計画都市
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計画都市(けいかくとし、planned city)は、都市計画に基づいて建設された都市である。計画都市との対比で、自然発生的に成立した都市を「自然都市」と呼ぶ。
住宅地、商業地、官庁などの一連の都市機能を有する自立した都市が、非都市化地域に計画的に建設されることが特徴である。この点で、都市機能の一部を担うに過ぎない都市郊外における住宅地開発や、既存の都市地域における再開発とは異なる。
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[編集] 概要
計画都市の事例は古代から存在する。アレクサンドロス大王によって建設された古代アレクサンドリアは、碁盤目状に交差する街路を有する計画都市であった。グリッドパターンの計画的都市は古代ギリシャの代表的都市計画家ミレトスのヒッポダモスが理論を確立したためすでに紀元前から行われ、インドなどの都市計画例は過去には、ヒンドゥ、アルタシャストラなどの都市選定地は経典書によって建築学者の推薦する地に建設していることがしられている。たとえば16世紀半ば、南インド・マドライの政治家で都市計画家ヴィシュヴァサリ・ナーヤカは教伝をもとに設計したように、都市計画はマーナサーラの書などで敷地割り規定をあらわすヴァストゥやプルシャ、マンダラなどがあり、都市はグリッドパターンに建設されていた。したがってマドゥライ、アマラプラ、カンチープラム、アメラーダプラ、ヴァーラーナシー、シュリーランガム、ロータル、クシナガラ、アマラプラ、カンチープラム、アメラーダプラ、ヴァーラーナシー、シュリーランガム、ロータル、クシナガラ、ジャイサルメル、サンガーネル、バーダーミ、タンジャーウール、ラーイガル、ハンピ (インド)、アーメダバード、アーグラー、ファテプル・シクリ、ラホール、ハイデラバード、ビージャプル、ジャイプル、トゥグルガーバード、ルールケーラ、ダウラダバード、オーロヴィル、ハルディア、ブヴァネーシュヴァル、ガンディーナガル、カーリーバンガン、バナーワリー、ガンヴェーリーワーラー、チャヌフ=ダーロ、ドーラヴィーラー、スールコータダ、ヴィジャヤナガルなどのインド諸都市、パタン、バクタプル、キルティプルなどネパールの都市などは、こうした経典のつくりかたに基づいている。これがフナン(ベトナム)オケオ(ベトナム)チャーキュウ(ベトナム)チャンパー(旧占城、ベトナム)マンダレー(ミャンマー)といった東南アジア諸国でも普及する。
その他イラクの、ウル、バビロン、ハトラ、クテシフォン、クーファ、サマラ、バクダート、バスラ、モースルなどや、トルコのビュユクカレ、シリアのエウロポス、イランのペルセポリス、カーシャーン、イエメンのザヒート、グルジアのトビリシ、アフガニスタンのヘラート、カーブル、アイ・ハヌム、タキシラ(パキスタン)などイスラム系諸国の、またウズベキスタンのコイ・クルガン・カラ、サマルカンド、タシケントなど中央アジアの諸都市でも同様にグリッドパターンの計画で都市が形成されていく。
スペイン殖民都市でも、1492年のカルロス1世の新大陸の新都市建設法に基づく、あるいは1573年からフェリペ2世の勅令インディーズ法などの規程が知られている。スクレ (ボリビア)、イスパニョーラ島港湾都市、デッラ・デル・ソーレ、パルマノヴァ、カルタヘナ、ボコダ、キート、ベラクルス、テノチティトラン(メキシコシティ)、グラナダ、サンサルバドル、ノンブレ・デ・デイオス、トウンベス、カハマルカ、ウアヌコパンパ(ペルー)、テオティワカン(メキシコ)、ヴィガン、グアダラバラ、バハマ、リマ、サンティアゴ (チリ)、サッビオネータ、マニラ、メンドサ、ラバス市街地などスペイン植民期都市のこうした例グリッド状の街路と教会と広場を中心とするポブラシオンが、南アメリカやフィリピンの諸都市で多く生み出されていく。これがさらにハノイ、プノンペン、チェンマイ、バンコクといった東南アジア諸国の都市にも導入されていく。
