親衛隊 (アイドル)
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アイドル歌手における親衛隊(しんえいたい)とは、アイドル歌手の熱烈なファンが集まって、私的に応援活動・身辺警護をする全国組織の名称である。1970~1980年代に多く存在した。各アイドル歌手の親衛隊が連合を組み“関東親衛隊連合”を結成、関西や九州等、全国11都道府県に連合支部を持ち、最盛期の構成員は関東だけでも約二千人と言われた。また世間的に“追っかけ”“ファンクラブ”と同じに見られがちだが、プロダクション公認ではなく任意団体である点で全く別の種類である。略して”エス”や“エータイ”と呼ばれることもあった。
目次 |
[編集] 活動内容
[編集] 警護
- ガード
- ガードとは、テレビ局やラジオ局での出待ち・入り待ちの際や、駅や空港等でカメラ小僧・一般ファンからの身辺警護を行なうものである。会場から移動の車までエスコート、危なそうなファンを問答無用で排除していた。また、主催者からの依頼により、会場入り口において入場者の手荷物をチェック、禁止行為のカメラや録音装置等の一時預かりも行い会場内を巡回、カメラ撮影していた者を発見した場合にはフイルムをその場で没収していた。活動方法をめぐり、本多芸能・清水スポーツ、また局舎警備を局から請け負っている会社の警備員等プロとのトラブルも少なくなかった。
[編集] 応援
[編集] 主な応援活動の拠点
各コンサート・イベント等(新曲発表やサイン会等)・公開番組等
- 関東の公開番組 - 歌のトップテン・レッツゴーヤング・ヤングタウンTOKYO・ヤンヤン歌うスタジオ・ザ・ヤングベストテン・おはようスタジオ・ロッテヤンスタNo1・モモコクラブ・スーパーJOCKEY・FNS歌謡祭等の各音楽祭
- 関西の公開番組 - ヤングOh!Oh!・プロポーズ大作戦・ラブアタック!・突然ガバチョ!
[編集] 応援の種類
- コール
- コールとは、曲に合わせた掛け声による応援の事である。
- 歌詞と歌詞の間にアイドルの名前を叫んだりする、合いの手が基本形で、例えれば西城秀樹の『激しい恋』における「やめろと言われても(ヒデキ)」、郷ひろみの『男の子女の子』での「君たち女の子(Go! Go!)」等が一般的に知られている。1970年代初頭にファンが自然発生的に叫んでいた掛け声が始まりである。
- 親衛隊が組織化されるにつれ、幹部が一定の応援コールを定め、「コール表」が隊員に配られる。これらを基に、コンサートやイベント会場で大声で声援を送り、アイドルをサポートする。なお隊員だけでなく一般のファンにまでコール表を配り応援を強要する事もまま見受けられたため問題化したことがある。
- 1980年代初頭は、Aメロに合いの手→Bメロでは1・2手拍子→サビに入る直前に「L・E・T・S・ウ~レッツゴー」という形や、例えば「L・O・V・E・ラブリー聖子 」的な応援パターンが多く見られた。「ウ~レッツゴー」の始まりはキャンディーズの『夏が来た』で、歌詞の中の「ウ~ ランララン……」の所でみんなで唄っていたのが徐々に「ウ~レッツゴー」に変化していったものである。
- その後、コールも凝ったものが多くなり、イントロや間奏にロングコールが入るようになる。ロングコールで一番長いとされるのは石川秀美の『熱風』の間奏コールで、16小節もの間奏を「この世で一番かわいい秀美・瞳がまぶしい秀美ちゃん・この夏輝く星になれ・スポーティーガール秀美が一番・いつもにこにこスーパーガール・ハーティースマイルフェアリー秀美・サマーヴィーナスアイラブ秀美・さわやか天使ウ~レッツゴー」といった長いコールで埋め尽くす。このような凝ったコールは、手伝いの隊員が憶えるのに苦労し、イベント中でもコール用紙を見ながら応援するといった光景がよく見られた。アイドルに対してのメッセージ性を高めるために「L・O・V・E」や「I・LOVE・YOU」等のシンプルなコールに徹する親衛隊も存在した。
