越智通雄
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おち みちお
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| 生年月日 | 1929年4月23日(80歳) |
| 出生地 | 東京府 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
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| 内閣 | 小渕内閣第2次改造内閣 |
| 任期 | 1999年10月5日 - 2000年2月25日 |
| 退任理由 | 発言による引責のため |
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| 内閣 | 第2次海部内閣 |
| 任期 | 1990年12月29日 - 1991年11月5日 |
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| 内閣 | 宇野内閣 |
| 任期 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 |
| 退任理由 | 総辞職のため |
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| 当選回数 | 8回 |
越智 通雄(おち みちお、1929年4月23日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。
衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。(社)自由政治懇話会会長。
目次 |
[編集] 人物
高等師範附属、第一高等学校 (旧制)を経て、東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。賀屋興宣の後継として東京三区より出馬し当選。選挙ポスターは、名前を仮名で書くと回文になることを意識したものになっていた。選挙の際、上から読んでも、「おちみちお」、下から読んでも、「おちみちお」、中に「み」のあるおちみちおです、と選挙カーで連呼していた。中選挙区時代の選挙区は(世田谷区、目黒区の)東京3区で小坂徳三郎、小杉隆、栗本慎一郎などと争っていた。
[編集] 履歴
- 1929年:東京生まれ
- 1947年:東京高等師範学校附属高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
- 1952年:東京大学法学部卒業
- 1952年:大蔵省入省、大臣官房秘書課配属
- 1954年:関東財務局管財部
- 1956年:関東財務局理財部、次いで名古屋国税局調査査察部
- 1957年:外務省在ニューヨーク日本総領事館副領事
- 1960年:主計局主計官補佐
- 1963年:主計局総務課長補佐
- 1965年:大蔵大臣秘書官
- 1966年:銀行局銀行課長補佐
- 1968年:東京国税局間税部長、次いで大蔵大臣秘書官
- 1971年:主計局調査課長
- 1972年:衆議院議員に初当選
- 1983年:総選挙で落選
- 1989年:宇野内閣で、経済企画庁長官に就任。
- 1990年:第2次海部内閣で、経済企画庁長官に就任。
- 1999年10月5日:小渕第2次改造内閣で、金融再生委員会委員長に就任。
- 2000年2月25日:金融再生委員長を辞任。
- 2000年6月:総選挙で惨敗(惜敗率59.435%)。
- 2003年4月27日:石井紘基刺殺事件に伴う衆議院補欠選挙に立候補するも落選。
- 2003年11月9日の衆議院議員選挙を前に、次男・隆雄に地盤を譲り、政界を引退した。
[編集] 発言
[編集] 手心発言
金融再生委員会委員長在任中の2000年2月19日、栃木県の金融機関関係者への講演で、「検査の仕方がきついとかあったら、どんどん直接おっしゃってください。最大限考慮しますから」と発言。「手心発言」として論議を呼び、委員長辞任につながった。その後、2000年6月の総選挙で落選した。越智が落ちたと揶揄された[1]。
[編集] 家族・親族
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月26日 (木) 20:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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