貝原俊民

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貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - )は日本の元官僚、元政治家(第5代兵庫県知事(在任期間:1986年11月24日2001年7月31日、4期))。2007年4月29日旭日大綬章受章。

目次

[編集] 来歴

佐賀県武雄市に生まれる。 東京都立北園高等学校を経て、東京大学法学部卒業後に旧自治省へ入省。1970年、兵庫県に総務部地方課長として出向して財政課長、農林部長、総務部長などを歴任、1980年から副知事を務める。1986年には知事となり4期15年を務めたが、任期を1年残した2001年に、辞任した。

[編集] 震災当時の県知事

阪神・淡路大震災時には、災害対策の責任者として復旧・復興に尽力し、その功績は高く評価されている。一方、自衛隊への派遣要請が遅く、それが知事の判断ミスによるというニュアンスの報道が数多くなされたことから、初動期における知事の対応が批判された。「自衛隊への派遣要請がもう少し早かったら助かった人もいたのではないか」という指摘もあるが、自衛隊として兵庫県に集中して本格活動する方針を決める条件が整ったのが知事の派遣要請の後であるから、結果的にみてその可能性は薄いとの報道もなされている。

[編集] 経過

  • 1995年1月17日午前5時46分に淡路島北部、明石海峡付近を震源とする直下型地震が発生。
    • 5時56分 - 伊丹市長・松下勉が伊丹市役所に登庁。
    • 6時 - 北淡町長・小久保正雄が町役場に登庁。
    • 6時35分 - 神戸市長・笹山幸俊が神戸市役所へ登庁。
    • 6時50分 - 兵庫県副知事・芦尾長司が県庁へ登庁。
    • 7時 - 芦屋市長・北村春江が市役所へ登庁する等、県内の各市町長が各市町役場へ続々と登庁。
    • 8時10分 - 陸自第3師団所属第3特科連隊から兵庫県消防交通安全課課長補佐・野口一行の元へ災害派遣出動の確認の電話が入る。
    • 8時20分 - 貝原知事、2時間30分遅れで県庁へ登庁。
    • 9時 - 小久保・北淡町長が県民局を通じて自衛隊の出動を要請。同時刻、松下・伊丹市長が陸自中部方面総監部に救援を要請。
    • 9時5分 - 国土庁防災局が兵庫県総務部に自衛隊派遣の要請を行うよう通達。
    • 9時30分 - 神戸市が県に自衛隊出動を要請。
兵庫県から自衛隊への災害派遣要請を待たずに直接自衛隊へ派遣要請を行う市町村が続出。
  • 10時 - 野口課長補佐が陸自第3特科連隊からの「この連絡を以って派遣要請が有ったと認識して良いか」と言う電話を受け「宜しくお願いします」と回答。これが兵庫県から陸上自衛隊への正式な災害派遣出動要請となる。

[編集] 背景

貝原知事は登庁直後、被害状況の酷さに対し職員の少なさ(職員も被災し、登庁していた者は全庁で40人程であった)、通信手段の少なさ(電話は回線輻輳のため発信はほとんどつながらず、生きていた大代表への着信は混乱を極めていた。 消防庁との行政無線もつながらず、停電時でも県内の市町及び国へ連絡できる筈だった衛星通信ネットワークは自家発電設備の故障で役目を果たせなかった。)、情報の無さ(連絡の取れた各市町の役場、警察、消防からは「被害はあるが規模は不明」としか来ていなかった。)といった状態で臨時の特別班編成を行い、情報収集・緊急救援対策に梶田信一郎総務部長を、余震対策に柴田都市住宅部長を、救援物資対策に豊泉進商工部長を、各省庁や他府県との折衝に芦尾副知事を当て、その時点で取り得る最善を尽くすように指示している。この時に野口課長補佐も会議には参加せず、自席で市町や自衛隊との連絡に専念するよう知事に指示されている。(それでも次に自衛隊と連絡が取れたのは午前10時となった。)


[編集] 批判

  • 2007年4月8日東京都知事選挙で3選された石原慎太郎が直後のインタビューの中で「神戸の地震の時なんかは、(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2千人余計になくなった」[1]と発言した。
    • 石原の指摘に対し、貝原は「石原さんの誤解。たしかに危機管理面で反省はあるが、要請が遅れたから死者が増えたのではない」[2]と釈明している。
    • 貝原の後任の兵庫県知事である井戸敏三も、貝原と同様「阪神・淡路大震災は、不意打ちだったということと、非常に上下動の激しい震度7の地震でしたので、犠牲になられた方々はほとんどが圧死だったと分析されて」[3]おり「自衛隊の派遣要請の早さと、犠牲者の数は、阪神・淡路大震災のケースではあまり脈絡のないこと」[3]と分析している。

[編集] その他の役職など

  • 神戸日独協会 理事長
  • 神戸日仏協会 会長
  • 国際エメックスセンタ- 理事長
  • 阪神・淡路大震災記念協会 理事長
  • 兵庫地域政策研究機構 理事長
  • 報徳学園学園長
  • 行吉学園神戸女子大学 理事長(現在は名誉理事長)
  • 政府税制調査会 委員
  • 政府地方制度調査会 委員
  • 日本ボーイスカウト兵庫連盟 名誉連盟長

以上は、既に退任したものも含まれる。現在は財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。

[編集] 著書

  • 新兵庫物語 (1994年)
  • 大震災100日の記録 -兵庫県知事の手記- (1995年)
  • 暮らしの中から分権を -私たちの生活はどうかわる-(1997年)
  • 美しい兵庫をめざして 21世紀へのメッセ-ジ (2001年)
  • 大地からの警告 大震災は何を語りかけたのか (2005年)
  • 兵庫県知事の阪神・淡路大震災 -15年の記録-(2009年)

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 「『震災で判断遅く犠牲者』発言兵庫県知事『失礼だ』」『朝日新聞』43460号、朝日新聞社東京本社、2007年4月10日、38面。
  2. ^ 「石原氏『神戸の震災は首長の判断遅く2千人余計に死亡』」『朝日新聞』朝日新聞社東京本社、2007年4月9日。
  3. ^ 「知事定例記者会見(2007年4月9日)」『兵庫県/知事定例記者会見(2007年4月9日)』兵庫県庁県民政策部知事室広報課、2007年4月9日。


4代:
坂井時忠
  兵庫県知事
5代:1986年 - 2001年
6代:
井戸敏三

※代の表記は公選後のもの

最終更新 2009年11月8日 (日) 08:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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