初期のころの傾向としてはあくまで間奏やコーラスの間のコールであったが1980年代の半ば辺りからは曲のサビ等聞かせどころでも声援を被せる等した場合もあったため 一部で問題化したこともある。
- 統制
- 統制とは、曲の合間にバラバラにアイドルの名前を叫んでいたものを、リーダーが「せぇの!」と号令をかけることにより、一斉に声を揃える事を目的としたものである。コール同様、親衛隊の応援が進化していくことにより「せぇの!」の号令も、応援団のエール如く「せ~の~」と長く伸ばすのが主流になる。統制は隊長や統制長が行なう。メガホンを片手で振り回すスタイルから、赤色の統制棒(俗にいう誘導棒)を左右に振るスタイルへと変化していった。コンサートのオープニング、静まり返った会場に響き渡る統制の声は隊員達にとって憧れであり目標であった。また1987年には日立マクセルより緑色の統制棒が数量限定発売され、それを使用するのが一時期の流行となった。
- 紙テープ
- 紙テープは、サビに入る直前の「L・E・T・S・ウ~レッツゴー」のところで一斉に投げるのが一般的であり、紙テープの芯を抜き、アイドルに当たらないようにステージの真上から落ちる様に投げる。テープの色は隊のイメージカラーで統一する隊や、色鮮やかに演出するために七色のカラーを用いる等様々。松田聖子のコンサートで『夏の扉』の「♪フレッシュ・フレッシュ・フレッシュ」の所でステージに向かって一斉に投げる数百本のブルーの紙テープは圧巻で、“青い大津波”と呼ばれた。
- ペンライト
- ペンライト・別名“ハンドコール”とは、バラード曲に合わせて左右に振るのが一般的であるが、曲によっては凝った振り付けもある。コンサートの終盤、バラード曲で暗くなった客席に揺れる同じ色で統一した何百本のペンライトの美しさは“光のジュウタン”と呼ばれ、感極まり歌えなくなるアイドルも少なくなかった(タンポポのコンサートで、一斉に掲げられた黄色のスティックを見た飯田圭織が「タンポポが一杯だよ……」と言ったきり絶句したのは有名)。またハイテンポな曲でもリズムに合わせて振る形もあり、更に進化すると両手に1本ずつのペンライトを持ち、かなり複雑な動きの踊りまで行なわれていた。
[編集] 支援活動
- リクエストはがき書き
- 当時のランキング番組ザ・ベストテン・歌のトップテン等へのリクエストはがきを組織票として大量に書き、一気に投函する。費用は所属事務所やレコード会社が負担する場合が多い。親衛隊が事務所公認の場合の活動である。同様の活動に有線ラジオ放送へのリクエスト電話も行っていた。
- レコード買い
- 新曲発売時期にオリコン加盟のレコード店を数多く回り、組織的に購入しランキング順位を上げる。こちらも費用は所属事務所やレコード会社が負担する。
- 販売
- コンサート会場、イベント会場では事務所側から依頼され、コンサートパンフやグッズの販売等に 親衛隊の隊員が使われたケースもある。
1980年代は、親衛隊を事務所公認とする芸能プロダクションも増え出し、これらの活動の見返りとして、タレントとのお茶会や食事会等を定期的に行うところや、コンサート等で親衛隊用のまとまった席を確保したり、特別なケースだと親衛隊獲得のために現金を差し出す事務所まで出てきた 。特に新人アイドルの場合、これらの支援活動が強力なプロモーションであると認識され、事務所側としては親衛隊の応援・組織的動員力は喉から手が出るほど必要な状況であった。
