赤星貴文
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| 赤星 貴文 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | アカ | |
| カタカナ | アカホシ タカフミ | |
| ラテン文字 | AKAHOSHI Takafumi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1986年5月27日(23歳) | |
| 出身地 | 静岡県富士市 | |
| 身長 | 175cm | |
| 体重 | 66kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 35 | |
| 利き足 | 右 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2005-07 2008 2009-09.6 2009.7- |
2 (0) 41 (8) 0 (0) |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月30日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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赤星 貴文(あかほし たかふみ、1986年(昭和61年)5月27日 - )は、静岡県富士市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。J1、モンテディオ山形所属。
目次 |
[編集] 経歴
静岡県東部の富士市に生まれ、地元の少年団神戸(ごうど)FCでサッカーを始める。中学時代は清水エスパルスジュニアユースに所属し、現清水の枝村匠馬らとクラブ日本一を経験した。この当時から年代別の代表に名を連ね、将来を期待されている選手であった。
高校時代は清水ユースへと進まず、静岡の名門藤枝東高校に進学。先輩の成岡翔(現磐田)から受け継いだ名門の10番を背負い、1年時からスタメンに定着した。在学当時、総体に2年連続出場、全日本ユース、高校選手権に2年連続と、当時の静岡勢としては最も多くの全国大会を経験したにもかかわらず、全国大会での目立ったタイトルはなく、三年時に静岡県選抜として優勝した埼玉国体が唯一のタイトルである。中でも、王国復活を掲げて臨んだ最後の高校選手権では、順調に3回戦へと駒を進めたが、強豪国見高校の前にPK戦の末敗れ涙を飲んだ。このPK戦で、藤枝東の第一キッカーを務めた赤星も失敗しており、試合後は大粒の涙を流して悔しがった。
全国大会での主な成績は少ないものの、2004年の高校選手権静岡県大会でMVPに輝くほどの逸材であり、赤星の視野の広さや判断力などは「近年の藤枝が生んだ最高傑作」とまで言われた[1]。当時から既に高校生離れした実力を持ち、高校3年時にはジュニアユース時代に所属していた清水を始め、Jリーグの各球団が争奪戦を繰り広げた。赤星はその中から浦和レッズを選択[2]。2005年に正式入団[3]。
浦和では1年目から公式戦デビューを果たすなど活躍が期待されたが、当時Jリーグ王者やアジア王者に輝くなど圧倒的な選手層を誇っていた浦和の中で徐々に出場機会が減り、2007年シーズンはカップ戦も含め公式戦に出場することは無かった。2008年、出場機会を求め水戸ホーリーホックにレンタル移籍[4]。水戸ではボランチとしてスタメンを奪取。2列目でも起用され、41試合出場、8得点と結果を残した。
2008年10月、長谷部誠・小野伸二の海外移籍でボランチを欠いていた浦和の事情もあり、2009年シーズンからの浦和への復帰が決定。同年12月に正式発表される[5]。しかしその2009年シーズンは、チームが3バックから4バックに移行したことにより、前年までDFにコンバートされていた阿部勇樹や細貝萌がボランチに復帰し、ポジション争いが激化。また、2列目でも原口元気、山田直輝といった赤星より更に若い世代の選手たちが台頭。出場機会に恵まれず、6月までの出場はナビスコカップの3試合のみ(全て途中出場、計36分)だった。
同年7月、複数のクラブからオファーが届く中「チームの軸にしたい」と獲得に名乗りをあげたモンテディオ山形へのレンタル移籍が決定[6][7]。
[編集] 評価
視野の広さや判断力に優れたコントロールタワー[8]。
[編集] 人物・エピソード
- 週刊少年マガジンで連載されていた漫画作品『Jドリーム』の主人公「赤星鷹」に名前が似ており、しかも赤星鷹は浦和所属という設定だったため、赤星が浦和入団を決めた際は「『Jドリーム』が現実に」とサポーターの間で話題になった。
- 同期入団の細貝萌のブログにて赤星がかなりのゲーマーであることが判明した。
- ウイニングイレブンが得意である。
- 中学時代はサインを全くしてくれないことで有名だった。
- 2007年、サテライトの最終戦を累積警告で出場停止になり、都築龍太に「ありえねー」といじられた(ちなみに都築も2005年、GKなのに累積警告で出場停止になっている)。
- 2009年に浦和から山形へのレンタル移籍が決定した際、偶然にも山形の次節の対戦相手は浦和であった。この時、移籍の際に両チーム間で紳士協定が結ばれており、赤星は浦和戦に出場することはなかった。ただし、埼玉スタジアム2002の浦和戦にはリザーブメンバーに赤星の名前があった(理由はおそらく両チーム間で紳士協定が結ばれていたのを解いたのと思われる)
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 2005年 - 2007年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2008年 水戸ホーリーホック(期限付き移籍)
- 2009年 - 2009年6月 浦和レッドダイヤモンズ
- 2009年7月 - モンテディオ山形(期限付き移籍)
[編集] 学歴
- 富士市立神戸小学校
- 富士市立吉原北中学校
- 静岡県立藤枝東高等学校
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 浦和 | 25 | J1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 |
| 2006 | 浦和 | 25 | J1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
| 2007 | 浦和 | 25 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2008 | 水戸 | 18 | J2 | 41 | 8 | - | 2 | 0 | 43 | 8 | |
| 2009 | 浦和 | 18 | J1 | 0 | 0 | 3 | 0 | - | 3 | 0 | |
| 山形 | 35 | J1 | - | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 2 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 | |
| 日本 | J2 | 41 | 8 | - | 2 | 0 | 43 | 8 | |||
| 総通算 | 43 | 8 | 8 | 0 | 5 | 0 | 56 | 8 | |||
[編集] 経歴
[編集] 代表歴
- U-16日本代表
- U-17日本代表
- U-18日本代表
- U-20日本代表
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月1日 (日) 12:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【赤星貴文】変更履歴