チャンディーガル(インド)のように近代思想で、またジョージタウン (ペナン州)はフランシス・ライト総督がグリッド状に市街地を計画させた。
東アジアの諸都市でも、条坊制や都城制の都市の歴史があり、大陸では蘇州、平遥、天津、広州、唐山、華城(水原城)、洛陽城(盛京、現・瀋陽)、紫禁城(現・故宮)、奉天、宮口、仁川、本渓湖、興南、元山など、日本でも平城京や平安京、藤原京、長岡京の建設の歴史がある。日本では他に札幌、旭川、帯広など明治の開拓地等で採用され都市が形成された。これら歴史の古い計画都市は、その後の自然的な発展の中で当初の姿からは大きく形を変えているものが多いが、京都市のように街路や地名などに過去の面影をとどめていることもある。
ヨーロッパ列強の航海時代の入植地が多く都市化し、北米のサンタフェ (ニューメキシコ州)ケベック・シティ、ルイスバーグ、トロント、モントリオール、サンフランシスコ、セントルイス、ニューオリンズ、ロサンゼルス、サンディエゴ、ボストンなどが生み出された。植民地の場合、当初は工兵隊・軍の測量技師が計画を担う。新開地では統治という目的も担う場合もあったため、カナダ・ルイスバーグなど、ヴォーバンの要塞都市理論で計画されている都市が多い。
近代以降の計画都市の事例としては、ハルピン(旧満州国)、香港、澳門(マカオ)などのケースの他、新たに国家が独立した、既存の都市が手狭になったなどの理由による首都の建設、未開発地域の開発のための都市建設があげられる。
首都建設の代表例が、1790年に建設が決定されたアメリカ合衆国のワシントンD.C.や、1911年に建設が決定されたオーストラリアのキャンベラなどである。後者の例としては1893年に建設されたロシアのノヴォシビルスクに代表される旧ソ連のハバロスク、ウラジオストク、ノヴォシビルスク(旧ロシア帝国)改造などがある。
1956年から建設が始まったブラジルのブラジリアは、前者と後者の特徴を併せ持つものである。
現在の日本でも、東京の過密化を解決するために、他の場所に新たに首都を建設するという首都機能移転の議論がある。
[編集] 主な計画都市
[編集] 首都建設
[編集] 国防上の理由によるもの
- アレクサンドリア
- 旧平安京、旧平城京(平安朝の日本) - 現在の京都及び奈良の中心部
- サンクトペテルブルク(旧ロシア帝国)
- イスラマバード(パキスタン)
- アスタナ(カザフスタン)
- ネピドー(ミャンマー 従来の首都はラングーン)
[編集] 国土の均衡発展が目的のもの
広い国土を持つ国が、地理的に中央位置に近い位置に建設するケースや、或いは首都の地位獲得を狙う大都市の対立を和らげる為、折衷策として双方の中間位置に建設されるケースなど。
- ワシントンD.C.(アメリカ合衆国 ワシントンD.C.の歴史)
- ブラジリア(ブラジル) かつての首都はリオデジャネイロにあった
- キャンベラ(オーストラリア)
- ニューデリー(インド) オールドデリー(デリー)と共にデリー首都圏を形成
- アンカラ(トルコ) アンカラ南部のイェニシェヒル地区が計画都市
- アブジャ(ナイジェリア)
- 旧新京(旧満州国)
[編集] 計画段階のもの
[編集] その他
- 旧アンコール(布教拠点の建設、旧カンボジア王国、宗教都市も参照)
- ナーランダ(宗教都市、インド)
- シャトルンシャヤ(宗教都市、インド)
- シュリーランガム(宗教都市、インド)
- アムリトサル(宗教都市、インド)
- オールドゴア(宗教都市、インド)
- バゲルハート(宗教都市、バングラディッシュ)
- サンアントニオ(宗教都市、アメリカ合衆国)
- 星の街(学術拠点建設都市、ソ連)
- ラスベガス(アメリカ合衆国)