[編集] 沿革
[編集] 名前の由来
元来、コンサート会場などで、西城秀樹や郷ひろみの歌う曲のイメージに併せて、衣装(コスチューム)を統一し、声援を送る様になったファンを「親衛隊」と呼んだことに由来する。さらにその言葉の由来は、1974年の映画『愛と誠』で、西城秀樹の演じる主人公「太賀誠」がヒトラーの様な独裁者を目指し、それに賛同して集まった学生たちのことを「親衛隊」(本来の意味での)と呼んでいた事から始まる。なおペンライトをコンサートで初めて使用したのは西城秀樹のファンである。
[編集] 創成期
1970年代半ば。当時はまだまとまりがなく、全キャン連(全国キャンディーズ連盟)を筆頭に各アイドルごとに私設応援団的なグループがいくつも存在していたが、音楽祭やコンサート会場でグループ同士の抗争が絶えず、これを見かねた石野真子親衛隊の柳一誠・茂樹兄弟がそれぞれのリーダーを統制、横のつながり『関東親衛隊連合』通称〝連合〟を結成。アイドルの応援・護衛を目的とし、柳氏が初代連合長となり、これが親衛隊の原点となる。
当時、柳氏は東京城南地区をテリトリーにしていた暴走族、Jの構成員であったため、親衛隊連合=Jの配下組織ではと言うような見方もされていた。その柳氏率いる石野真子隊幹部連は武闘派として名を馳せ、全員白の特攻服で揃え、”戦闘力・動員力・統制力”どれを見ても真子隊の右に出る物はなく “史上最強の親衛隊”と謳われ、その伝説は後の親衛隊社会の中で永遠に語り継がれていく事になる。
またこの頃には札幌・関西・九州にも同じ様な組織が既に存在しており、後に関東同様“親衛隊連合”を名乗る事となる。
[編集] 最盛期
1980年代に入り、アイドルの黄金期を迎えるのと同時に連合にも全盛期が訪れる。松田聖子親衛隊を筆頭に大規模な所で小泉今日子隊・中森明菜隊・石川秀美隊・堀ちえみ隊・早見優隊、その他細かい隊も合わせて所属隊数ざっと50、全構成員数約1,800人にも達していた。初代隊長・幹部クラスは主に真子隊出身者が多く、石野真子が引退後にこれらのデビュー時期が重なった事が要因で、以後真子隊伝説が語り継がれる由縁でもある。それらの中でも聖子隊は全連合の半数を締め、関東や関西だけでも500人を越す勢力を誇り、まさに親衛隊の代名詞といえる存在であった。 人気絶頂の1983年武道館コンサートの際には 北海道支部から九州支部まで全国の聖子隊が集結。アリーナ席から2階席のほとんどが親衛隊で埋め尽くされ、声援も親衛隊のコール一色、数千本の紙テープが舞い、2階席には各地方支部の横断幕が所狭しと並び、アイドル全盛だった80年代を象徴する光景だった。またこの頃には歌番組の公開生放送がいくつもあり、親衛隊の応援は無くてはならないものとなっていた。
同じ時期には河合奈保子隊や柏原芳恵隊のように、連合と多少距離を置く親衛隊も散見された。それらの隊は「手伝い不要」と言い切れるほどの動員数と団結力を持っており「親衛隊=熱烈なファンの代表」という本来の親衛隊文字通りの活動を行なっていた。河合奈保子隊においては、北海道支部から九州支部まで聖子隊に匹敵する組織力を持っていた。幹部が定期的に入れ変わるという慣例があり、OBが常連組として親衛隊活動を続けなかった為、連合組織に対する関わりが強くなかったものの、組織の安定性は抜群で、河合奈保子本人が歌手活動休止するまでの十数年間、最後まで親衛隊が存続し、注目される存在であった。
この頃には関東以外も全て連合化されている。
北海道連合・東北連合・上越連合・北陸連合・静岡連合・中部連合・関西連合・四国連合・広島連合・九州連合。 全構成員数は三千人を越え、文字通りの全国組織に成長していた。
