貴闘力忠茂

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貴闘力 忠茂
四股名 貴闘力 忠茂
本名 納谷 忠茂
生年月日 1967年9月28日(42歳)
出身 兵庫県神戸市
身長 181cm
体重 148kg(現役時代の公表値)
所属部屋 藤島部屋→二子山部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 754勝703敗2休(118場所)
幕内戦歴 505勝500敗(67場所)
優勝 幕内優勝1回
幕内優勝同点1回
幕下優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞10回
技能賞1回
データ
初土俵 1983年3月場所
入幕 1990年9月場所
引退 2002年9月場所
引退後 年寄大嶽
趣味 パチンコ、音楽鑑賞
備考
金星9個
2009年1月14日現在
  

貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ、1967年9月28日 - )は、兵庫県神戸市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。現在は年寄大嶽を襲名し、大嶽部屋を開いている。

大嶽部屋所属の鎌苅駿磁は甥。

目次

[編集] 経歴

[編集] 十両昇進まで

幼い頃から相撲が好きで力士に憧れ、小学生の頃は既に自分は力士になると決めていた。小学校を卒業後、一応面識のあった大関貴ノ花に入門を願った。しかし日本相撲協会の規定にて義務教育を終了しないと力士になれなかったため、とりあえず体験入門はさせたが「3年経ったらまたおいで」と1度は帰された。その後、地元に戻り、花畑中学2年時から柔道を始めた。同中柔道部の一年先輩にプロレスラー佐々木健介がいる。 3年時には全国大会に出場し団体戦の準決勝に進出したが古賀稔彦のいた弦巻中学に敗れた。中学校を卒業後、本当に元大関貴ノ花の藤島親方が師匠を務める藤島部屋(のちの二子山部屋)に入門した。

1983年3月場所で初土俵を踏み、1989年3月場所後に十両昇進が決まった。この時、名字をそのままに「鎌苅」としていた四股名を「貴闘力」と改名した。

[編集] 入幕以後

1990年9月場所新入幕、11勝4敗で敢闘賞を獲得する。1991年5月場所より小結に昇進し、以後三役から幕内上位に定着した。

1993年2月に当時の二子山親方藤島親方の名跡交換・両部屋の合併に伴い、師匠は二子山親方となった元大関貴ノ花のまま二子山部屋所属となる。

1994年3月場所は一度前頭12枚目まで落ちたが12勝3敗と好成績を上げ、横綱、それに同部屋の新大関の貴ノ浪との優勝決定巴戦に出場した。しかし、この巴戦ではまず貴ノ浪が曙に破れ、そして自身も曙に敗れたため、幕内優勝を果たすことが出来ず、初優勝までこれから6年の歳月を要することになる。

[編集] 史上初の幕尻優勝

1994年以後、長らく三役から幕内上位に定着していたが、前頭2枚目として臨んだ1999年11月場所で2勝13敗と大幅に負け越すと、翌2000年1月場所でも前頭10枚目で5勝10敗と負け越し、2000年3月場所には幕尻の前頭14枚目まで落ちてしまった。すでに32歳になっており、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は絶対に十両に落ちるという見方をしていた。

ところが貴闘力は2000年3月場所が始まると初日からひとり12連勝を達成、優勝争いではトップで独走となった。その後13日目に武蔵丸、14日目に曙と両横綱に敗れはしたものの、千秋楽になっても未だに優勝争いに加わっていた、そして、千秋楽において当時関脇の雅山を下し、結果13勝2敗で史上初の幕尻優勝を達成した。幕内初優勝まで初土俵より実に所要102場所もかかっており、これは歴代最長記録である。

初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で男泣きしていた。それまで舅の大鵬が残した偉大な功績と自身の功績を息子からも比較されて困っていたそうだが、この優勝により貴闘力は「ようやく子供に『どうだ、父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました」と大喜びだった。また義父の大鵬も「私の32回の優勝よりも、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しいことだ」と嬉し涙を流しながらコメントした。

[編集] 引退後大鵬部屋へ

2002年9月場所の12日目、十両での取組で最後の相撲となったベテランの寺尾戦で敗れて3勝9敗となり、幕下陥落が確定的になったことを機に引退。その後年寄・大嶽を襲名し、大鵬部屋の部屋付き親方となった。その後部屋を継承し、現在は「大鵬道場大嶽部屋」の師匠を務めている。

大鵬の三女である妻との間に四男。子供たちの進路については、「本人の意思」と実質ノーコメントを貫いている。

[編集] 特徴・人物

[編集] 気合い十分の仕切り、突っ張り

平成に入って時間一杯になるまで立ち上がろうとしない力士が増えた(昭和50年代後半までは時間前に立つ力士も多かった)中で時間前の仕切も気合充分、いつでも立つぞという構えは仕切の本来あるべき姿に近いとされた。実際、時間前に立つことも多く、そうした取り組みではしばしば激しい攻防を展開して土俵を沸かせた。そうでなくとも、しばしば張り手も飛び出す(張り手の応酬もする)回転の良い突き押しの相撲内容は見ごたえ十分で、1991年琴椿との壮絶な突っ張りの応酬など名勝負の名に値する激闘は多い。

