赤沢亮正

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日本の旗衆議院議員 赤沢 亮正
生年月日 1960年12月18日(48歳)
出生地 日本の旗東京都文京区
出身校 東京大学
コーネル大学経営大学院
学位・資格 法学士
経営学修士(MBA)
前職 日本郵政公社職員
所属委員会
衆・内閣委員会委員
衆・農林水産委員会委員
世襲 2世
祖父・赤沢正道
(直接世襲ではない)
選出選挙区 鳥取2区
当選回数 2回
所属党派 自由民主党
党役職 党本部広報局次長
会館部屋番号 衆・第2議員会館740号室
ウェブサイト 赤沢亮正公式ホームページ
  

赤沢 亮正(あかざわ りょうせい、(戸籍の正式な表記は赤澤亮正)昭和35年(1960年12月18日 - )は、日本国土交通官僚政治家自由民主党所属の衆議院議員

自治大臣を務めた赤沢正道は祖父。第44回衆議院議員総選挙で初当選した新人議員による83会に所属している。

目次

[編集] 人物

東京都文京区出身[1]。大学1年の頃、赤沢家の養子に迎えられる(本籍鳥取県米子市)。1984年東京大学法学部卒業後に運輸省に入省。1989年には米国コーネル大学経営大学院に留学しMBAを取得する。2002年に国土交通省大臣官房総務課企画官に就任後、2004年日本郵政公社転じ、郵便事業総本部国際本部海外事業部長、郵便事業総本部事業開発部長を歴任する。

郵政民営化関連法案川上義博が反対票を投じ、その後衆議院が解散し鳥取2区が空白区となった。自民党鳥取県連の公募に応募し、川上への刺客候補として立候補する。2005年9月11日実施の第44回衆議院議員総選挙では大激戦を制して当選を果たした。

当選後は党広報局次長、国会対策委員などを歴任。2009年1月27日に発生したロシア沿岸警備隊拿捕事件においては早期解決に尽力する。

2009年8月30日実施の第45回衆議院議員総選挙では自民党大逆風の中、民主党公認候補の湯原俊二と大接戦の末小選挙区で当選。83会で生き残った数少ない議員となった。

道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[2]

[編集] 略歴

  • 1984年 3月 東京大学法学部卒業  4月 運輸省入省
  • 1989年 5月 米国コーネル大学経営大学院留学 経営学修士(MBA)取得
  • 1991年 6月 大臣官房文書課専門官(法令審査担当)
  • 1992年 4月 運輸政策局消費者行政課補佐官(高齢者・障害者対策担当)
  • 1994年 8月 航空局監理部国際航空課補佐官(日米航空交渉担当)
  • 1996年 4月 北海道企画振興部交通対策課長
  • 1998年 4月 北海道総合企画部交通企画室長
  • 1999年 6月 運輸省大臣官房文書課企画官(海上技術安全局、日本財団担当)
  • 2001年 7月 国土交通省大臣官房秘書課企画官
  • 2002年 8月 国土交通省大臣官房総務課企画官(総合政策局、国際政策担当)
  • 2004年 7月 日本郵政公社郵便事業総本部国際本部 海外事業部長(物流戦略担当)
  • 2005年 4月 日本郵政公社郵便事業総本部事業開発部長(物流戦略担当)
  • 2005年 8月 鳥取県衆議院選挙区第2支部支部長に就任
  • 2005年 9月 衆議院選挙に鳥取県第2区から立候補、当選

[編集] 議員連盟

[編集] 家族 親族

  • 父(元大学教員)
  • 母(鳥取県、政治家赤沢正道長女)
  • 妻、長男

[編集] 系譜

赤沢家
母方の祖父赤沢正道鳥取県米子市西倉吉町に土木建築業・赤沢康平の子として生まれた。正道の父・康平は徳島県出身であり、明治30年代から始まった山陰本線の建設に参加するため米子に進出、業界のリーダーとして業績を積み上げた[3]。また康平は政治家志望者を集めて指導していたという[4]。正道は第3次池田内閣第2次佐藤内閣第1次改造内閣自治大臣国家公安委員会委員長として入閣した。
         
            父
            ┣━━━━━赤沢亮正      
赤沢康平━━赤沢正道━━母

[編集] その他

地方を重視しており「少しでも多くの子供が地方の豊かな自然の中でのびのびと子供同士で遊ぶ時間をたっぷりあたえられて育つほうが感受性が豊かで惻隠の情など日本人らしい情緒を備えた大人に育つことは間違いないと思う」と記した(『日本海新聞』のコラム)。

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

  1. ^ 赤沢亮正 -ザ・選挙/立候補者情報-
  2. ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  3. ^ 『勝田ヶ丘の人物誌』391頁
  4. ^ 赤沢りょうせい活動報告 - 盂蘭盆会に「赤沢にとっても、政治を志す決意を固めた昨年の八月十一日からちょうど一年経った今回のお盆に、「赤沢の曽祖父は若手の政治家志望者を集めて指導する私塾のような活動をしていた」という趣旨の話をあらためて母親から聞かされて特別の感慨がありました(ご先祖さまに怒られそうですが、実のところ赤沢は昔聞いたこの話をすっかり忘れていました)。曽祖父(赤沢康平)の思いが祖父(赤沢正道元自治大臣)に通じ、さらには母(正道の唯一の子供)を経由して赤沢にまで流れ込んでいるというつながりを強く感じたわけです。このご先祖さまのDNAと「まず社会に貢献せよ。報酬は後からついて来ると心得よ」というまるで論語(顔淵)のような父(元大学教員)の教育が相まって、営利には向かないが公共の福祉の増進に生きがいを感じる赤沢が誕生した次第です。赤沢が公務員や政治家といった限られた職業しか選択できない理由がよく分かります(笑)。」とある

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月26日 (木) 20:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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