[編集] 安定期
1980年代半ばに差し掛かると安定期に入る。7代目まで続いた聖子隊も1985年、松田聖子の婚約によりに解散。この当時大規模な所で菊池桃子隊・岡田有希子隊・松本典子隊・中山美穂隊・芳本美代子隊・本田美奈子隊・荻野目洋子隊・水谷麻里隊・おニャン子一家・南野陽子隊他 、連合所属隊数20数隊。 各隊長クラスは主に聖子隊出身者が多かった。 またこの頃には親衛隊長とアイドルが恋愛関係に発展してしまうケースや、マネージャーに気に入られ、そのまま芸能事務所に就職してしまうケースも増えてきた。ちなみに初代連合長である柳氏は親衛隊引退後、ライジングプロダクション入りし荻野目洋子のデビュー時から数年間マネージャーを務めている。84年7月28日に行なわれた日比谷野外音楽堂での荻野目洋子ファースト・コンサートでは、柳氏の鶴の一声により関東連合を中心とした親衛隊800人が動員された。また同じく86年10月5日のよみうりランドオープンシアターEASTでのコンサートでは、全国から3,000人もの親衛隊が総動員され、新たな伝説を築いた。
[編集] 反乱期
これだけの大規模な組織になると必ず生まれるのが派閥である。
所属事務所系列、幹部の人間関係等、関東連合内での派閥は大きく分けて4グループ程存在していた。さらに1985年頃、関東連合内に、初代南野陽子隊総隊長・江尻昭彦氏を中心とした愚連隊チームが生まれる。彼らは“関東江尻一家”を名乗り、いい意味でも悪い意味でも浮いた存在であった。1987年夏、関東連合の活動方針に反発した江尻氏は南野陽子隊・浅香唯隊・大西結花隊・杉浦幸隊・中村由真隊・小沢なつき隊他、江尻氏に賛同した十数隊を引き連れ、関東連合脱退を計画、連合幹部と江尻一家幹部との間に何度も話し合いが行われるが全て決裂。新組織『全日本親衛隊同盟』通称“同盟”を旗揚げする。結成式は都内のホテルで行われ江尻一家の幹部他、約100人が出席した。また同じ頃、九州でも連合が二つに割れ『九州双誠会』通称“反連”が誕生している。更に関東連合はかつての実力者達が次々と現場に復帰、体制を整えることになり、再び柳氏も相談役として連合に接触するようになる。翌年1988年、連合側は引き締めを図るために『全国親衛隊連合』と改称。同盟を除く親衛隊を全国一本化する。 またこの頃にはマスコミからの取材依頼も多く、同盟に関してはテレビの密着ドキュメント番組や週刊誌等の取材に数度応じている。
1988 - 1992年頃までの所属隊は次の通り
- 全国親衛隊連合
- 酒井法子・西村知美・伊藤美紀・仁藤優子・坂上香織・相川恵里・島田奈美・北岡夢子・藤谷美紀・真弓倫子・渡辺美奈代・渡辺満里奈・国生さゆり・工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子・中山美穂・中山忍・吉田真里子・国実百合・河田純子・田村英里子・増田未亜・千葉美加・細川直美・高橋由美子・田中陽子・寺尾友美・西野妙子・宍戸留美・木原美智子・山中すみか・田山真美子・桜井幸子・BABY'S・CoCo(宮前真樹・三浦理恵子・瀬能あづさ)・中嶋美智代・堀川早苗・花島優子・Cotton・加藤紀子・胡桃沢ひろ子・新島弥生・木内美歩・小田茜
- 全日本親衛隊同盟
- 南野陽子・浅香唯・大西結花・中村由真・小沢なつき・小高恵美・石田ひかり・高井麻巳子・岩井由紀子・我妻佳代・河合その子・杉浦幸・相楽ハル子・本田理沙・西田ひかる・田山真美子・白田あゆみ・姫乃樹リカ・麻田華子・伊藤智恵理・田中律子・山口由子・川越美和・佐藤忍・中山忍・芹沢直美・渡瀬麻紀・安永亜衣・CoCo(大野幹代・羽田恵理香)・ribbon・Qlair・早坂好恵・堀川早苗・吉沢瞳・薬師寺容子・奥山佳恵・遠野舞子・宮田愛