- 旧スターリン・シュタット(旧東ドイツ) - のちにアイゼンヒュッテンシュタットに改称。旧西ドイツとの経済競争で劣勢を強いられ、わずか3年後を目標に挽回を狙い国家を挙げて建設された重工業モデル都市。労働者の理想郷として、プロパガンダにも大いに利用された。
- ベルトベストシュタット(ドイツ)
- ノルドベストシュタット(ドイツ)
- スラバヤ(インドネシア)
- ダルモ(インドネシア)
- ジャカルタ(バタヴィア) - オランダ人の手になるこの都市は、サイモン・スティーブンスの理想港湾都市理論によって、1619年に建設され繁栄するが、この理論はデンマークやスウェーデンなどの北欧諸都市の計画にも影響を与えた。
- パリ - ナポレオン3世下の改造はジョルジュ・オスマン指揮下でジャン=シャルル・アルファンらが実施、街路や広場改修のほか、周辺のブローニュとヴァンセンヌの森の改修まであたった。リヴォリ街はシャルル・ペルシェ、ピエール・フォンテーヌなど。ラ・デファンスは1958年から、1965年には大都市圏プロジェクトを策定。パリ改造を参照。
- モスクワ - モスクワの歴史を参照。起源は1147年、抜本的な改造計画は1935年。その後市の改造計画が1971年に発表される。
- ケープタウン(ケープ植民地) - 長崎・出島にも駐在経験のあるオランダ軍技師ヤン・ハン・リーベックらが都市建設を開始、1781年にはルイ・ミッシェル・チボーがリニューアルしていった。
- ポンペイ(古代ギリシャ、古代ローマ都市)
- アデレード - ペナンのジョージタウンを手がけたフランシス・ライト総督の息子ウィリアム・ライト大佐が、1836年から1837年にかけて、メルボルンにも携わる工兵ロバート・ホドルらと建設を手がける。しかし途中で辞任、後任には探検家でもあるキャプテン・チャールズ・スタートが就任している。その後の市街地拡張と郊外宅地はチャールズ・コンプトン・リードが担当して計画された。
- エルサレム新市街地 - 1918年から1948年まで英国が委任統治したが、海外で活躍する多くの都市計画家を送り込み、都市計画にあたらせている。土木エンジニアのウィリアム・マクリーンはわずか7ヶ月でプランを立案させられるが、その後携わったクリフォード・ホリディは、広範囲におよんで立案を手掛け、ほかにパトリック・ゲデスやチャールス・ロバート・アシュビー、ハワード・ケンドール、オースチン・ヘシソンらがかかわる。
- ローマンタウン (イギリス・チェスター)
- カフン(ギリシャ)
- ノモス(ギリシャ)
- メルスンゲン
- プラハ
- キエフ
- パレルモ改造
- トリノ改造
- カザン(ロシア)
- バクー(アゼルバイジャン)
- マラケシュ(モロッコ)
- イスファハーン(旧・ジェイ、イラン)
- マリ(ニジェール)
- ボローニャ
- ルッカ(イタリア)
- パドヴァ(イタリア)
- ケルン
- フェラーラ
- セビリア
- デルフト(オランダ)
- ウィレムスタッド(オランダ)
- チェスター(イギリス)
- ダラム(イギリス)
- ヨーク (イングランド)(イギリス)
- ソールズベリー(イギリス)
- カンタベリー(イギリス)
- カンバーノールト(イギリス)
- インディアナポリス
- デトロイト
- ニューアムステルダム(要塞都市・現ニューヨーク/ニューヨーク市の歴史) - オランダ人が建設した都市の代表、ニューアムステルダムは軍事要塞として建設される。1664年にE.カステロがグリッドパターンで設計したその後、イギリスがニューヨークとして頂くと、まずはイニゴー・ジョーンズと技師のクリン・フレデリックが改良案を立案した。続いて、市の技師であったフランシス・スエーシャルクが実施案を、さらに1785年と1796年の2回にかけて案を引き継いだカシミール・ゴエルクが修正案を計画し、シメオン・ドゥウィットやカベルノール・モリス、ジョン・ルサフォードらが、1811年に整備報告書をまとめるにいたるが、ニューヨークの街自体は次第に投機家によって分割されていく。1925年、アメリカ合衆国建築家協会AIA・住宅地計画研究会でヘンリー・ライトがニューヨークのコンパクト化を提案、ニューヨークなどで小規模計画都市を提唱していくルイス・マンフォードなどに影響を与える。マンハッタンは1800年にジョセフ・マンギンが立案したが採用されず、続いてホイッデンが設計
