谷村城
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谷村城 (山梨県) |
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| 通称 | 谷村館 |
| 城郭構造 | 平城 |
| 築城主 | 小山田信有 |
| 主な城主 | 小山田氏、加藤氏、浅野氏、鳥居氏、秋元氏 |
| 廃城年 | 宝永元年(1704年) |
| 指定文化財 | 史跡 |
谷村城(やむらじょう)は、山梨県都留市上谷一丁目にあった城郭。甲斐国東部の郡内地方を領した国衆である小山田氏の居館または近世の大名居館。谷村館。
[編集] 概要
谷村は県東部、郡内地方の中央部に位置する狭隘な平野部に位置し、谷村城は蟻山と桂川に挟まれた平坦地に立地する。標高は490メートル付近。谷村には、近世に確立する甲州街道から分岐し吉田地方(富士吉田市)へ至る富士道が南北に通る交通の要所にあたる。
郡内地方では戦国時代に小山田氏が郡内領主として出現し、小山田信有(越中守)期に大幡川左岸の中津森館(都留市金井)を居館としていたことが確認されている。戦国期に甲斐国中地方では守護武田信虎と有力国人勢力の抗争が行われており、信有も武田信虎と抗争していたが和睦し、『勝山記』に拠れば永正18年(1521年)に甲斐を統一した武田信虎が中津森館に信有を訪ねていることが記されている。
信虎は甲斐を統一すると甲府を本拠として城下町(武田城下町)を建設するが、小山田氏も同時期に谷村への本拠移転を行っている。『勝山記』に拠れば享禄3年(1530年)には中津森館は焼失し、享禄5年(1532年)には谷村館が落成し信虎をはじめ甲斐国人が参集したという。以来、谷村館は越中守信有、弥三郎信有、信茂時代に至る小山田氏4代の居館として用いられている。詰城は勝山城で、近世の城下絵図では双方を繋ぐ二本の橋が描かれている。
小山田氏は小山田信茂期の天正10年(1582年)2月に織田・徳川連合軍による武田攻めに伴い誅殺され滅亡し、徳川氏・後北条氏の間で武田遺領を争奪する天正壬午の乱を経て甲斐一国を徳川氏が領すると、徳川家康は家臣の鳥居元忠を都留郡支配のため谷村城に配した。徳川氏は豊臣政権下で天正18年に関東へ移封されるが、『甲斐国志』によれば谷村城の改築はこの間に行われたという。
武田氏滅亡後も谷村は郡内地方の支配拠点として用いられ、豊臣系大名時代の加藤氏や浅野氏、徳川氏再領時代には鳥居氏が本拠とした。江戸時代には秋元氏が入府し、谷村藩が成立すると谷村城を中心に城下町(谷村城下町)として発展する。宝永元年(1704年)には秋元喬知が川越藩に移封されると城は廃城となり、郡内領は代官支配となり谷村は町場へ移行する。
谷村城の位置は近世の城下絵図類(「諸国当城之図」広島市立中央図書館蔵浅野文庫、「甲州谷村之城図」蓬左文庫、「谷村城下絵図」都留市個人蔵など)から都留市役所から都留市立谷村第一小学校付近に比定されているが、具体的な遺構は検出されていない。