連合・同盟の分裂後も主導権争いが行なわれ、コンサート・イベントでかち合う度に小競り合いを繰り返していた。また互いに同じタレントの親衛隊を作らない協定を結ぶが、結局は表面上の約束。吉田真里子や中山忍、CoCo等で衝突してしまう。特に吉田真里子のデビューイベントでの大乱闘は翌日の新聞沙汰になっている。 またこの頃には一般ファンによるグループ化が目立ち始める。彼らは親衛隊の上下関係や束縛を嫌い、メジャーな所では“OBG”や“元連合SEC(聖子隊)の斎藤氏と鈴木氏によるAJO、関東B・G連合”等。これらのグループは特に解散直前のおニャン子周辺で多く見られ、全員法被を着ているため「ハッピ軍団」と呼ばれ、おニャン子ファイナルコンサートでは代々木体育館前で全員でハッピを広げ翌日のスポーツ新聞に掲載されたりした。その後勢力を伸ばしつつあったが、おニャン子の衰退と親衛隊、特に関西連合の圧力によって姿を消していった。
また、関東連合出身の幹部2名により、新組織“日本親衛隊連盟”発足との噂が流れたが、実際に設立されることはなかった。
[編集] 終焉期
1980年代には全盛だった親衛隊も、平成期、とりわけ1990年代に入ると終焉を迎える。連合・同盟の抗争が更に激化、白鳥事件、ribbonの日比谷野外音楽堂ライブ終了後の大乱闘、その後の幹部を始めとする主要メンバー達の親衛隊離脱が衰退の要因とされている。しかし実際の所は、1990年代のバンドブームやビーイングブームに伴うアイドル冬の時代の影響で隊員も減り、更に公開歌番組や大規模なコンサート等もほとんど姿を消し、“親衛隊”としての活動場所・存在価値が無くなっていたのが原因である。また激しい上意下達の環境を嫌い個人主義を好むという時代環境の変化や、アイドルファンのオタク化により、世間的にアイドルファン=“ダサい”“カッコ悪い”というイメージが定着してしまい、隊員が一気に激減。1994年頃には連合全体で100人にも満たなくなっていた。その後も幹部の生き残りメンバー数名が立て直しを図るが、Melody ・桜っ子クラブらの活動を最後に、1995年頃には連合・同盟両者とも完全に姿を消し、その長い親衛隊の歴史に幕を下ろした。
また2000年に入ると「モー娘。」等のファン周辺で親衛隊と呼ばれる様な集団が多数存在しているが、往年の親衛隊連合・同盟とは全く違う物であり、何の関係、つながりも無い団体である。ただし個々の親衛隊OB等が現場を仕切る光景は娘。やチェキッ娘、一部のアイドル声優(椎名へきるなど)等でも見られた。
[編集] 現代の親衛隊
2005年、石野真子・堀ちえみが歌手活動を再開したのを機に、当時の親衛隊が復活。当時と変わらぬ応援を続けている。
また、組織的ではないが松田聖子のコンサートで親衛隊コールをしているOBが多数存在する。
[編集] 組織概要
基本的に連合、又は同盟に加盟しなければ親衛隊を名乗ることはできなかった。親衛隊内での上下関係は徹底的に厳しく、完全なピラミッド式ヒエラルキー、上意下達型の体育会系組織である。 関東での順列最上位は連合長、次に副連合長が3名、その下に各親衛隊長(幹部)が横並び。 各隊で見ると、全国総隊長(親衛隊長)、関東本部長(副隊長)、東京・神奈川・千葉・埼玉各班長(幹部)、そして平隊員という順になっていた。主に関東本部が基本だが、隊によっては関西が本部を名乗るケースもあった。
平均年齢は平隊員で14-17歳、幹部クラスで16-18歳、隊長・連合長クラスで17-20歳、常連組(相談役)で20-23歳。
