あんた三味線も弾けしまへん。ど不器用なお人や。火の番の太鼓一つよう叩けん。ま、こんな親持ったのも身の因果と諦めて、あんた背たろうて、行く先々から金貰ろてでんな。うまいこと東京行っても、あんたみたいなもん、柳橋や芳町どころか高津の黒焼屋も断られるわ。三文の値打もない老いぼれと水も垂れるような女子と比べるのが、頭から秤にも天秤にも・・・」とさんざん親父を愚弄する。

 ついに親旦那の怒り爆発「勘当じゃ!出ていけ!」

「おお。出ていかでかい!」

 そこへ番頭が仲裁に入り、親旦那は気分直しにお寺に法談を聞きに行けばと勧められ「番頭どん。よう言うてくだされた。頼みにするは阿弥陀さまばかりじゃ。どれ、ありがたいお話を聞いてきましょ。」と数珠を片手に表に出る。

 ところが、この親旦那、息子以上の遊び好き。数珠を懐に放り込んで難波新地の遊郭に一目散。

「ああ、いつ来ても賑やかなもんじゃ。あるかないかわからん地獄極楽をあてにするよりかは、これがこの世の極楽じゃ。・・・せやけどあいつが使うわしが使う。これではうちの身代もたまったもんやない。いっそ、あのどら息子先に死んでしまいやがったらええのに、風邪一つ引きくさらん。やれやれ、たった一人の息子見送ろと思うと、たいていのこっちゃないわい。」

 ぶつぶつぼやきながらお茶屋に上がりこんで芸者や幇間を揚げての宴会を始める。

酔い心地の親旦那は「ほたらいつものやつやろか。」


「旦那さん、いつものてなんや。」

「あの狐釣り。」

「姉ちゃん。狐釣てなに。」

「扇で目隠しして『釣ろよ』『釣ろよ』言いながら鬼ごとの真似みたいなことするねん。」

「いややの。あて、そんな古臭い遊び。」と芸者には不評なのだが、親旦那そんなことも知らず、

「さ、やろか。ア、やっつく、やっつく、やっつくな。」

「釣ろよ。釣ろよ。信太の森の狐どんを釣ろよ。」と三味線太鼓を鳴らしてどんちゃん騒ぎとなる。


 一方の若旦那。反省するどころか番頭をだまして逃げ出し、飛ぶように難波新地へ来る。「ああ、ええもんやなあ。・・・ここ来たら、親父の意見なんかどこかぽんとへ行ってまうから、おもろいな。」と言いながら「狐釣り」の遊びに目をとめる。

「あれ。珍しい遊びやってるなあ。・・・狐釣りや。ははあん。あれが客やな。あの頭の禿げ具合はうちの親父とえろう変わらんで。 粋なもんやなあ。家の親父に見習わせたいわ。ちいとは爪の垢でも煎じて飲みやがったらえねん。・・・お。この店知ってるで、前、田中と一遍来たことあるわ。・・・寄ってみたろ。」

 感心した若旦那は、一つその隠居に一緒に遊ばせてくれるよう頼んでくれと提案。女将が話を通すと先方も乗り気だ。では「親狐」「子狐」で遊ぶことにして、後でご対面と話がまとまる。

「さ、小狐あげまっせえ。一イ、二ウ、の三イ! さ、釣ろよ。釣ろよ。信太の森の子狐どんを釣ろよ。」「あ、ヤッツク、ヤッツク、ヤッツクな。」

 こうして親子は互いに何も知らないまま、「釣ろよ。釣ろよ。」と目隠しして散々遊び倒す。

疲れ果てた親父が「・・・ウ。ゴホン。ゴホン。・・・ちょ、ちょっと待っとくんなされ。いやあ、年取るとちょっと騒ぐと息切れしてどもならん。・・・一休みじゃ。これはこれはハイ、どこの御方とは存じませんが、こんな年寄りの古臭い遊び気に入って下されて一座してやろうとおっしゃる。・・・ありがとうございます。以後、これを御縁に、これからも一つお心安う。」とここで双方扇を取って見れば、何と親子同士。