- ニューヘブン(アメリカ合衆国)
- ラングーン(現・ヤンゴン) - イギリス軍統治期はスコットランド人のアレクサンダー・フレーザ大尉はシンガポール計画などを歴任した技師のトーマス・モンゴメリーを招聘して計画立案させている。
- マラッカ(マレーシア)
- クアランプール
- アチェ(インドネシア)
- カトマンズ(ネパール)
- イーシャーナプラ(現サンボール・プレイ・クック、カンボジア)
- ピマーイ(カンボジア)
- ペグー(バゴー、ミャンマー)
- インワ(アヴァ、ミャンマー)
- アマラプラ(ミャンマー)
- シュリークシェートラ(ベイタノ、ミャンマー)
- スコータイ(タイ)
- アユタヤ(タイ)
- ロッブリー(タイ)
- ベイタノ(ミャンマー)
- シュリクシュトラ(ミャンマー)
- バガン(ミャンマー)
- ペナンヒル(マレーシア)
- シャーアラム(マレーシア)
- スラカルタ(インドネシア)
- ギアニャル(インドネシア)
- ジョグジャカルタ(インドネシア)
- チャクラヌガラ(インドネシア)
- マラン(インドネシア)
- メダン(インドネシア)
- チルボン(インドネシア)
- ドゥマツ(インドネシア)
- バンダ(インドネシア)
- バンドン(インドネシア)
- ボゴール(インドネシア)
- モジョケルト(インドネシア)
- パレンバン(インドネシア)
- ベルリン - 近代から1862年からジェームス・ホープレヒトのベルリン改造ホープレヒト計画、ヘルマン・ヤンセンの1909年大ベルリン全体計画、1910年ベルリン都市改造案コンペをへて、1910年代のヴェルナー・ヘーゲマン案と1920年のオットー・コーツ案など、次々と計画立案させ幾度も改造を試みる。1920年代はマルディン・ヴァグナーがベルリン建設参事官の身分でベルリン都市改造をアメリカ資本で目論み、コンペの実施やみずから広場改造案作成、実際に建築設計まで手がけた。その間も開発計画、整備計画をルードヴィッヒ・ヒルベルザイマーやヨーゼフ・スチューベンらが立案し、1939年、アルベルト・シュペーアによるゲルマニアベルリン都市改造計画・大ベルリン計画が発表される。戦後にはいっても、スミッソン夫妻らの計画や、ドイツ民主共和国首都ベルリンの社会主義的都心改造(旧東ドイツ)、統一後の1990年、明日のベルリンコンペなどがあい続く。ベルリンの歴史
- ウィーンの歴史
- エウル(Eur,ローマ新都市42 ファシスト党政権下時代のイタリア新都心)
- フィラデルフィア - 入植地の開拓で、ウィリアム・ペンの指揮の下、イギリス軍技師のトーマス・ホルムが案を作成して都市建設される。また1930年代後半以降のエドモンド・ベーコンらの取り組みによって、都市がしだいに形づくられていった。
- サンフランシスコ - 北米の諸都市は入植が主である。サンフランシスコはまず1839年にスイスの測量技師ジーン・ヴィオゲットが手がけるグリットパターンの計画を立案、その後国際コンペを1893年に実施し、その後の1909年に包括的な計画で秩序化を図るべくシカゴを手がけるダニエル・バーナムやエドワード・ベネットらの案が当選するが、これらはその後の地震によって案に終わり、のちにアルベルト・ヒルバーザイマーらによって改造案が発表されている。
- メルスンゲン(ドイツ)
- カンバーノールト(イギリス)
- トゥールース・ル・ミレイユ
- ヴォルゴグラード(旧スターリニングラード)