数年間、隊長として取り仕切った者の多くは、連合幹部会により新人アイドルの隊長にさせられることや、自らの志願により新しい隊を結成する等、アイドルが好きで隊長まで上り詰めた“本来の親衛隊長”は、姿を消すことも多かった。
女性隊員はレディースと呼んでいた。1980年代後半を見てみると中山美穂隊や、工藤静香隊、浅香唯隊等に多くみられた。特に1980年代末期の美穂隊レディースの動員力・団結力は凄まじく、単独でも十分通用する程の組織であった。
各隊のミーティング(コール練習)は、毎週日曜、連合集会は月に2回明治公園・日比谷公園・代々木公園等で行われた。連合幹部会は、当時有楽町駅前にあった純喫茶「白鳥」で月に2回行われた。ちなみに同盟の場合は全隊集会と呼び、主に代々木公園や新宿中央公園で行われた。
親衛隊の勧誘は主にコンサート・イベント終了後の会場出口で隊員達が直接行い、入隊金5千円から8千円が相場だった。
応援スタイルをみると1970年代後半-1980年頭は特攻服にハチマキ腕章 、1980年代前半はハッピにハチマキ腕章。後半に入るとハチマキに腕章(中には隊名入りのMA-1で揃える隊もあった)に変化していく。ハチマキはサテン地に刺繍入りの特別製で、色は隊ごとにそれぞれ異なり、ハチマキ以外にもハッピ・垂れ幕・ペンライト・紙テープ等全てその色で統一、その色は隊のイメージカラーでもあった。ちなみに真子隊は緑、聖子隊は青、奈保子隊は赤、よしえ隊は黄色である。
隊名にはそれぞれセカンドネームがある。ウルトラシリーズなどの防衛隊名にちなんだもの。
- 真子隊“M・L・C”(MAKO-LOVELY-CIRCLE)
- 聖子隊“S・E・C”(SEIKO-ENGAGERING-CIRCLE)
- 奈保子隊“N・C・A”(NAOKO-CANARY-ASSOCIATION)
- 明菜隊“A・P・S”(AKINA-PROMOTION-STAFF)
- 桃子隊“M・M・C”(MOMOKO-MAINTAIN-CIRCLE)
- 有希子隊“Y・H・A”(YUKIKO-HAPPINESS-ASSOCIATION)
- 知美隊“T・B・M”(TOMOMI-BODYGUARD-MEMBERS)
- 美穂隊“M・E・S”(MIHO-ENDLESS・SHINING-STAR)
- 南野隊“Y・E・C”(YOKO-ETERNAL-CINDERELLA)
等。またユニークな例だと、ちえみ隊“C・M・I”(CHIEMI-メチャンコ-命)や美代子隊“M・N・G”(MIYOKO-ナンジャモンジャ-軍団)などがある。
[編集] エピソード
- 元U-turnの土田晃之は、工藤静香(連合)のファンだったにもかかわらず、我妻佳代親衛隊(同盟)に属していた。
- 初代電波子の滝島梓は、渡辺満里奈親衛隊レディースに属していた。
- JRAの後藤浩輝騎手も、元渡辺美奈代親衛隊である。
- カンニング中島忠幸は、南野陽子親衛隊員を経て田村英里子親衛隊九州支部長を務めていた。
- 嶋大輔は、アイドル時代の石野真子親衛隊に属していた。
- 親衛隊幹部OBは引退後、芸能事務所やテレビ局等、芸能関係の仕事に就くケースが多い。
- 一部の親衛隊組織の背後には指定暴力団がおり、地回りの際には親衛隊が上納金を納める事もあったという。
- 大塚光二は、アイドル時代の中森明菜親衛隊に属していた。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月30日 (月) 04:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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