[編集] 研究者の一面

  • 力士としては小柄な部類に入る体躯だったが、古い書籍を読み漁って過去の名力士たちの逸話を参考にするなど、熱心な研究でこれを補った。廻しを取られないようにするため、塩水を吹きかけて特にきつく締めていた。こうした廻し姿は力士の大型化にともなってゆるく締める力士が増えていた時代にあって評価された。
  • 当時の人気番組「カルトクイズ」の大相撲がテーマの回には出場を希望し、実際筆記予選ではトップクラスの成績だったが、「現役力士にはご遠慮願いたい」とやんわりと出場を断られたという。
  • 付き人を背負ってのすり足や、ゴムチューブを利用した筋力トレーニング(プロレス好きの影響)など、独特の稽古でアイデアマンとしても知られた。
  • 幕内での珍しい決まり手としては、「二丁投げ」があり、貴闘力は都合3回、この決まり手で勝っている。

[編集] 鬼門の九州場所

なぜか11月場所に弱く、1992年から最後の11月場所となった2001年まで10年連続で11月場所は負け越した。特に1996年11月場所は、同年7月に10勝、同年9月に11勝を挙げ大関昇進のチャンスだったが、場所中に尿管結石で入院するアクシデントも有って、結局6勝9敗に終わり大関昇進はならなかった。

[編集] 逸話

[編集] 大横綱千代の富士に引導を渡す

1991年5月場所3日目には、小さな大横綱と言われた千代の富士と二度目の対戦となった。一度目の対戦だった1990年11月場所は敗戦となったが、この場所で新小結に昇進した貴闘力は、密かに雪辱を期していた。そしてその取組では、千代の富士の腕をつかんで土俵外へ放り投げる「とったり」という決まり手で快勝。勝利直後のインタビューでは「憧れの大横綱に勝てて嬉しいです」と語ったが、その日の夜千代の富士がこの一番を最後に現役引退を表明。結果的に貴闘力が大横綱千代の富士に対して、引導を渡した格好となった。千代の富士の引退報道に貴闘力は、「本当ですか!信じられません。まだ自分は大先輩に対して偉そうな事を言える立場では無いので...」と言葉少なにコメントを述べるに留まり、さすがにショックを隠しきれない様子だった。その後貴闘力は、千代の富士改め陣幕親方(当時)から直接「俺の事は気にせずに頑張れ」と励まされたという。この場所の貴闘力はその後も好調を維持して9勝6敗と勝ち越し、敢闘賞を受賞している。

[編集] 曙を倒すのが仕事

曙に強く、通算15勝を挙げ金星だけでも7個もせしめた。これは、高見山(対輪島)と並ぶ、ひとりの横綱からの金星獲得の最多タイ記録である。こうした曙に対する強さから『優勝するのはうちの横綱(貴乃花)。俺は曙を倒すのが仕事』と公言したことすらある。逆に曙からすれば天敵と言える相手で、明日が貴闘力戦と決まると、「どちらが横綱かわからない」と言われるほどの気落ち、気負いぶりだった。

立合い、最初の両手突きさえ外せば、曙は怖くない、ということを、全幕内力士に証明してみせたのが、彼の最大の功績」(小坂秀二)の評さえある。

一方、武蔵丸には8勝37敗で金星はなし。曙を毎場所の様に苦しめながら、武蔵丸にはまるで歯が立たないので、合口の面白さの実例と言われた。若乃花、貴乃花とは同部屋で対戦がなかったこともあって、曙以外からの金星は2個と少ない。

曙や武蔵丸との対戦では仕切の際に相手を挑発し態度が汚いと評されることもあった。天覧相撲の曙戦で待ったを繰り返し、睨み合いを演じて、説明に窮し面目を失った当時の二子山理事長から叱責を受けたのはその好例である。大関昇進を期待されたこともあったが、武蔵丸やライバル琴錦などに分が悪く、取り零しが多くて果たせなかった。

[編集] 珍記録

幕内最高優勝を経験したあとに、十両優勝決定戦に参加するという珍しい記録を持っている。ちなみにその優勝決定戦は史上初の8力士によって争われ、この場所の十両に2桁勝利の力士はいなかった(9勝6敗)。

[編集] その他の逸話

[編集] 成績

[編集] 主な成績

  • 通算成績:754勝703敗(118場所) 勝率.518
  • 通算連続出場:1456回
  • 幕内成績:505勝500敗 勝率.502
  • 幕内在位:67場所
  • 三役在位:26場所(関脇15場所、小結11場所)

[編集] 各段優勝

  • 幕内最高優勝:1回(2000年3月場所)
  • 幕下優勝:1回(1989年7月場所)

[編集] 三賞・金星

殊勲賞:3回(1991年3月場所、1997年7月場所、2000年3月場所)
敢闘賞:10回(1990年9月場所、1991年5月場所、1991年7月場所、1994年3月場所、1994年5月場所、1994年7月場所、1996年1月場所、1996年7月場所、1996年9月場所、2000年3月場所)※同賞の最多受賞記録
技能賞:1回(1993年5月場所)

[編集] 改名歴

  • 鎌苅 忠茂(かまかり ただしげ)1983年3月場所-1989年3月場所
  • 貴闘力 忠茂(たかとうりき -)1989年5月場所-2002年9月場所

[編集] 年寄変遷

  • 大嶽 忠茂(おおたけ ただしげ)2002年9月-

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月15日 (土) 06:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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