- ハルツーム(スーダン) - イギリス軍技師ハーバード・キッチナーが街区形のユニオンジャック・パターンを指導して部下の技師ウィリアム・マクリーンに計画させた。
- ラングーン
- セルジ・ポントワーズ(フランス)
- シンガポール - 1822年にジャクソン中尉の立案したプランを、セイロンやマラッカ、ジャワ・オランダ植民地の総督などを歴任したトーマス・ラッフルズが採用。1826年からジョージコールマンが移住し、道路拡張のほか公共建築を設計したあと、フランシス・グリーンウェイが都市計画を立案。
- ガンディーナガル
- シールズミレイユ(インド)
- ジャイプル(インド)
- ソフィア・アンティポリス
- ル・アーヴル
- カールスルーエ - ヴィルヘルム伯爵の狩猟場であった当地も、1715年設置した8角の塔を中心に、1787年にイタリア人計画家ペディッティを招いて放射街路を有する都市に改造、南側へ引いた道路の周辺を市街地化させた後、1797年にフリードリヒ・ヴァインブレンナーがカイザー通りを追加、メインストリートとその沿道の市街地開発が実施する。
- クリチバ
- カールスクルーナ
- バタヴィア
- ヘルシンキ - もとは寒村であったが、フィンランドでは1809年にスウェーデンからロシア支配下際、アレクサンドル1世によって首都にされ、ドイツ人建築家カルル・ルードヴィッヒ・エンゲルが招聘され計画設計。
- ロイヤルクレセント
- オタワ
- プレトリア(南アフリカ)
- アランフエス(スペイン)
- ヤールスクロナ(スウェーデン)
- ミレトス
- ラドバーン(アメリカ合衆国)
- ニュー・ケンジントン・ヴィレッジ(アメリカ合衆国)
- アーバイン (カリフォルニア州)
- インディアナポリス
- コロンバス (オハイオ州)
- サンシティ (アリゾナ)
- アーコサンティ
- シエンフエーゴスの都市歴史地区
- ジャクソン (ミシシッピ州)
- 大学都市 (メキシコ国立自治大学)
- チャンディーガル
- テルアビブの白い都市
- ヌアクショット
- ベルモパン
- ベロオリゾンテ
- ラプラタ (アルゼンチン) - 1882年にサンチャゴ・エバンズの理想都市「ヴァサリ」を手本として立案。
- ローリー (ノースカロライナ州)
- レプティス・マグナ(リビア)
- フェズ(モロッコ)
- メクネス(モロッコ)
- カーヒラ(カイロ)
- ブーラーク(カイロ)
- アズベキーア(カイロ)
- キルワ(タンザニア)
- サン=ルイ(セネガル)
- アルジェ(旧・ベザイール)(アルジェリア)
- プレトリア(南アフリカ)
- ダーバン(南アフリカ)
- ピーターマリッツバーグ(南アフリカ)
- イーストロンドン(南アフリカ)
- ポートエリザベス(南アフリカ)
- オスティア(イタリア)
- フロレンティア(現・フィレンツェ)
- ジェノヴァ
- ノート (イタリア)
- サン・ジョバンニ・ヴァルダルノ(イタリア)
- ピエンツァ(イタリア)
- プリエネ(トルコ)
- バルキノ(バルセロナ) - 15世紀から既に人口増に対して市街地拡張計画を実施、ランプラスやバルセロネータ、修道院移設とサン・ジュスト居住区などを生み出してきた。その後も市域拡張計画は中央政府の依頼によってイルデフォンソ・セルダが立案に対し1859年、市は中央に対抗してコンペを実施、そしてパイシュラスによる市街地修復計画、都市連結計画(レオン・ジョセリー)、ダルデール・プロジェクト、旧市街再生計画(ジョアキン・ヴィンセカ)、GATCPAC、プラン・マシア、広域計画1953、1959年の計画、リベラ計画、大都市圏総合都市計画PGMとPERI策定などと続く。
- リオ・デ・ジャネイロ - もともとヴィル・ザ・ニョンのコロニー要塞理論でできあがっていたが、19世紀に市長も歴任したパレイラ・パソスが計画整備、その後キャンベラのコンペでは3等だったアルフレッド・アガッシュによって再計画整備された。
