豊受大神社

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豊受大神社
画像:Gazoubosyu.jpg
所在地 京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
位置 北緯35度24分09.2秒
東経135度09分05秒
主祭神 豊受姫命
社格 旧府社
創建 伝雄略天皇22年
本殿の様式 神明造茅葺
別名 元伊勢外宮
例祭 4月26日
主な神事 八朔祭(9月1日)
  

豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町に鎮座する神社。旧社格府社元伊勢の伝承を有す。

目次

[編集] 社名

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。

[編集] 祭神

豊受姫命主祭神に、日子番能邇邇芸尊天児屋根命天太玉命相殿に祀る。

[編集] 由緒

延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記すが、それに基づいて当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるといい(『丹後風土記』[1])、或いは、元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるともいう(『加佐郡誌』[2])。また、それとは別に、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地のを退治するに際して、内宮(現皇大神社)とともに勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』[3]))。

近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国将軍家綱疱瘡平癒を祈願して社殿を造営し(社蔵棟札)、延宝5年(1677年)に同永井尚長が4642社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという[4]

昭和5年(1930年)府社に列し、戦後は神社本庁に参加している。

[編集] 祭祀

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[編集] 社殿

古来60年に1度の式年遷宮が行われていたというが[5]、現在の本殿明治7年(1874年)の造替にかかるもので、桁行3梁間2間の神明造茅葺で、外削ぎの千木を持ち、棟に鰹木を置く。

その他、拝殿、41社の境内社、寄棟造柿葺の神楽殿がある。

[編集] 境内社

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拝殿の左右に多賀神社土之神社、本殿左後方に月読宮、右後方に風之宮が鎮座し、この4社を別宮とする。

本殿を囲む形で37社の末社がコの字形に配置される。当神社には御師的な役割をはたす37軒の社家があり、37社の末社はそれぞれの社家が1社ずつ祀っていたという。

[編集] 脚注

  1. ^ 古風土記ではなく、近世の地誌。『丹後史料叢書』第2輯(永浜宇平他編輯、丹後史料叢書刊行会、昭和2年)に所収する(同叢書は昭和47年に名著出版から復刻されている)。
  2. ^ 大正14年刊、京都府教育会加佐郡部会編(昭和47年に名著出版から、同60年に臨川書店から復刻されている)。
  3. ^ 木下幸吉編『丹後郷土史料集』第2輯〔上〕(名著出版、昭和47年)に所収。
  4. ^ 『神道大辞典』昭和14年。
  5. ^ 白水社、昭和60年。

[編集] 関連項目

  • 皇大神社(大江町内宮字宮山) - 皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮の伝承地
  • 天岩戸神社(大江町佛性寺字日浦ケ嶽206-1) - 当神社、上記皇大神社と合わせて丹後の「元伊勢三社」と称されている

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月17日 (土) 06:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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