趙成ミン

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本来の表記は「趙成」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
チョ・ソンミン
各種表記
ハングル 조성민
漢字 趙成珉
片仮名
(現地語読み仮名)
チョ・ソンミン
ラテン文字転写 Jo Seongmin
本人表記: Cho, Sung Min
  
趙 成珉 (チョ・ソンミン)
基本情報
国籍 韓国
出身地 ソウル特別市
生年月日 1973年4月5日(36歳)
身長
体重
194cm
95kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1996年
初出場 NPB / 1997年7月5日
KBO / 2005年8月15日
最終出場 NPB / 2002年
KBO / 2007年6月29日
経歴(括弧内は在籍年)

趙 成珉(チョ ソンミン、1973年4月5日 - )は、韓国ソウル出身のプロ野球選手投手)。趙成民とも表記。

目次

[編集] 来歴・人物

韓国アマ球界のエースとして活躍し、1996年に異例の8年契約で読売ジャイアンツへ入団。2年目の1997年後半から一軍に昇格。抑えとして活躍し、あこがれの宣銅烈とも投げ合うなど徐々に頭角を現す。1998年は開幕からローテーションの一角に入り、前半だけで7勝を挙げ、先発ローテーションの座をつかんだかに見られたが、前半戦とオールスターゲームの疲労により右ひじを故障した後は一転して不運なプロ野球人生をたどる。

以降は手術とリハビリの繰り返しとなり、大きな活躍は見せられなくなる。2000年、韓国の人気女優チェ・ジンシル(崔真実)と結婚。2002年5月のヤクルト戦で約2年ぶりの先発勝利をあげたが、その年のオフ、契約を1年残しながら退団。

退団後は、韓国でシュークリーム(ビアード・パパ)のチェーン店事業を起こすが失敗に終わる。2004年8月、妻への暴力容疑で逮捕された。起訴猶予となり釈放され、チェ・ジンシルとは離婚した。

2005年からは、韓国で解説者として再び野球に携わっていたが、5月5日にハンファ・イーグルスと契約を交わし、現役復帰。8月15日に一軍デビュー。4番手投手としてマウンドに上がり、1イニング1/3を投げ、勝利をあげた[1]。2007年限りでハンファを自由契約。

2008年からは解説者に復帰し、韓国では史上初となる元現役選手の野球エージェントとしての活動も始めた。

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
1997 巨人 22 0 0 0 0 1 2 11 -- .333 111 28.0 16 1 13 0 1 30 2 0 10 9 2.89 1.04
1998 15 15 6 3 1 7 6 0 -- .538 433 104.2 96 4 34 0 4 83 2 2 36 32 2.75 1.24
2000 10 1 0 0 0 1 2 0 -- .333 64 14.0 20 2 5 1 0 9 0 0 9 6 3.86 1.79
2002 6 1 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 49 11.2 12 1 2 0 0 5 0 0 3 3 2.31 1.20
2005 ハンファ 16 0 0 0 0 2 2 0 4 .500 101 19.1 30 1 9 0 6 8 0 0 15 14 6.52 2.02
2006 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 39 6.2 12 1 6 0 0 4 0 0 6 5 6.75 2.70
2007 12 8 0 0 0 1 2 0 0 .333 191 43.0 41 3 19 2 5 18 0 0 23 20 4.19 1.40
NPB:4年 53 17 6 3 1 11 10 11 -- .524 657 158.1 144 8 54 1 5 127 4 2 58 50 2.84 1.25
KBO:3年 35 8 0 0 0 3 4 0 4 .429 331 69.0 83 5 34 2 11 30 0 0 44 39 5.09 1.70

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] 背番号

[編集] エピソード

  • 巨人時代の愛称は「コリアンエクスプレス」。
  • 高身長を理由に兵役を免除されている。
  • 巨人で最初にピアスをしてプレーしていた選手である。
  • 日本語の学習に長渕剛安室奈美恵の歌を活用した。日本語での意思疎通に通訳をほとんど必要としない。
  • 結婚式にはチームメイトの桑田真澄岡島秀樹村田真一の他、前田亘輝らも出席した。
  • NHKの野球中継及びスポーツニュースの際には、苗字の趙を「チョ」のほかに「チョー」と表記されたこともある[2]
  • 1998年のオールスター戦での肘の故障以降の低迷の原因は、当時の横浜ベイスターズ監督の権藤博のせいだと宝島社「巨人軍タブー事件史」内のインタビュー「憎んで愛したジャイアンツ」の中で語っている。本人によると、「権藤に『肘が痛いので交代したい』と日本語で申し出たが、権藤は『こいつ何言ってるんだ』としらを切った」との事である。
  • 元夫人のチェ・ジンシルが自殺したと聞いた時は、相当なショックを受けた様子で、黙り込んでしまったという。

[編集] 脚注

  1. ^ 対戦相手現代ユニコーンズの3番手投手は巨人時代の同僚鄭珉台
  2. ^ NHKでは、韓国や台湾の選手の名前を表示する際、基本的にカタカナで表記する。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年8月20日 (木) 16:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【趙成ミン】変更履歴

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