 双方目が点となり、しばし呆然。


「あ・・・・お父っつぁん」

「倅!? ・・・・必ず博打をしてはいかんぞ」

[編集] 煩悩は果てず…

男の煩悩は三つあると噺家は言っている。いわゆる『三ドラ煩悩』と言う奴で、詳しく説明するとこんな内訳。

  • 『呑む』:飲酒
  • 『打つ』:博打
  • 『買う』:女郎遊び

若旦那の行く末を案じ、説教をしていたはずの親旦那が実は遊び好きだった…と言う落ちは実に皮肉な物であると同時に、男の煩悩に対する見事なアンチテーゼとなっている。

[編集] 落ちの解説

『博打はいかん』という落ちは、先に説明した【煩悩】が元となっている。

つまり、倅と鉢合わせした事により【呑む】と【買う】を見られてしまった大旦那は、説教のネタとして最後に残った【打つ】を牙城にした訳。

[編集] 概説

親旦那が道楽息子の言動を説教し息子が柳に風と受け流す形で始まる噺は、このほか「干物箱」「菊江の仏壇」「七段目」など多くあるが、この「親子茶屋」は前半部は親子の滑稽な会話、後半部は下座の伴奏「はめもの」が入るのが特徴である。後半部の大半は、演者は高座に坐りながら踊らねならず、体力と高度な技量が求められている。

「釣り狐」の文句「信太の森」とは、平安時代の陰陽師阿部清明が和泉国(現大阪府)信太(信田トモ)に生息する雌狐の子であったという俗説によるもので、歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(葛の葉の子別れ)」や上方落語「天神山」のモチーフとなっている。「釣ろよ。釣ろよ。」の歌は狂言の「釣針」に見られるが、のち歌舞伎の「釣女」、大阪のわらべ唄などに伝わっている。

親旦那の遊びは「目ん無い千鳥」とも呼ばれ、落語の「百年目」や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵・七段目」にも登場する鬼ごっこの遊びである。扇子で目隠しされた鬼が手の叩く方に向かって行き、鬼に捕まったら罰として酒を飲まされ、鬼になるというものである。


米團治代々に伝わる噺で、4代目桂米團治から現米朝へ。さらに米朝から現春團治に伝えられた。春團治は米朝とくらべ、前半部の親旦那と息子との会話を短く刈り込んでおり、その分後半の茶屋遊びに力を入れている。

3代目桂春團治演「親子茶屋」の評

「この華やかな落語。親旦那と若旦那の茶屋入りの場面の細かい演じ分けの違いや、芸者が体の左右で拍子をとりながら綺麗さ。女将が手拍子を取りながら階段を上がってゆき、途中で若旦那を引っ張り上げる場面での目線の使いや、仕ぐさの細かさ。また、その若旦那が狐釣りを踊りながら段々と階段を上がって来るシーンでの演じ方の細かさが、この作品を観客に非常に演劇的な立体感のある世界を想像させる要因となっている。」(豊田善敬著『桂春團治 はなしの世界』東方出版 1996年)

春團治は難波新地を舞台としているが、米朝は舞台を宗右衛門町として教えられた。米團治は宗右衛門町、3代目笑福亭福松2代目立花家花橘らは難波新地にしており、落語家によって異なる。米朝は若旦那の馴染は北の新地なのだが、親旦那に叱られたため気分転換で南の難波(宗右衛門町)に来て親父に出会うという理屈であると説明している。

江戸の演出は、若旦那への小言までは大阪と同じであるが、後半部が違い、親旦那が参詣の後夜桜見物をしようと、つい吉原に足を運んだのがきっかけで昔の道楽の虫が騒ぎだし、かっぽれで大騒ぎのところへ息子が来るという筋である。演目名も「夜桜」と洒落たもので、いかにも江戸情緒豊かな廓噺となっているが、東京での演者がほとんどいない。


以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] 参考文献

佐竹昭広・三田純一 編 『上方落語 下巻』 筑摩書房 1970年

最終更新 2009年10月26日 (月) 18:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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