- ブラガ(ポルトガル)
- オビドス(ポルトガル)
- アルル(フランス)
- トゥルニュ(宗教都市、フランス)
- カルカソンヌ(フランス)
- モンパジエ(フランス)
- ヌフ・ブリザック(フランス)
- レーゲンスブルグ(ドイツ)
- アウクスブルグ(ドイツ)
- トリアー再建(ドイツ)
- ロットヴァイル(ドイツ)
- フィリンゲン(ドイツ)
- フッゲライ(ドイツ)
- フロイデンシュタット(ドイツ)
- ルーヴァン・ラ・ヌーヴ(ベルギー)
- ラドロウ(イギリス)
- クラクフ再建(ポ-ランド)
- テルチ(チェコ)
- セントオーガスチン(アメリカ合衆国)
- セントクロイ(アメリカ合衆国)
- ヴェニス(アメリカ合衆国)
- サヴァンナ(アメリカ合衆国)
(東アジアの諸都市)
- 慶州(韓国)
- 京城(現・ソウル)
- 開城(北朝鮮)
- 釜山(韓国)
- イフ・フレー(ウランバートル)
- 大都(現・北京、中国) - もとは元のフビライ・ハンが、側近の劉秉忠らに命じて計画させた大都で、大元ウルスが中国古来の都城理念『周礼考工期』を基に則って計画設計している。
- 高雄(台湾)
- 基隆(台湾)
- 台北(台湾)
- 台南(台湾)
- 上海租界 - 当初は租界してきたマゼラン商会の技術者らが計画を担当して建設されたが、のちに中国人技術者が台頭してきて計画が立案される。1930年にアメリカで学び上海へ戻ってきた董大酉がマスターアーキテクトとして登場、アメリカの土木技術者のC.E.グルンスキーやドイツのヘルマン・ヤンセンらも参与するが、同時期に中国政府主催で行われた中央政活区設計コンペでは、中国人建築家が上位の入選を占めていた。その他、魯迅の思想のもとに計画立案されたり、上海が日本の占領下になると、石川栄耀や若くして夭折した吉村辰夫らの上海都市計画や、松本与作と吉武東里らの試案が発表されている。
- 横浜 - 江戸材木商吉田勘兵衛の新田開発から、大田屋徳九郎の新田開発を経て埋立整備され、1958年の外国人居留地整備で本格的に街区整備と土地利用が決定され計画都市になる。1866年、豚屋火災からの復興において居留外国人側からの計画提示をもとに、近代都市計画の先駆とされる第3回地所規則作成が発布され、大通りなどを中心とした都市整備が決定。1877年までには、ほぼ現在と同様の骨格が形成されている。
- 平壌(北朝鮮)- 現在の姿は1953年策定の平壌復興マスタープランが計画の土台。1982年の金日成70歳記念を機に建設が加速された。
- 筑波研究学園都市
- 吉備高原都市
- 関西文化学術研究都市
- 播磨科学公園都市/学術都市
- 中興新村(台湾)
- さいたま新都心
- 旭川
- 三本木原(青森県十和田市)
- 漢口
- 青島
- 西安(長安)
- 八郎潟
- 出島
- 大連(旧満州国)
- 重慶
- 豊原(現・ユジノサハリンスク、旧樺太)
- カラ・ホージョ(中国)
- ヤール・ホト(中国)
- ヤルカンド(中国)
- ホータン(中国)
- カシュガル(中国)
- ウルムチ(中国)
- 安山市(韓国)
- 光陽市(韓国)
- 果川市(韓国)
- 高陽市(韓国)
- 世宗特別自治市(韓国)
- 城南市(韓国)
- 昌原市(韓国)
- 東灘新都市(韓国)
- 盆唐区(韓国)
- 横浜みなとみらい21
- ポートアイランド
- シーサイドももち
- 六甲アイランド
- 舞浜
- ファーレ立川
- 柏の葉
- いしかわサイエンスパーク
- 新鎌ケ谷
- 西新宿
- 葛西沖開発事業
- 幕張新都心
- 東京臨海副都心
[編集] 関連項目
最終更新 2009年8月5日 (水) 06:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【計画都市】変更履歴


