解析機関

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ロンドンのサイエンス・ミュージアムに展示されている1992年に制作された解析機関

解析機関(かいせききかん、analytical engine)は、イギリス人数学者チャールズ・バベッジが設計した機械式汎用コンピュータであり、コンピュータの歴史上、重要なステップである。初めての解析機関についての記述は1837年になされているが、バベッジは1871年の死去直前まで設計を続けた。資金や政治、法律などの問題があり、この機械は実際には製作されなかった。論理的に解析機関に匹敵する機能を持つ汎用コンピュータは、その後約100年を経てやっと現実のものとなったのである。

この機械は当時の技術レベルでは製作できなかっただろうという者もいれば、資金と政府の援助があれば当時の技術でも動作するものが完成していたはずだと信じる者もいる[誰?]

目次

[編集] 歴史

チャールズ・バベッジが最初に開発しようとした機械式計算機は階差機関だが、これは多項式の計算によって対数三角関数の数表を作ることに特化した計算機械であった。このプロジェクトはバベッジの性格的な問題や政治的な理由で失敗したが、彼はさらに汎用性のある設計が可能であると思いついた。バベッジはそれを解析機関(Analytical Engine)と呼び、設計を開始した。

解析機関は蒸気機関を動力として、完成すれば長さ30m、幅10mの大きさとなっていただろう。入力(プログラムとデータ)は、当時既に機械式織機で使われていたパンチカードで供給される予定だった。出力としてはプリンター、曲線プロッター、ベルを備えていた。演算方式は十進数の固定小数点演算である。

1000個の50桁の数値を格納できる。演算論理装置(ミル、"mill")は四則演算が可能で、さらに比較とオプションで平方根の演算が可能であった。当初、それは階差機関を円環状に配置したらどうなるかという考察から生まれ[1]、その一方に数値格納装置を配置するようになった(さらに後には格子状の配置となっている)[2]。現代のコンピュータのCPUのように、ミル内部の手続きはバレル("barrels")と呼ばれる回転するドラムにペグ(釘)を刺すことで格納され、それによって複雑な命令を実現している[3]。現代のコンピュータの同等の仕組みについてはマイクロプログラム方式を参照されたい。

現在のアセンブリ言語に近いプログラミング言語が採用されている。ループと条件分岐が可能であり、チューリング完全を達成した言語と言えるだろう。パンチカードには3種類あって、演算用、定数用、ロード/ストア用に分類される。ロード/ストア用というのは演算装置と格納領域の間で数値のやりとりを行う指示をするパンチカードである。これら3種類のパンチカードについて独立した3つの読取装置が対応している。

1842年、イタリア人数学者ルイジ・メナブレアはバベッジがイタリアを訪れた際にバベッジと会い、フランス語で解析機関に関する記録を残し出版した。1843年エイダ・キング、ラブレス伯爵夫人はこれを翻訳し、本文以上の訳注を記述している。彼女はその十年ほど前から解析機関に興味を持っていた。その訳注の解釈によっては、彼女を世界初のプログラマとする者もいる。プログラミング言語Adaは彼女にちなんで名づけられている。

[編集] 部分的な製作

バベッジは晩年になって解析機関の単純化したバージョンの制作を思い立ち、1871年に亡くなる直前にその一部を組み立てた[3]。しかし、1878年、英国科学振興協会の委員会は解析機関の開発は政府の財政を圧迫するという理由で製造しないことを進言した。

1910年、バベッジの息子ヘンリー・バベッジはmill(演算装置)の一部とプリンター一式を製作した。そして、これを使って円周率の倍数の計算を行った(ただし、結果は間違っていた)。これは解析機関のごく一部を使ったもので、プログラム不可能であり、記憶領域もなかった。

ヘンリーは小規模な記憶装置を備えた完全な解析機関の製作も考えていた[4]。25桁の数値を20個操作できるものを想定しており、完成すればそれでも十分印象的なものとなっただろう。

[編集] 解析機関は世界初のコンピュータか?

設計だけであったとしても、解析機関がコンピュータと呼べるかどうかは重要な問題である。階差機関は明らかにコンピュータではなかった。解析機関はプログラム可能であり、非常に抽象化されたレベルではコンピュータと言っても間違いではない。しかし、いくつかの点で解析機関は明らかに現在のコンピュータの定義から外れている。第一に大きく異なるのはメモリにアドレスがないことである。解析機関の記憶領域はいわばレジスタであり、個別に指定できるがアドレスで指定するという概念がなかった。そのため、当然ながらプログラム内蔵という概念も無ければ、プログラムをデータとして扱って書き換えるという概念も(基本的には)存在しない。

最後のプログラムを書き換えるという概念(プログラム可変)に関してはバベッジの残している記述の解釈によっては存在していたという見方もある。たとえば『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を書いたダグラス・ホフスタッターは、解析機関がチューリングマシンで示されている自己言及・自己書き換え可能な機械であったという見方をしている。

[編集] 影響

[編集] 情報工学

解析機関はいくつかの例外的試みを除いては忘れられていた。パーシ・ルードゲイトは1915年に解析機関について記述しており、独自の解析機関も詳細に設計している(ただし、製作はしなかった)。ルードゲイトの機関はバベッジのものよりも小さく(約230リットルの容積)、20桁の数値の乗算を6秒でできると予測された。レオナルド・トーレス・ケベードヴァネヴァー・ブッシュも同様にバベッジの解析機関を知っていたが、彼ら3人の発明家は互いを知らなかった。

バベッジの解析機関と密接に関連する業績としては、ニューヨークベル研究所ジョージ・スティビッツ第二次世界大戦中に行った研究開発と、第二次世界大戦中にハワード・エイケンハーバード大学で行った研究開発がある。彼らは電気機械式(リレー式)コンピュータを開発しており、解析機関と似ている部分があった。エイケンのマシンはIBMの援助によって開発されたものでHarvard Mark Iと呼ばれている。

分子ナノテクノロジーでは、超小型の高性能コンピュータの構築手法として、解析機関のような機構による論理回路が提案されている[1]

バベッジの自伝の一節:

解析機関が現実となれば、科学の未来を導くのに必須の道具となるだろう。

[編集] 小説

サイバーパンク小説家であるウィリアム・ギブスンブルース・スターリングは歴史改変モノのスチームパンク小説『ディファレンス・エンジン』を共同執筆した。この小説では、ビクトリア朝時代の社会でバベッジの階差機関と解析機関が実現した世界を描いている。この小説は早すぎるコンピュータ技術の発達が社会に与える影響を描いたものである。

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

  1. ^ Babbage’s Analytical Engine: The First True Digital Computer
  2. ^ Calculating Engines - The Babbage Pages
  3. ^ Difference Engines - Tim Robinson's Meccano Computing Machinery web site
  4. ^ The Analytical engine By Major-General H. P. Babbage - From the Proceedings of the British Association, 1888; Paper read at Bath, September 12, 1888

[編集] 外部リンク

すべて英文。

最終更新 2009年10月31日 (土) 14:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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